不妊治療の体験談 の全体験談 |
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実は私、ちょうど上映会を開催した頃に、妊娠が判明しました。
奇跡の自然妊娠でした。
やっぱり映画『うまれる』には奇跡のチカラがあるなぁと感動していました。
6週、7週では、診察を受けても赤ちゃんの袋しか見えませんでした。
いよいよ心拍が確認できるかという診察の日は、主人と一緒に診察室へ入りました。
しかし先生の口から聞こえたのは、
「おめでとう」ではなく、
「心拍が確認できません。
妊娠は継続しているので、子宮外妊娠の可能性が極めて高い」
という言葉でした。
そして8週に入り大きな病院へ診察に行きました。
たぶんお腹の赤ちゃんと最後のお出かけになると思うと、
できるだけ楽しい思い出を持っていって欲しくて、
私はいつもより可愛い格好をして、ゆっくり歩いて病院にたどり着きました。
そして診察で、子宮ではなく卵管で心拍が確認され、
私は帰宅することも許されず緊急手術となりました。
病院に駆けつけた父が、執刀する先生に聞きました。
「卵管で生きている命を、子宮に移すことは出来ないのですか?」
しかしそれは、現代の医学を持ってしても無理なことです。
そして超音波がある時代だからこそ卵管妊娠の診断がつき、
私は大出血で命を落とさずにすみました。
とはいえ、赤ちゃんが大きく育っていたので卵管ごと切除することになりました。
手術後、全身麻酔が切れて一番に思ったことは、
卵管に温かく包まれたまま取り出してあげられて良かった...
という気持ちでした。
そして、短い期間ではあったけれど、
私のお腹に来てくれて本当にうれしかったと思いました。
入院中は気持ちも混乱したり悲しんだり無気力になったりしましたが、
映画に出てきたいろんな言葉が私を励ましてくれました。
特に「天国郵便局からのお便り」で、もう一度元気になる決意ができました。
主人にも、鮫島先生の書かれた「天国郵便局からのお便り」をメールで送りました。
すると主人が「空に帰った赤ちゃんへのお返事」を書いて私にメールで送ってくれました。
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赤ちゃんへ
お手紙ありがとう。
短い時間だったかもしれませんが、私たち3人には大切な時間でしたね。
お母さんは大事に大事に最後まであなたを守ってくれましたよ。
喜びを与えてくれて本当にありがとう。
いつか天国で会えるといいですね。
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と書いてありました。
主人とは、同じ喜びと悲しみを分かち合ったということがよくわかりました。
同じ悲しみを乗り越え、主人との絆はより一層強くなりました。
「子育ては自分育て」と聞きますが、
「不妊治療は夫婦育て」だなと感じています。
今は心も体も回復し、本当にうれしかった妊娠期間を懐かしく思い出しつつ、
毎日を楽しく過ごしています。
2011.12.26 投稿者:天使ちゃん
25歳で結婚。
現在、34歳。3回目の体外受精に挑戦中です。不妊の原因は不明。
1月に3回目の採卵をし、1回目の凍結胚移植はうまくいかず、次の凍結胚移植にむけて準備をしています。不妊は晩婚化が原因だと言われます。
ですから、私のように、比較的若くして結婚して子供がいない場合、「子供が嫌いなのか」「身勝手な生活を送りたいのか」と、子供もつくらず、自由奔放に生きているかのように思われがちです。
でも、結婚して2年目から婦人科に通い、不妊治療歴も早7年になりました。
タイミング法、HMGーHCG療法、人工授精、体外受精・・・・どんどんステップアップし、どんどん強いホルモン剤を使うようになり、今では、薬や注射を大量に使用しないと、排卵はおろか、生理さえも普通には来ません。
「自分の体は大丈夫だろうか?」
という思いはありますが、不妊治療のゴールは子供をこの手に抱くことですから、それを実行できるまではやめたくてもやめられない。
