胎内記憶の体験談 の全体験談 |
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上のおにいちゃんは下の子が生まれたとき、小学1年生でした。7歳離れています。
妹が生まれたのをきっかけに、この約5年色んなお話をしてくれました。
『神様がね、好きなママをえらびなさい。ってゆうの。ママ電車待ってたね。みえたよ。
ぼくママに決めたんだ。神様が『何月に生まれたいですか?』って聞くんだよ。何日かってゆーのは、
神様が決めるから、僕は決められなかったの。その時がきたら、神様が行って来なさい。ってゆうの。
そしたら、天使と下に降りるんだよ。あぁぁもう一回、ママに入るときの・・アレやりたいな。ママの背中から入んの。背中の羽根をとってね、スーーってママの背中のほうから入るんだよ。』など。
何回にも渡ってお話してくれます。でも、こちらからアレコレ聞くと、
『知らない。覚えてない。』と、言います。
確信したのが
私が、雲の上で妹がわかったの?と、上の子に聞くと
『うん。だって、ぼくがママの所においで!っていったんだもん。で、ママのトコに行くとき、妹に『先に行くね。またね。』っていったの。』と話してくれました。その何ヵ月後かに、何気に
下の子に『お空の上でも、お兄ちゃんにあった?』と、聞くと
『うん。あのね・・おにいちゃんね、『さきいくね!またね!バイバイ!』って、居なくなったんだよ!!』と・・・すぐ、上の子が『ね、いったでしょ?!』と・・・
少し鳥肌ものでした。兄妹で共通の雲の上での記憶があるようです。
私も思い出したいなぁぁ。
2010.09.06 投稿者:ひなた
娘が2歳を過ぎた頃、ママのお腹の中はどうだった?と聞くと、娘は「ぎゅ~ってされて、つるんってででたの」正直びっくりしました。確かにお産は安産でしたし、ホントにつるんってでてきたので。覚えてるもんなんですね。
2010.08.20 投稿者:きき
3歳半になる息子が、寝る前に突然話し始めました。
「ママ大好き~」と言ってそのあと、「○○くん(自分の名前)ね、ママのお腹を取っちゃったんだよ」と。
面白い話が聞けそうで、メモを取りながら聞いていました。
以下、本人の話した言葉です。
【お腹に入る前】
・○○くんね、ママに会いたかったんだ~
・○○くんがお日様に、ママのお腹取ってくださいって言ったんだ
・きらりん(星?)と遊んでた
・観覧車がいっぱいあって、きらりんのお友達乗ってた
・ちっちゃい○○ちゃん(妹の名前)いた
・公園さんもいた、電話さんもいた、ペンギンさんもいた、お友達もいた
・ちっちゃい頃はきらりんになってて、おばけにもなってた
・足がなくて、ちょっとへっこんで小さくなってた
【お腹の中】
・ママのお腹は黄色かった
・お腹をあけて遊んでたけど、ママ痛かった?
・お腹から見たら、誰かいたよ
・パトカーの音、救急車の音が聞こえたよ
・食べ物がいっぱいあった
・冷蔵庫の中には(?)ジュースしか入っていない
・ジュースはいっぱいあるんだよ(羊水??)
・お菓子は何にもない
【産まれる時】
・開けてくださいって言ったら、ダンダンの人(??)が開けてくれた
・踊りながら(こうやって)出てきた
・出てくるときはめっちゃ小さかった 今はこんなに大きい
・小さいお布団で、一人で寝てた
・茶色い色の箱に入ってた
・お友達はまだ上にいて、服着てた
ちなみに2歳10ヶ月の時には、こんな風に言っていました。
・お腹の中で寝てたよ
・起きたよ
・歩いて行ったよ
・登って行ったよ
・オレンジな感じ
・黒い感じ
・硬かった(出てくる時??)
やっぱり胎内記憶ってあるんだ~、ママを選んできたって本当だったんだ~と、ますます息子がいとおしくなりました。
2010.08.05 投稿者:mari
4歳の長女が夕飯の時にいきなり
「ママのお腹の中ってござみたいなのがあったよ!ときどき冷たかったよ!それからあの電気(電球)みたいなのがあったよ!
