日本は、世界でも一番安全なお産ができる国になりました。しかし、現在、流産は全体の15%、死産は3%起こるといわれています。たとえ医療が発達しても助からない命が存在します。短かったけれども、命を全うしてお空に帰っていった赤ちゃんたちのお話をお聞かせください。
先日、流産を経験しました。
9月に愛知県刈谷市での上映会に主人と出かけることが出来、その後、妊娠がわかりました。
去年、妊娠がわかってすぐに流産していましたが、映画を観て癒されていたので、安心感で妊娠期間を過ごしていました。
つわりもなく、親孝行な子だとみんなから言われて、マタニティグッズも少しずつ揃えながら楽しみにしていたころ、12週に入ってすぐの検診で心臓が確認されないと言われました。
4日後にもう一度再検査しますので、それで誤診でなければ、手術をします。とお医者さんに言われました。次の日からの4日間、この子が助かるようにと、誤診だったと言われるようにと願いつつ祈り過ごしました。
主人と一緒に病院に行きました。やはり、心臓は確認されませんでした。一週間先延ばしも出来ますがどうしますか?と言われましたが、お医者さんにお任せしようと思っていたので、今日入院させてくださいとお願いしました。主人はビックリしていました。
主人と一緒に入院の支度をしにいったん家に帰り、姑に事情をはなし、入院しました。手術は翌日、陣痛を起こす薬を3回、3時間間隔をあけて入れて、午後にとり出す予定でした。それでも出てこない場合麻酔をかけて掻き出すということも考えて、翌日は朝食後から絶食になっていました。
朝9時、一回目の陣痛を起こす薬を入れて、部屋で待機。お昼前、二回目の薬を入れるために内診室に行くと、チュルンっと出てきてくれました。後の2回の薬は中止、もちろん、麻酔をかける必要もなく昼食もとって良いとのことでした。
薬の副作用で、嘔吐下痢があるかもしれないと言われていたのにそれもなく、それよりもなによりも、絹ごし豆腐のように柔らかいわが子が、形が崩れることなく、出てきてくれたことが本当に有難く、やっぱり親孝行な子だったんだ。感じることが出来ました。
病室に、真っ白な小さな箱に入ったわが子を連れてきてくれた助産師さん。お母さんも、この子も、偉かったねぇと褒めてくださいました。 目や耳、手の指や爪まではっきりわかりました。
手術後は、心身共に元気で、主人と笑ってテレビを観たり、話したりして病室でゆったりと過ごしました。
翌日は仕事だったため主人は夜遅く帰ったんですが、夜中、悲しくなって泣いてしまいました。
泣いたら一生懸命出てきてくれたわが子に悪いかなと思っていましたが、無理に悲しみから目をそらすとあとへ悲しみだけがずっと残るからとお医者さんにも言われ、病室のパソコンで「うまれる」のサイトを開き、「泣いていいよ」を何回も何回も繰り返し観て号泣しました。
隣室には、生まれたばかりの赤ちゃんがいて、「おめでとうございます!」とお見舞いの方が出入りしていましたが、お構いなく泣きました。
そしたら、私は悲しい思いをしたけれど、わが子にいろんな事を気づかせてもらえた。
また、「うまれる」の映画を観ていたからこそ、私は、不安を感じることなく妊娠期間を過ごすことが出来た。だから、つわりもなかったし、形そのままで出てきてくれた。感謝だなぁって。
今年3月に実父が亡くなりましたが、わが子を父に預けようと思いました。 昨日、その父が火葬された同じ火葬場で、火葬していただきました。また、いつの日か私達のところに帰ってきてね、と。
素晴らしい映画を作ってくださった豪田さん、本当にありがとうございます。 長文すみません。
投稿者 :ポンカン
初めての子を16週で人工死産しました。
映画「うまれる」は職場の仲間に誘われ、近所で行われる上映会に行く予定でした。 しかし、妊婦健診の予定があったため、そのチャンスは見送りました。
妊娠4ヶ月に入ったところで、「胎児水腫」と診断され、赤ちゃんの存命率の低さを説明されました。 死産か、妊娠継続か、選択しなければならない。
「なんで私が」
そんな思いを抱えて、妊婦さんや小さな赤ちゃんを抱いた家族をうらめしく思った日々でした。 セカンドオピニオンを求めて違う病院にかけこみましたが、結果は同じ診断。 週数を追うたびに、浮腫みがひどくなる一方で、エコーで手を振ってくれる赤ちゃん。
苦しい決断でしたが、夫婦で出した答えは、妊娠継続を諦めることでした。