これがもし40歳とか45歳とかなら年齢を理由にやめられる。でも、「まだ34歳だからチャンスはありますよ」という産婦人科医の言葉にあきらめは出来ず、やめるとも言いだせない自分がいます。
体外受精をするためには、その周期の生理前から、大量のピルを飲んで生理を起こし、同時に採卵にそなえて鼻からホルモン剤を投与し、生理が来たら大量の排卵促進剤を注射しておなかがパンパンに腫れたところで膣から長い針を刺し、採卵をします。
そして、翌月、またまた大量のホルモン剤を投与して、受精卵を移植し、移植後も妊娠判定まで大量のホルモン剤を注射します。
それでも妊娠しないものはしないのです。
この「うまれる」でも、体外受精=最後の手段=妊娠、という感じで出てきますし、妊娠できないのは年齢や障害のせい、というイメージがありますが、若くても、病気や障害がなくても妊娠できない女性はたくさんいます。
本も読ませていただきましたが、正直な感想は、「まだまだ真実味は薄い」いや
「薄すぎ」ます。そんなに甘いものではないですもの・・・・不妊治療って・・・・。
不妊治療をしたら、自然の夫婦間のセックスは行えなくなります。
ホルモン剤でおなかがパンパンなのでセックスなんてしたらおなかが破裂して死にそうだし、移植後は「もしかして?」っていう思いがあるので無理がしたくないからです。
つまり不妊治療をしたら正常な夫婦関係さえも壊してしまうのです。
産婦人科の先生でさえそういったことは一切理解していないから、一般の方、経験をしたことがない方、まして男性には理解できない世界ですよね。
多くの方が「感動した」とおっしゃられていますが、実際に経験された方からみたら「まだまだかな」って思います。
2011.04.06 投稿者:ひさひさ
「うまれる」
監督の豪田様、制作に関わられた皆様
初めまして。名古屋に住むサリイと申します。私は10月30日の朝日新聞でこの映画のことを初めて知りました。最初は保健師・看護師を養成する大学の教員として、これは大事な資料になると思ってご連絡を差し上げました。無料のDVDも送っていただきました。そのDVDを見て、絶対初日に見に行きたいと思いました。名古屋伏見ミリオン座で見ました。
上映中にそこここからすすり泣く声が聞こえていました。終了後に「オレ、今からこんなに泣いちゃってどうしよう。親父になったらどうしよう。」と顔を涙でぐちゃぐちゃにしている男性も(カップル)。
私も他の方々と同様、泣いていました。「泣かされた」とか「泣けた」のではなく、自然に涙が流れてきました。
看護学生時代に実習で一人の妊婦さんに出産まで関わらせていただいた時のこと、私が結婚して二人の娘を授かったこと、(医療ミスで母子共に生命の危機に見舞われました)、次女が摂食障害になり、半年間母子入院をして面会謝絶で過ごしたこと、夫の障害(重度のアスペルガー症候群)がわかった事、そして職場のパワハラをきっかけにうつ病になり自殺願望にさいなまれたこと、そしていまうつ病とともに生きている私は9月末に余命数日と宣告され、1日1つだけやり残したくない事をしてあとは極力消耗を避けるようにと主治医から言われて今日まで生きています。「生まれる」に出会えて幸せです。感謝します。
2010.11.09 投稿者:丹羽さゆり(サリイ)
結婚して4年半、赤ちゃんをなかなか授かることができず不妊治療に通っていました。
周りからは「赤ちゃんまだなの?」「何で作らないの?」などいろいろと言われました。
時には「子供の作り方知らないとだろう†」とまで言われたりもしました。
先の見えない治療に精神的にもつらくなりしばらく治療をお休みしようと夫と話し合い、治療を休んで2か月目のある日、胸の痛みで婦人科を受診。
なんと、なんと妊娠による胸の痛みだったのです。
初期の初期なのでまだエコーは1週間後に見ましょうと言われ
1週間後にエコーで確認すると小さな胎のうが見えました。
初めての妊娠で安定期に入るまではとても不安でした。
そんな私の心配なんて吹き飛ばすくらい妊娠経過は順調で予定日も10日も過ぎてやっと陣痛に!