それから、ママのおしっこが鼻に入ってくさかった!」
「ママの声は聞こえたけど、パパの声はよく聞こえなかった」
ママのお腹の前はどこに居たの?と聞くと、
「お家だよ!このお家。違うママもいたけど、やっぱりママがいいな~と思ってママのお腹に行ったんだよ!」
とのこと。
胎内記憶、不思議ですね!
2010.07.16 投稿者:miyuchika
胎内に入る前~産道を通る時?の記憶です。
わたしは夕日につつまれたような村で穏やかにくらしていました。
そこはこどもだちだけが暮らす村です。
順番が来ると 神様 が迎えにきます。
わたしもその村の友達を見送ってきました。
ある時 わたしの順番がくると 村の市場のようなところにある大きなバケツの前でみんなとお別れをします。
そのバケツに入ると 真っ暗でとてもきゅうくつで息も出来ません。
ずーっと落ちていくあいだ こわいよーって思って耐えていると、光が見えてうまれる。
そういう夢を小さい頃よくみていました。
バケツの上にはざるでふたがしてあるんです。
よく、こどもがざるをかぶって遊ぶと次の子が生まれる合図っていいますよね?
不思議です!
2010.06.25 投稿者:mayumi
6歳の息子がいるのですが、一年ほど前から私が「おなかの中にいたときのこと、覚えているの?」と寝る前に尋ねると、その内容を話してくれるようになりました。
「おなかの中は、赤くて狭く、こうやっておなかを押していたんだよ~(手でそとにおなかを押し出すジェスチャー)」などと答えてくれました。
しばらくは、そのような内容だけだったのですが、昨日お風呂に入っているときふと私が聞きたくなって、「ねえ、おなかの中に入る前はどこにいたの?」と聞きました。
すると「お空の雲の上。神様と一緒にいたよ」と言うのです。「お空の上は白くって、世界中の人がいる。神様がだっこしてくれる」「神様はサンタクロースみたいにひげがある」などというのです。私は絵本などで神様が出てくるような内容のものを読んだこともないし、神様の容姿や存在についてもしっかりと話したことはなかったので驚きました。
また、「じゃあどうしてママのところにきたの?」という問いには「うーん、わかんない」といっていました。
また私は「子供をたたいたりいじめたりするようなママが最近は多いのだけど(虐待する母親の意)どうして神様はそんな人に赤ちゃんをあげるの?死んだりするんだよ」と聞きました。すると、「神様はそういうママにはもっともっとかわいい赤ちゃんをあげるんだよ」と言うのです。どうして??と聞くととてもたどたどしく、うーん、えっとお、などといいながら「もっとかわいいといじめなくなるから」というようなことを言っていました。(きっとこの質問の答えを表現するのはむずかしいのでしょうね)
息子の拓海は、作り話をこのように長く話す子供ではまったくないので(私が知る限り)私はびっくりしました。また、悪いことをする人生を生きると死んだときに神様に怒られるそうです。
この話を聞いて、やはり神は存在するし何か使命をもって人間は生まれてくるのかもしれないと私は実感しています。そして命は本当にすばらしくきらきらと輝きをもっているものなのだ、と改めて感じました。今日も明日も、希望をもって明るく生きて生きたいと思わせてくれたエピソードでした。
2010.04.24 投稿者:ayaokabe
上の息子(4歳)が、3歳になったばかりのころです。
なにげなく、「○○はどこから来たの?」と尋ねてみました。
胎内記憶というものを息子が持っているのかどうか確かめたくて、これまで何度か似たようなことを尋ねたことはあったのですが、そのたびにまったくトンチンカンなことを言ったり、全然別の話をしだしたり・・・だったので、息子は覚えてないものだと思ってました。
なので、このときも同じような反応だろうとまったく期待せずにいたら、
「○○はねぇ、雲の上にいたんだよ。それでねぇ、すべり台からね、登って、階段からずーっと、降りてきたんだよ!」
と言ったのです。
これはもしや・・・よく耳にする「雲の上にいて降りてゆくお母さんを待つ赤ちゃんたち」の図!?
もしかして、こういうことには鈍感そうな息子も覚えているってこと!?