陣痛を起こしての出産でした。 波のように来る陣痛は悲しいものでした。 早く出てきて欲しい、会いたくない、相反する思いの中、息子はするりとお尻から出てきてくれました。 産声はなく、私と夫が叫び泣きました。
初めて息子と対面した時、たくさんの浮腫みを抱えた息子を見て、
「ごめんね」としか言えなかった。受け入れられていない自分が情けないです。
出棺の前夜、家族がくれた池川先生の体内記憶の本を読むことが出来ました。
息子に「ごめんねではなく、ありがとう、と伝えたい」 そう思うことが出来ました。
「なんで私が」ではなく「私を選んできてくれた」
そう思うと、息子が来てくれた意味を考えられるようになりました。 いつか息子に、どこかで会える日がきたら、もう一度ありがとうと言えるように。 生きていきたいです。
投稿者 :こころ
私には4人の子どもと生まれなかった2人の子どもがいます。
3人産んだ後の4回目の妊娠に悩んで悩んで、 やっと産む決心をしたと思ったら、5か月に入るころに その子の心臓(出産後肝臓も体の外にあったことが分かりました)が 体の中に納まっていないことが分かり、
その後1か月もしないうちに空に帰っていってしまいました。
そんな重い障がいを抱えていたためか、 生まれた時、もう5か月に入っていたのに 本当に小さな小さな赤ちゃんでした。
それなのに5か月もおなかの中で生きていた。
普段の忙しさにまぎれて、なかなか供養もしてあげられませんが、 よく頑張ったよね、と今でもふと呼びかけたくなることがあります。
その1年後、死産した子を妊娠した時と同じ時期に再び妊娠し、 経済的なこと、身体的なことを心配して 周りは皆産むことに反対しましたが
(ですが、その前の年に亡くなった父が、 母の夢の中に出てきて私の妊娠のことを告げていったらしいです その時、私は母には何も伝えてはなかったので、 父はあの世から応援してくれたのかなと思ってます)、
私にはどうしても中絶することはできませんでした。
今ではその子も4歳になりました。
死産した子は男の子、生まれた4番目は女の子、 性別こそ違いますが、 きっと、戻ってきてくれたんだと 私は勝手に思っています。
もう一人は4人目の後ですが、 多分2か月くらいで自然流産してしまったみたいです。 産婦人科でそう告げられました。
そのとき、仕事も家も忙しくて 気づいてすらあげられなかったことを 今でも後悔しています。
投稿者 :のりきち
【最新の体験談】
先日、流産を経験しました。
9月に愛知県刈谷市での上映会に主人と出かけることが出来、その後、妊娠がわかりました。
去年、妊娠がわかってすぐに流産していましたが、映画を観て癒されていたので、安心感で妊娠期間を過ごしていました。
つわりもなく、親孝行な子だとみんなから言われて、マタニティグッズも少しずつ揃えながら楽しみにしていたころ、12週に入ってすぐの検診で心臓が確認されないと言われました。
4日後にもう一度再検査しますので、それで誤診でなければ、手術をします。とお医者さんに言われました。次の日からの4日間、この子が助かるようにと、誤診だったと言われるようにと願いつつ祈り過ごしました。
主人と一緒に病院に行きました。やはり、心臓は確認されませんでした。一週間先延ばしも出来ますがどうしますか?と言われましたが、お医者さんにお任せしようと思っていたので、今日入院させてくださいとお願いしました。主人はビックリしていました。
主人と一緒に入院の支度をしにいったん家に帰り、姑に事情をはなし、入院しました。手術は翌日、陣痛を起こす薬を3回、3時間間隔をあけて入れて、午後にとり出す予定でした。それでも出てこない場合麻酔をかけて掻き出すということも考えて、翌日は朝食後から絶食になっていました。
朝9時、一回目の陣痛を起こす薬を入れて、部屋で待機。お昼前、二回目の薬を入れるために内診室に行くと、チュルンっと出てきてくれました。後の2回の薬は中止、もちろん、麻酔をかける必要もなく昼食もとって良いとのことでした。
薬の副作用で、嘔吐下痢があるかもしれないと言われていたのにそれもなく、それよりもなによりも、絹ごし豆腐のように柔らかいわが子が、形が崩れることなく、出てきてくれたことが本当に有難く、やっぱり親孝行な子だったんだ。感じることが出来ました。
病室に、真っ白な小さな箱に入ったわが子を連れてきてくれた助産師さん。お母さんも、この子も、偉かったねぇと褒めてくださいました。
目や耳、手の指や爪まではっきりわかりました。
手術後は、心身共に元気で、主人と笑ってテレビを観たり、話したりして病室でゆったりと過ごしました。