しかし、子宮口が開かず病院についてすぐバルーンを入れました。
その日の夕方、破水…それでも子宮口が開かず…次の日には促進剤を点滴。
丸2日陣痛に耐え、子宮口は4センチから開かず、最初の頃は力が入って出てい
た羊水もでなくなり、最終的には緊急帝王切開に…
みんなからフルコース出産と言われました…
そんな中、元気に泣いて3400グラムの娘が誕生。
無事に産まれてきた娘を見て涙が止まりませんでした。
自分はうまれてすぐの赤ちゃんになんて声をかけるのだろうと思っていたのですが産まれてすぐ見せてもらったわが子になんとも普通に「可愛い!」と言っていました。
そんな娘も今月5カ月になります。
今でも毎日、夫とともに可愛いね、可愛いね†とカワイイの連発です(笑)
陣痛開始からずっと私に付き添ってくれた夫にも元気に産まれてくれた娘に感謝でいっぱいです。
これから家族3人で思い出をたくさん作っていこうと思います。
2010.11.01 投稿者:りーちゃんママ
25歳の時、長い長距離恋愛の末に結婚しました。1年は二人の生活を楽しみ家族を増やしたいと思っていました。 でもなかなか妊娠せず私の不妊治療生活が始まりました。 あとから結婚した友達や兄弟がどんどんパパやママになっていく。その度にお祝いを贈る時のなんだか複雑な気持ち・・・なんで私だけ・・どうして・・
若い子が望まない妊娠をして中絶をする話を耳にするたび、私は、神様っていないんだと思いました。
毎月つらい治療後、期待し、そして生理が来て泣きわめく・・その繰り返しをいったい何回経験したことでしょうか・・ある日泣きじゃくりながら実家の母に電話しました。やさしく慰めてほしかったからだと思います。ところが母は怒った声で「何が悲しいわけ?そんなに赤ちゃんができた友達が羨ましいって泣きわめくなら、その友達が、子どもがいなくて楽しそうで羨ましいって思えるような生活をすれば!」
と言われました。その母の言葉でなんだか目が覚めた気がしました。
主人の「子どもを作るために結婚したんじゃないから、お母さんの言うとおり2人で仲良く羨ましがられる生き方をしよう」という言葉通り2人で旅行に行ったり楽しんですっかり不妊という言葉を忘れかけてた頃、私たちのところにも天使がやってきました。
出産までにはいろいろありました。妊娠中何度もドキドキしましたがなんとか天使は私のもとに舞い降りてくれました。
その天使も14歳の真黒に日焼けしたサッカー少年に成長しました。やはり、努力はしましたが二人目の天使はやってきませんでした。
子育て支援・・話題ですが、子育てしている人にだけでなく、子育できる日のために頑張っている人たちにももっと、支援ができるやさしい政策ができるといいですね!
この映画には、たくさん頑張っている方が出演されていますね・・悩んでいるのは私だけじゃない!つらいのは私だけでない! 元気をもらえる気がします。
子どもがいる人もいない人もみんなが笑顔でいっぱいになる世の中であってほしいと
2010.08.05 投稿者:ゆうのおかん
33歳と1ヶ月を迎えた今日現在、妊娠9週5日になりました。
結婚したのは29歳。それから、2回の初期流産と2回の手術を経験しました。2年半の通院中、何度も「私は一生子供のいない人生を送ることになるのだろうか?」と不安になりました。友達から送られてくる、幸せそうな赤ちゃんの写真つき年賀状・・・おめでとうという気持ちはもちろんありましたし、友達が幸せなのは嬉しい知らせでしたが、反面、どうして自分は子供を授かれないのだろう・・・と悲しみを深める複雑なお正月を過ごしてきました。
10回のタイミング法、6回の人工授精を経ても全く駄目でしたが、このたび、漸く体外授精で命を授かりました。初めて赤ちゃんの心拍を確認した時、心音を耳にした時・・・感動がこみ上げ、思わず内診台の上で涙がこぼれました。まだ、出産までは長い道のりが待っています。でも、どうしても元気に子供を産んであげたいです。
ご存知の通り、高度不妊治療には、かなりのお金がかかります。地方自治体からの援助もありますが、実際の治療費に比べたら、まだまだ足りないのが現状です。私は幸いにも治療を受けられましたが、高度不妊治療という技術のある同じこの時代を生きていても、はっきり言うと、治療費を払えるか否かで、命を授かる機会が与えられたり、与えられなかったりするのです。
