日本人が「対話ベタ」なのは、「国民性」?
〜世界の『こどもかいぎ』事情〜



映画『こどもかいぎ』制作のきっかけの一つは、僕自身が海外で『こどもかいぎ』のようなものに出会ったことです。

カナダ、スウェーデン、そしてフィンランドです。

「日本人も場数を踏めば、コミュニケーションが上手になり、20年後には対話社会を作れる」。

この経験により僕が感じたことです。



■ Story in Canada



20年近く前、僕はカナダのバンクーバーで4年ほど、映画製作の修行をしていました。


異国の地で得られた事は、映画作りの技術だけではありませんでした。その一つが、コミュニケーションです。

北米の人たちは、日本人とは比べものにならないほど、自己表現ができる人が多い。まるで役者のように、体全体を使って、自分の意図を伝えようとする人がたくさんいました。

一方、僕ら日本人は、間逆、ですよね。
対話が苦手だし、プレゼンテーションが得意ではないし、会議ではあまり発言できない。

その理由は、「国民性」にあると僕は思っていました。
単純に「日本人だから」。


しかし、その概念は徐々に崩れていきました。
カナダで生まれ育った、ジャパニーズ・カナディアンは、決してコミュニケーション下手ではなく、「カナダ人」と同じように表現できていたからです。

じゃあなんで、日本の血を注いでいる人たちが、カナダで育つと自己表現が巧みになるんだろう?

一言で言えば、「環境要因」になるんですが、その一つが、カナダの保育園で行われている「サークルタイム」と呼ばれるものにありそうでした。

カナダの保育園では、みんなで輪になって、歌を歌ったり、踊ったり、まさに『こどもかいぎ』のようにお話をしたり、と言う活動が行われています。


当時、子どものいなかった僕は友人に

「なんでそんなことをしているの?」

と不思議そうに聞くと、

「逆に、なんで日本はやってないの?」

と不思議そうな顔をされ、「What do you think?(君はどう思う?)」と聞かれます。


どう思うって言われても……。
う〜ん……。

彼らは、小さい頃から、この

「What do you think?(君はどう思う?)」

と言う質問を親から、大人から、当然のように聞かれながら過ごすんですよね。

そりゃあ、自分で考え、理解し、行動する「癖」がついていくはず!


僕は悩んだ末に「Good!」と当たり障りのない返答をしたのですが(笑)、この時に、僕の中に、この映画の「種」のようなものが植え付けられた……のかもしれません。



■ Story in Sweden



そして、この映画の「芽」が生えたのが、おそらくスウェーデンでの体験です。

2014年頃、北欧の社会システムに関する作品を作れないかと、数週間、北欧を回っていたことがありました。

そこで、とあるスウェーデンの学校で、子どもたちが輪になって話しあう「ライフスキル」という授業に出会いました。

命や家族、性、ジェンダー、恋愛、感情というもの、コミュニケーションの仕方から、薬物やアルコール、差別と平等など、日本ではまず議題にのぼらないテーマまで、幅広く議題に上がっていました。


スウェーデンの小学校の社会科では、

「刑罰を重くすれば、犯罪は減ると思うか?」
「環境問題をどう解決するか?」

といった問いを日常的に子どもたちに投げかけます。
「正解」は存在しません。

しかし、それは人生も同じ。
こたえのない中で、自分で判断していかなければならない。

でも、「対話」を通して、様々な観点から、考えて、分析して、問題を解決していく力を養っているのです。

「画期的!」と思いました。


その後、グレタ・トゥーンベリさんというスウェーデンの子どもが環境活動で世界的な注目を浴びましたが、僕は「だよね! ああいうことをやっていたら、君みたいな子が出てくるよね!」とテレビ画面に向けて大きな声を出していました(笑)。


これらの経験から徐々に僕が思うようになっていったことは、「日本人がコミュニケーション下手なのは、民族性ではなくて、単に“場数”の話なのではないか?」ということ。そして、「小さいころから対話をする場があれば、『対話ができない』と悩むことも減るだけでなく、幸せな人生を歩んでいく可能性も増やすのではないか?」ということでした。



■ Story in Finland



そしてフィンランドです。訪問するまでの僕のフィンランドのイメージは2つ。

巨匠アキ・カウリスマキ監督の作品に出てくるような、シャイで鬱屈とした人々。
そして、2000年頃から急にメディアを騒がせるようになった、教育大国としての顔。

フィンランドの学校には、宿題はないし、テストはないし、先生は教えない、と言います。(これはちょっと語弊がありますが)。

そんな中で、日本と同じ位の面積でありながら兵庫県程度の人口500〜600万人くらいしかいない小国が、どうやって教育という分野で世界でナンバーワンになったのか?

それを探りに実際に訪問してみて、僕が驚いたことは、フィンランドの人たちが「対話」をとても大切にしていたことでした。


お会いした方々から最もよく聞いた単語も「dialogue(対話)」でした。

僕ら日本人のように、シャイではあるんです。

けれど、彼らはそれこそ、サウナの中で、赤の他人とも、様々なことを話し合うようです。

日本人と同じようにシャイな国民性であるフィンランドの人たちは、いつの頃からか対話を重視するようになり、20〜30年前から、対話社会にシフトしていったようなのです。

このようなフィンランドの方々を見て、僕が思ったのは、

「シャイなフィンランド人が対話社会を作れるのであれば、日本人だって対話社会を作れるんじゃないか?」

と言う未来への展望でした。

どのようにして対話社会になっていったのかは、まだ調べきれていませんが、日本人だって、話し合うことは好きです。

ただ、それをイノベーションにまで活かしきれていないし、問題解決や予防にまで使いきれていないようにも思うのです。

特に今は答えの見えない社会。
何が正解なのか分からない未来が待ち受けています。

その時に大切なのは、対話によって

情報収集し、
知識をシェアし、
皆んなで意見交換することで仲間を増やし、
課題を解決していき、
目標に向かって、進んでいくこと

ではないでしょうか?

カナダ、スウェーデン、フィンランドでの体験を通して、僕が思うようになっていったことは、

日本人がコミュニケーション下手なのは、島国だからでも、シャイだからでも、日本人だから、でもない。

単純に、場数を踏んでいない、発言と対話の機会を与えられていないから、ということ。

もし、日本人の子どもたちも、定期的・継続的に、『こどもかいぎ』のようなことをしていれば……、きっと、20年後には対話社会になる。



そして、様々な能力が開発されることによって、社会はよりイノベーティブになり、子どもたちを取り巻く問題も改善され、現在の社会問題の多くも減っていくはず(この辺りの話は詳しくはこちらのページで書いていますので宜しければご覧ください)。


未来は明るい!

僕はそう信じています。


こちらの記事もお読みください。

★ 現代ビジネス/FRaU(2022/07/22)
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