と、かなりドキドキしながら、でも話の腰を折らないように続きを聞いてみると、
私:「すべり台から降りたんじゃないの?」
息子:「違うの、階段から降りたんだよー。」
私:「どこに降りたの?」
息子:「下に、とんって降りたの。」
私:「それで、それからどこに行ったの?」
息子:「うーんとねぇ・・・どこに行ったのかなぁ・・・」
夫:「母ちゃんとこ?」
息子:「そう!母ちゃんのおなかに行ったの。」
だそうです。
途中夫が口を挟んでしまったので、誘導尋問のような話になってしまいましたが・・・。
さらにびっくりしたことに、息子がこう言いました。
息子:「それでねぇ、降りて、またすべり台登って、もう1回降りたんだー。階段で。」
私:「え?○○は2回降りてきたの?」
息子:「そう、2回降りたの。」
どうやら私のところに来たのは2回目みたいです。
1回来たんだけど、またすぐ戻っちゃったということらしいのです。
へぇぇ~・・・と、夫とふたり、いたく感心してしまいました。
というのも、実は息子を妊娠する前、一度「もしかして妊娠?」というときがあったのです。
そのあと、
「○○はね、ふたりなの。」
「もうひとりの○○は、あっちにいっちゃったの。」
と、よく分からない話をしていました。
これが本当の話なのか、正直よく分かりません。
でも、きっと息子が生まれてくる前に持っていた記憶だと信じたいです。
私のところに降りて来てくれたことも、1度戻ったけどもう1回来てくれたことも。
なんだか、不思議で感動したこの日の出来事でした。
今度は下の娘(1歳)がもう少し大きくなったら、また聞いてみたいです。
2010.04.17 投稿者:あい
上の子(3歳)に「ママのお腹にいた時の事覚えてる?」と聞いた時に「覚えてるよ」と。「どんな感じだったの?」と聞いたら「あったかかった~でも暗かった・・・」と言ってました。ちなみに「ママのお腹から出た時は覚えてる?」と聞いたら「まぶしかったーあと苦しかったー」と言ってました。
下の子がきちんと話せる様になったら聞いてみようと思います。
2010.03.05 投稿者:可愛い姫達の二児の母
子供の胎内記憶ではないのですが…。
次男を産んだ後から、自分が赤ちゃんの頃の記憶が戻り始め、胎内記憶も戻りました。
今ではお腹の中に居た記憶が当たり前のように思い出せます。
あまりに記憶の量が多すぎて、何を書けば良いのかわかりませんが、母や家族みんなの一生懸命な気持ちが私の中に残り、それが子供たちにつながっていくようにと与えられた記憶なのだと思っています。そして、助産師を目指している自分へのエールなのかなぁと思っています。
息子たちにも、「お腹の中はどうだった?」と聞いてみようと思います。
思い出せなくても、覚えているはずだから…。
あの青く広い世界が懐かしいです。
2010.03.01 投稿者:良
結婚して5年の間に、合計5回の流産を経験し、うち3回は2008年に連続して経験しました。
授かるのに育たない、わたしはいつになったら子供を抱くことができるのだろうか・・・。
産婦人科に行くたびに泣きじゃくる私を、主人は眼に涙をためて無言で抱きしめてくれました。
主人も同じ気持ちだったと思います。
すこし子供のことは忘れよう、そう考えていたある日の夜、夢をみました。
わたしが幸せそうに赤ちゃんを抱いている夢。起きたとき、なんだかすごくあったかい気持ちになり、仕事帰りに検査薬を試すと、なんと陽性!!
