映画『ゼロ・グラビティ』と死生観

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サンドラ・ブロック主演、
アルフォンソ・キュアロン監督の『ゼロ・グラビティ』を一言で言うなら、

「文句のつけようがない映画」

と言い切れます。

映像に顔が映る登場人物が
何と、たった二人!!
という、何とも大胆不敵な作品ですが、

全くもって退屈する事はありません。

宇宙空間に取り残されてしまった飛行士のストーリーは、

・次から次へと訪れるトラブルにハラハラドキドキ、

・「一体これはどうやって撮ったんだろう?」という映像に興味津々、

・美しい宇宙と地球にほわほわゆったり。。。

キュアロン監督お得意の長回しが冴え渡り、

まるでテーマパークのアトラクションのような乗り心地を

90分間に渡って、飽きる事なく「体験」できます。

単なる「イベント・ムービー」ではなく、
ちゃんと深いテーマを入れ込んでいるところも、
とても良かったなぁと思います

(個人的にはもう少しツッコんで欲しかったのですが、、、
詳しくは末尾の「ネタバレ」コーナーにて)。

おそらくこの映画を観て「損した!」という人は
ほとんどいないのではないかなぁと思います。

全世界的に特大のヒットになっているそうですが、
こんなチャレンジングなプロジェクトが逆に「安全パイ」になるなんて、

すごすぎます!!!

作り手の皆さんの意欲とエネルギーを感じ取れますね。

しかも、
この作品は、

【観るなら断然、映画館】

です!

DVDだと、たぶん、この「宇宙体験」は出来ないでしょう。

レンタルだと約300円、
映画館だと約1,500円ですが、

この1,200円の差額分を払う価値ありと言える数少ない映画の一つです。

一点だけ、
ここだけもう少しツッコんでくれたら、、、という部分が
個人的にはありましたが、

(ネタバレありなので映画を観た方のみ読んでください)

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この作品の「外的葛藤」は「宇宙に"取り残されてしまう"事」ですが、
サンドラ・ブロック演じるライアンの「内的葛藤」は

「以前、幼い娘を亡くしてしまった事」によって、
「精神的な闇に"取り残されてしまっている"事」

です。
この設定が、作品を単なるサスペンス娯楽映画の枠を超えて、
宇宙観、死生観をも感じさせる哲学的な映画にまで高める土台になったのかなと思うので、

非常に、非常に取り扱いが重要です。

おそらく主人公が宇宙飛行士になったのは、
愛する娘が先立った事によって死生観が大きく変わり、

「我が子はなぜ亡くならなければならなかったのか?」

という、
浮かんでは消え、消えては浮かび続ける問いが、
意識的、もしかしたら無意識的に

「宇宙」という「大いなるもの」に寄り添おうという選択につながったからのかな、
と想像できます。

そしてラストシーンでは、
無事に地球に到着した彼女が、
自分の足で立ち上がり、歩いて進んでいく後ろ姿で締められていますが、

これはライアンの生命が助かったというだけではなく、

「幼い娘を亡くした事によって、
ずっと閉じ込められていた精神的な闇から抜け出し、
前へ向いて歩み始める」

という心理的な意味もあるのだろうと思います。
だからこそ、このラストシーンがものすごく強いものになっているんですが、

個人的には、
あくまで僕の個人的な印象で、
作り手の人に文句を言うつもりなんてサラッサラないのですが(笑)、

主人公のライアンと娘さんの関係性については、
作品内でもう少しだけでも取り上げられていたら、
さらに感動的で強いストーリーになった可能性もあるのかな、

と感じました。

「このくらいサラッとしていた方が良い」

というご意見もあるだろうと思うのですが、

我が子を亡くす、という事は、
他に比べようもない、
本当に本当に最悪の体験で、

おそらく、
我が子を亡くした経験をした人にしか分からない死生観や、
物の見方、捉え方、天国にいる子どもとの接し方など、

様々な「価値観」があるだろうというのは、

映画の取材や撮影を通して、
愛するお子様を亡くされた、たくさん方々にお話をお聞きし、

自分自身もお腹の子どもを亡くした経験から、

とても強く感じます。

http://www.umareru.jp/blog/2013/08/post-1067.html

みなさん、
それぞれ、
全く個別の死生観があります。

それは、常に
僕の「想像の範囲を超えたもの」です。

映画『うまれる』の中での話をいたしますと、

・「お腹の中で亡くなった赤ちゃんを産んでしまったら、もう離れ離れになってしまう」

・「お腹の中から赤ちゃんを出して、早く抱きしめてあげよう。」

という言葉や

・毎週末、お寺で、亡くなった赤ちゃんのお骨と一緒に家族の時間を過ごす

というような行動というのは、その体験をした方でないと
考えつかない選択肢なのかなと思うのです。

ただ、
このような事は決して、関根さんご夫婦だけでなく、
それぞれのご家族で、
さまざまな「儀式」や「哲学」があったりするんです。

理解されにくいので誰にも言わない、
という事がほとんどのようですが。。。

映画「ゼロ・グラビティ」に戻りますが、
この作品では、そのような

「我が子を亡くした経験を持つものにしか分からない死生観」

といったような点はあまり感じる事が出来ず、
ライアンの台詞は「一般的な想像の範囲内」に収まっています。

もしかしたら、

「主人公が子どもを亡くしたという設定の方がストーリーが強くなるよね。」

という所までとどまってしまい、
入念なリサーチや取材をする時間がなかったのかな、
とも感じますが、

ハリウッド映画はお金を出す側の権力が非常に強いので、
監督や脚本家はそういう台詞を入れていたのだけれど、
「しみっぽくなるから強制カット」されてしまったのかもしれません。

詳しい事は分からないので、何とも言えませんが。。。

もしかしたら僕が指摘させていただいた事は、
そういう体験をされた方や、
そういう取材をした僕なんかでないと浮かばない「違和感」で、

そうそうご経験のない方にとっては、
特に気になる点にはならないのだろうなぁとも思います。

作品の根幹に関わる部分でもあるし、
もし、ここをツッコメていたら、より影響力のある作品に
なっていた可能性もあるかのかな、と、個人的には気になりました。
あくまで僕個人の話です。

ただ、
これによって作品の質が落ちる、という事はないと思います。

歴史に残る素晴らしい作品です!

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※ ネタバレここまで

監督・父
豪田トモ

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