翌日は仕事だったため主人は夜遅く帰ったんですが、夜中、悲しくなって泣いてしまいました。
泣いたら一生懸命出てきてくれたわが子に悪いかなと思っていましたが、無理に悲しみから目をそらすとあとへ悲しみだけがずっと残るからとお医者さんにも言われ、病室のパソコンで「うまれる」のサイトを開き、「泣いていいよ」を何回も何回も繰り返し観て号泣しました。
隣室には、生まれたばかりの赤ちゃんがいて、「おめでとうございます!」とお見舞いの方が出入りしていましたが、お構いなく泣きました。
そしたら、私は悲しい思いをしたけれど、わが子にいろんな事を気づかせてもらえた。
また、「うまれる」の映画を観ていたからこそ、私は、不安を感じることなく妊娠期間を過ごすことが出来た。だから、つわりもなかったし、形そのままで出てきてくれた。感謝だなぁって。
今年3月に実父が亡くなりましたが、わが子を父に預けようと思いました。
昨日、その父が火葬された同じ火葬場で、火葬していただきました。また、いつの日か私達のところに帰ってきてね、と。
素晴らしい映画を作ってくださった豪田さん、本当にありがとうございます。
長文すみません。
投稿者 :ポンカン
初めての子を16週で人工死産しました。
映画「うまれる」は職場の仲間に誘われ、近所で行われる上映会に行く予定でした。
しかし、妊婦健診の予定があったため、そのチャンスは見送りました。
妊娠4ヶ月に入ったところで、「胎児水腫」と診断され、赤ちゃんの存命率の低さを説明されました。
死産か、妊娠継続か、選択しなければならない。
「なんで私が」
そんな思いを抱えて、妊婦さんや小さな赤ちゃんを抱いた家族をうらめしく思った日々でした。
セカンドオピニオンを求めて違う病院にかけこみましたが、結果は同じ診断。
週数を追うたびに、浮腫みがひどくなる一方で、エコーで手を振ってくれる赤ちゃん。
苦しい決断でしたが、夫婦で出した答えは、妊娠継続を諦めることでした。
陣痛を起こしての出産でした。
波のように来る陣痛は悲しいものでした。
早く出てきて欲しい、会いたくない、相反する思いの中、息子はするりとお尻から出てきてくれました。
産声はなく、私と夫が叫び泣きました。
初めて息子と対面した時、たくさんの浮腫みを抱えた息子を見て、
「ごめんね」としか言えなかった。受け入れられていない自分が情けないです。
出棺の前夜、家族がくれた池川先生の体内記憶の本を読むことが出来ました。
息子に「ごめんねではなく、ありがとう、と伝えたい」
そう思うことが出来ました。
「なんで私が」ではなく「私を選んできてくれた」
そう思うと、息子が来てくれた意味を考えられるようになりました。
いつか息子に、どこかで会える日がきたら、もう一度ありがとうと言えるように。
生きていきたいです。
投稿者 :こころ
私には4人の子どもと生まれなかった2人の子どもがいます。
3人産んだ後の4回目の妊娠に悩んで悩んで、
やっと産む決心をしたと思ったら、5か月に入るころに
その子の心臓(出産後肝臓も体の外にあったことが分かりました)が
体の中に納まっていないことが分かり、
その後1か月もしないうちに空に帰っていってしまいました。
そんな重い障がいを抱えていたためか、
生まれた時、もう5か月に入っていたのに
本当に小さな小さな赤ちゃんでした。
それなのに5か月もおなかの中で生きていた。
普段の忙しさにまぎれて、なかなか供養もしてあげられませんが、
よく頑張ったよね、と今でもふと呼びかけたくなることがあります。
その1年後、死産した子を妊娠した時と同じ時期に再び妊娠し、
経済的なこと、身体的なことを心配して
周りは皆産むことに反対しましたが
(ですが、その前の年に亡くなった父が、
母の夢の中に出てきて私の妊娠のことを告げていったらしいです
その時、私は母には何も伝えてはなかったので、
父はあの世から応援してくれたのかなと思ってます)、
私にはどうしても中絶することはできませんでした。
今ではその子も4歳になりました。
死産した子は男の子、生まれた4番目は女の子、
性別こそ違いますが、
きっと、戻ってきてくれたんだと
私は勝手に思っています。
もう一人は4人目の後ですが、
多分2か月くらいで自然流産してしまったみたいです。
産婦人科でそう告げられました。
そのとき、仕事も家も忙しくて
気づいてすらあげられなかったことを
今でも後悔しています。
投稿者 :のりきち
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