嬉しくてすぐに主人に報告しました。
妊娠5ヶ月にはいったとき、交通事故に遭いました。車が私に衝突。おなかをうちました。
もうだめかと思いました。妊婦ということもあり搬送先を数件断られ、高速に乗り遠くまで運ばれました。幸い、おなかの中の息子は元気で、すごく安心しました。
いろんなことがあって、迎えた出産の日。予定日9日超過し、誘発分娩でした。
赤ちゃんに会える、その一心で陣痛に耐えること1日。
努力もむなしく、回旋異常で緊急帝王切開となりました。
主人も立会いし、ずっと手を握ってくれました。
お腹を切開し、先生がおなかを押すと、もう一人の先生がずるずるっと赤ちゃんを引き出す感覚がわかりました。瞬間、大きな産声が・・・。3930gの、大きな男の子でした。
やっと会えた、たくさんのつらいことを乗り越えて、私たちのもとにやってきた、ピンク色のきれいなお肌をした、とっても元気な男の子。
今9ヶ月になり、毎日たくさんの幸せと元気を与えてくれます。
2010.02.27 投稿者:ぶぶちゃん
去年、2009年05月20日
第三子となるはずだった、私の娘は、
400gで産まれ、そのまま天国に旅たちました。
第一子も第二子も何の問題もなく、無事に産まれ、
久しぶりの妊娠でもあり、特に何も問題なんて・・・・・と
思い呑気に出産を楽しみにしてました。
妊娠五ヶ月に入った頃の検診の際、
主治医の先生がどうも、胎児の足の長さが短すぎるといわれ、
胎児専門医を尋ねて欲しいといわれました。
何?何? 何でわたしがそんなところへ?
はじめはそんな感じでした。
あまりにも主治医の先生がすすめるので、
いく事にしました。
そして、結果、
お腹にいた私の娘は
致死性骨異形成症と大脳変形症と診断されました。
臨月まで持たないだろうと言われ、まして、産まれても
数時間の命、仮に生きたとしても、病院での生活と言われました。
何がなんだか、頭の中は真っ白でした。
胎児専門医の先生は、人工死産をされるなら、
もう、時間はありませんと言われました。
泣きながら、叫びながら、何度も何度も苦しみました。
そして、主人は、この子はあきらめようといいました。
頭では納得しても、心では納得できませんでした。
今でも、異なる選択をしてたらと思う日々が続いてます。
なぜ、こんな残酷な選択を神様はなぜするんだろうと思いました。
そして、何故か通常出産の人たちと同部屋にされて、
(※これは、なんでそうされたのか今でもわかりません)
人工死産をして、彼女は永遠に私たち家族の傍から
旅立ってしまいました。
その後、PTSDになり、睡眠障害とめまいになやまされ続けました。
世の中には、本当に、断腸の思いで人工死産したひともいるってことが
あんまり知れてないのが、私は本当に不思議でした。
命の大切さを、一番、嫌って言うほど感じました。
2010.02.09 投稿者:すーらん
私は、助産師を目指している高校3年生です。
私にはもうすぐ4歳になる女の子のいとこがいます。
お腹のなかにいたときのことを憶えている子がいることは知っていたので、いとこが2歳の時に聞いて
みたのですが、その時はどう表現すれば良いのかわからなかったらしく、答えてくれませんでした。
でも最近になって、「お腹の中にいた時に何か見えた?」と聞くと、「おへその穴からパパが見えたの。」と言いました。「おへその穴から何か見えた?」と聞いたわけではないのに、なぜおへその穴から、とわざわざ言ったのか不思議でなりませんでした。
他にも「雲の上は気持ちが良くって、寝てた」、「羽をつけて飛んできたの」、「お腹の中からお母さんの声が聞こえた」、「(お腹から出てきて)最初にお母さんと赤ちゃんのベッドが見えた」、「空の上にはこどもがたくさんいた」など・・・こんなことを言うのは初めてでしたが、真剣にちょっと恥ずかしそうに話してくれました。
またゆっくりリラックスしている時に聞いてみたいと思います。
2010.01.28 投稿者:あっすー
はじめまして。
こちらには18トリソミーの虎ちゃん経由でたどりつきました。
下記の記事は私が住む街のマザーズクラブ雑誌に投稿させていただいたものです
そのままの文章をこちらにも投稿させていただきます。
我家の二男はダウン症です。
ダウン症の子を授かり「命」の尊さを実感しています。
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2008年11月23日 午後7;12 3262g 二男誕生。
3時間17分のスピード出産、丸々太ったかわいい赤ちゃん、生まれて間もないのに強い力でおっぱいを飲んでくれてとても感動した事を覚えている。