体外授精というと、よく知らない人には、「人工的に人間を造る」というようなネガティブなイメージをもたれてしまうかもしれません。しかし、実際には、受精卵がきちんと成長し、産まれてくるかは、その卵の自然な生命力のみに委ねられています。体外授精では、ちょっと精子が少ない人や、卵を排卵しにくい人の、「最初の精子・卵子の出会い(授精)のお手伝い」をするに過ぎないのです。
この映画には、不妊治療を乗り越えて出産された方も出演されていると知りました。
どうか、この映画を通じて、不妊治療に対する偏見が減り、高度不妊治療を受けたい女性が、お金のあるなしに関わりなくその機会を与えられる時代が来ますように(=不妊治療が保険適応になりますように)、願ってやみません。
2010.06.29 投稿者:たんたん
担任・上野先生の話
「本当に楽しそうに絵を書いていましたよ。全身絵具だらけになって。
最後には腕に黄色い絵具を直接塗ったりして。皆で大騒ぎ。
あっ、すみません。洋服のお洗濯大変ですよね」
「まったく~」
困った顔をしながら話を聞く私は 内心ほくそ笑んでいた。
息子が楽しんでいる姿を想像するのはとても心躍る。
そう、この子は結婚して16年目にようやく授かった大切なを私たち夫婦の宝物。
「子は鎹」とはよく言ったもので この子のお陰で私たち夫婦のきずなは一層深まり固くむすばれている・・・などと言うことは残念ながらない。
が、休日 親子で出かけた際 意見がまとまらず家族ケンカをしている時 口とは裏腹に幸せで涙がにじんでくる。
生意気盛りの10歳の息子と親子3人、こんな日が訪れるとは11年前には 想像も出来なかった。
いや、想像することをあえてしなったのだろう。心のどこかで 叶わぬ夢になるかもと恐れ、逃げていたようにも思う。
子供ができなくて 何が嫌だったか・・・
寂しいなどという感情より ひねくれていく自分がとても嫌だった。
友達より少し早く、22歳で結婚。
子供など 自然にできるものだと思っていた。
ところが 全く気配なし。
後から結婚した友人たちが次々と親となっていく。
「赤ちゃんができたの」頬をほんのり染め報告する友人たち。
私の心の中に小さな点ができた。
それでも最初のころはせっせと出産祝いを贈った。
それが何時ごろからだろうか、心の中の点は次第に大きくなり、友人たちの第2子の報告を受けた頃には巨大化した。
何だろう、このもやもやした心の点は。
ある時、子供が出来ない友人が「私、友達が妊娠したことを聞くと おめでとうとも思うんだけど 同時にとっても悲しくなるの」と私に打ち明けた。
そう、本当に その通り。
他人と自分を切り離せず 妊娠しない自分がかわいそうで悲しくてたまらない。
ひねくれていく私は 妊娠の報告を聞くと「まだ、出産するかわからないわ。流産ってこともある・・ね」などと考えるようになっていった。
友人の妊娠と私の妊娠とは関係ないのに。
妊娠しない友人の言葉で自分の気持ちをはっきり気づいた私は 本当に自分が嫌いになっていった。
落ち込んでいく私は すくようがなく、悲しみは深まっていくばかり。
それは、子供を持つ友人を羨むというより 妊娠している人を怨むような気持ちかもしれない。
不妊治療に病院通いをしても 妊娠はしない。
先生から原因も治療法も説明があるわけでもない。
排卵誘発剤を飲み タイミングを図る。
基礎体温を測っても 高温期間は2週間。
15日目には必ず下がってしまう。
生理がくるたび まるで流産をしたかのように 涙があふれ出た。
これまでの人生の中で これほど 思い通りにならないことがあっただろうか。
学生時代たいして勉強をしたわけではないので 良い成績をとった覚えもないが 親を困らせるほどの悪い成績でもなかった。
親のコネで就職をし、そこで知り合った彼と結婚。
順風満帆と言ったら気恥ずかしいが そうでないこともない。
順調に子供が授かれば文句なし人生ではないか。
でも、神様はここで試練を与えたのか。
16年、本当に長かった。
一世代前の親には悲しい言葉も投げつけられた。
今 考えればかなり言葉を選んでの発言だったとは思うが 子供ができないのなら養子をもらえば・・という発言は とても辛かった。
私は よその子を欲しがったのではない、夫の子供がほしかったのだ。
妊娠をしたかった。
40歳を目前に「50歳になった時後悔はしたくない」と病院を替え最新医療に大金を支払った。
雑誌に登場するような有名な先生に診療してもらうため何時間も待った。
注射を打ってもらうため朝一番電車に乗ったことも 仕事帰りに診療してもらい帰宅が10時過ぎたこともある。
そのかいあってか神様はようやくほほ笑んでくれた。
38歳でようやく妊娠。本当に嬉しかった。
その妊娠は私たち夫婦を幸せにしただけなく 私たちを囲んでいるみんなが喜んでくれた。
2010.05.24 投稿者:ナラヒラ
26歳で結婚、あたり前に自然に子どもが授かるものと呑気に構えていました。2年ほどたった時周囲から「まだ?」という声が聞こえ出し「とりあえず」受診したところ「卵巣にちょっと気になるものが…」と言われ精密検査したところ「悪性の疑い50%」の腫瘍が見つかり「もし悪性ならば卵巣、子宮とも全摘出」と医師からの説明…。
子どもどころか自分の命がまな板に載せられたのです。主人は動じることなく「まず自分の命でしょ」と即決してくれました。「跡取りは?」「自分達の墓守は?」なんていう私に「そのための結婚だったか?」とも言ってくれました。
手術までのわずかな時間に「初心」に帰り、二人でいることの意味を語りました。
結果として「良性腫瘍」すべて残すことが出来ました。その後1年して初めての妊娠は2ヶ月目での流産でしたが自分達の命を語りつくしたことで冷静に受け止めることが出来ました。
2度目の妊娠はそれから5年かかりました。その間周囲からのプレッシャーを感じることもありましたが「神の思し召しのままに」の心境で「私達が親になれると認められる日」を待ちました。
特別な治療は受けませんでした。
やっと私達を選んで生まれてきてくれた息子は何度も手術を受けなければならない重度の障害を持ってやってきました。でも手術のたびに「この子にこの世での役割があるのならば神様は必ず私達に預け続けてくれるはず」そう信じて乗り越えてきました。
その息子ももうすぐ親の手元から巣立つ年齢になります。今では何の制限も無く、学校を休むことなく元気に成長しました。自分がハンディを持つことを自覚し、他人に優しく接することを心がける癒し系の息子をみていると「これがこの子の役割」とさえ感じています。
何事にも強気で生きてきた若い頃の私達夫婦に「優しさ」を教えてくれる息子です。
2010.05.07 投稿者:かーさん
不妊治療を6年経験しました。
夫婦ともに検査では何も問題がなく、医師に「妊娠しないわけがない」と失笑されたことは1度や2度ではありません。
なのに、徐々にどんなに治療をステップアップしても、全く妊娠にはいたりませんでした。
長期になると、人生設計も立てられず、大きな転換を迫られることも多くなります。
「忘れた頃に妊娠するよ」「他のこと考えて気楽に過ごした方がよい」
周囲の人々には、そう何度言われたことか分かりません。
実際、その言葉で気楽になり妊娠したという話を聞くことは多く、私も治療を休憩したり、別の楽しみを模索してきましたが、あまりに強い願望は何をやっても頭から消えませんでした。忘れるなんてありえません。毎月毎月、未来の子どもを自分が殺してしまったような思いになり涙が止まりませんでした。
今、片手では足らない回数の顕微授精を経て、念願の妊夫婦生活を送っています。
失ったものや、傷ついた心など、リカバリが難しい問題は沢山あるけれど、それ以上に、奇跡がお腹の中にいることが本当に幸せです。
不妊治療には偏見もあり、子どもを「作る」ことのように言いますが。
長期に渡る治療を経験し、どんなにそれが高度でも、妊娠に至る入口の"補助"に過ぎないことを実感しています。
自然に妊娠した方々だって、その後の継続には医療の補助なしには過ごせなかった方は多いでしょう。
どんな子だって全ては奇跡なのだと感じます。
来てくれてありがとう、と、ベビーと目を合わせて伝えられる日を、今は心から楽しみにしています。
2010.04.28 投稿者:なみすけ
現在4歳、1歳のふたりの子どもがいますが、どちらも不妊治療を経て生まれた子どもたちです。
もとからかなりの生理不順で、婦人科に通っていました。
なので、子どもはかなり授かりにくいだろうな、とは思っていました。
(主人や実母・義母はそのことを知っていました)
そして結婚を機にすぐに不妊治療を開始。
でもそのときは、事情ですぐに授からなくてもいい状況でしたので、わりと気楽に構えていたと思います。
とりあえず生理を整え、3年後くらいに状況が整ったら体外受精・顕微授精が出来るように・・・と。
そこまで覚悟していました。
病院に通ってタイミングを見てもらい、3周期目に妊娠が判明。
嬉しい誤算でした。
そのあと無事に息子を出産。
次に治療を始めたのは、息子が1歳半のときでした。
都内でも有名な不妊治療専門病院が家の近くにありましたので、そこに通院。
しかし、授かることはなく、肉体的にも精神的にも限界を感じ、通院を中断。
4ヶ月のお休みをはさみ、今度は近所の一般の産婦人科に通院し始めました。
切羽詰って治療するのではなく、もっと気楽にやってみようと、考えた結果でした。
しかし妊娠の兆候はなく、さまざまな葛藤を抱え苦しい時期があり、カウンセリングを受ける機会がありました。
そこで、「『赤ちゃんが来たらもっと幸せになれる』のではなく、『赤ちゃんが来なくても、十分幸せだ』と思えるようにならないと、赤ちゃんは降りて来れない」と言われたのです。
それから、再度自分自身を見つめなおし、「なぜ赤ちゃんが欲しいのか?」という疑問を深く考えるようになりました。
その結果、まだいない赤ちゃんよりも、今ここにいる息子に対する想いを改めて、再確認することが出来たのです。
息子は、私にとってかけがえのない、なくてはならないスペシャルな存在だということ。
この子が毎日元気でいてくれて、健全に育っていてくれて、その笑顔をすぐそばで見ることができて、しかも「母ちゃん大好きなんだぁ~」と言ってくれる。
こんな唯一無二の命を授けてもらい、これ以上の幸せがあろうか?と。
私には、もう息子がいない生活は絶対に考えられません。
そう思ったとき、この子がいてくれればもうそれでいい。
心から、そう思うことができるようになりました。
そしてそのわずか1ヵ月後、妊娠が判明したのです。
あんなに出来なかったのに・・・2年苦しんだのに、自分自身を見つめなおした結果、こんな素敵な出来事が待っていました。
そして娘を無事出産することが出来ました。
もちろん、気持ちの変化だけで妊娠できたわけではなく、「治療しないと自然妊娠はほぼ不可能」といわれた私ですので、治療は不可欠でした。
諦めたときに出来やすい、そう私も聞いていましたが、諦めるなんてできないし、そんなのは詭弁だと思っていました。
気持ちの変化だけで妊娠できるなら苦労はしない、私もそう思います。
それでも、命を授かることはやっぱり奇跡なんだと、思いました。
そして、自分自身や家族を大切に出来ないで、さらには今生きていること、それすら感謝できないで、新しい命は授かれない、そう実感したのも事実です。
高度不妊治療をされている方はもっと苦しい思いをされていると思います。
私は私なりに不妊治療は苦しかったけれど、でもこれだけの経験をさせてくれたことに、今は感謝しています。
そして、私を母に選んでくれれたふたりの子どもたちに感謝をしています。
2010.04.19 投稿者:あい
28歳からお付き合いをして「もし子供ができたらできちゃった結婚もありだね」なんて言っていた
のですが、妊娠する前に30歳で結婚をしました。すぐに、子供が欲しいって思ってもなかなか
恵まれず・・・。とりあえず婦人科へ検査へ行ってみましたが、特に問題ないのとの事。
タイミング法や基礎体温などで様子を見ましょう。そんなこんなで2~3年はすぐに経ってしまい
ました。その間病院も何箇所か変えてみたりもしました。どこへ行っても同じようなことの繰り返し・・・。
体外受精は最終手段と考えていた私でした。しかし、年齢的に焦りも出てきてネットなどで調べ
不妊治療の最高峰とも言われる西新宿の某病院へ。
実際の感想としてはとても綺麗な院内で、不安や怖さなどは一切ありませんでした。
逆にこんなに沢山の方々が自分と同じ悩みを抱えているのだと思い勇気づけられました。
治療に通い約6ヶ月程で、妊娠することができました!
本当にうれしくて、もっと前に治療を試みればよかったと思ったほどでした。
が、しかし、9週目で心音が停止してしまい、流産をいう悲しい結果になってしまいました。
2~3ヶ月は治療の再開ができないとのことでしたので生理を見送り。
4ヶ月ほど経過して通院を再開。妊娠の兆候がまだ体に残っているためもう少し治療の再開は無理です。
とのこと。
8ヶ月くらい経過して、体も元にも戻り2回目の体外受精へ。現在妊娠9ヶ月です。
辛いこともありましたが、今は不妊治療(体外受精)をして本当によかったと思っています。
しかし、金銭面での負担も大きく繰り返し何度も行うことは経済的にも難しい現状があります。
一部の都道府県では助成金制度もありますが、ほんのわずかで回数も決まっていて思うように
治療に専念できない方が沢山います。
もう少し国が理解を示してくださると安心して治療に専念できるのではと強く思います。
2010.03.16 投稿者:まるこ




