肌の色がちょっと悪いなと思っていたらNICUに移りますと言われた。分娩時間が早すぎると肺の中にたまっていた水が抜け切れず呼吸が上手にできなくなるという症状、よくある事例なので心配いりませんと説明があり、あまり気にはしなかった。
あくる日、保育器に入ったわが子に面会、「新生児呼吸障害」と「感染症」。数日後には「黄疸」退院の日が近づいて来ても保育器から出られる気配がない二男。
結局私が先に退院、それから毎日3時間おきに母乳をしぼり病院に届け1日2回の面会、保育器の中の小さな穴を通してのオムツ替え、こんなに近くにいるのにどうして抱っこできないんだろう、どうしておっぱいをあげられないんだろう。。。そんな事を思いながら退院の日を待ち望む毎日。
退院も近づいたある日、担当医から話があるのでご主人と一緒にお願いしますと案内され、医師の口から出た言葉は
「お子さんを見て何か変だな?と思った事はありませんか。。。。」
「ダウン症はご存知ですか、まだ検査はしていませんがダウン症の疑いがあります」
背中が凍りつくとはこのこと、それまでダウン症に関する知識と言えば特異な顔立ち、知能の遅れ、短命。。。。それ以外のダウン症の知識はゼロに近かった。
第一声は「ごめんなさい」泣き崩れ、なぜ普通に生んであげられなかったんだろう、私だけ、私のせい、何かの罰なんだろうか。戸惑いと悲しみ。
医師からダウン症に関しての説明は、「ダウン症の子供はとてもおだやかです、46染色体があるうちの21番だけが3本なんです、その他は正常です、なのでしっかりご両親のDNAは受けついでいます。」 ダウン症って自分達とは全く違う細胞の子供ができてしまうと思っていた、でもそれは間違えだった二男は1本だけ多く染色体を持って来てしまっただけ。
1本多いだけです。。。の話に戸惑いと悲しみが消えた。
医師との面談が終わりNICUにいる二男の元へ。(この頃は保育器から出て自力で母乳が飲める状態になっていた) どんな体でも私たちの元に来てくれた事がとても嬉しく、保育器を通してではなく直接抱っこできる喜び、授乳できる喜び、染色体異常といわれているのに強い生命力でこの世に誕生した二男、あれだけ泣いたのに甘い香りにつつまれた赤ちゃんを抱っこして、一生懸命おっぱいを吸う姿を見たらそんな事はどうでも良いと思うようになった。
その後、染色体の検査結果が出るまで約3週間、気持ちは落ち着き覚悟もできていた。覚悟というかダウン症だからどうだっていうんだ、ぐらいの気持ちになっていた。結果、告知があった時は冷静に受け止め、次は何をすべきかと考えた。まずは「ダウン症児親の会」に入り、そのときに出会ったのがこの詩、ダウン症児を持つ親御さんなら誰でも知っている。
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天国の特別な子供
会議が開かれました
地球からはるか遠く
(また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ)
天においでになる神さまに向かって天使たちは言いました
この子は特別の赤ちゃんで たくさんの愛情が必要でしょう
この子の成長は とてもゆっくりに見えるかもしれません
もしかして一人前になれないかもしれません
だからこの子は下界で会う人々にとくに気をつけてもらわなければならないのです
もしかしてこの子は走らず笑わず遊ばないかもしれません
この子の思うことは誰にもわかってもらないかもしれません
なにをやっても うまくいかないかもしれません
そしてこの子は一人前でないといわれるでしょう
ですから私たちはこの子がどこに生まれか注意深く選ばなければなりません
この子の生涯が満足すべきものであってほしいのです
どうぞ神さま この子のためにこんな両親を探してあげてください
神さまのために特別な任務を引き受けてくれるような両親を
エドナ・マシミラ「天国の特別な子供」より
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この詩にはげまされた人々がどれだけいるのだろう。
子供は健康(健常)で生まれてくるのがあたりまえだと思っていた。
「出生前診断」が簡単にできるようになった現在、もし妊娠中出生前診断を受けていたらはたして私はどうしていたんだろう、答えはでないまま。
当たり前のように健常で生まれてくる赤ちゃん達、当たり前じゃない時もある。どこから異常でどこから正常?どこまでが標準で、どこからが標準外? みんな違って当たり前。
お腹に授かった命はこの世に出たくてやってきた赤ちゃん。今回の出産で命の尊さを知り、生まれて来てくれた事に感謝。そして育児の楽しさをかみしめている毎日。
ダウン症の打診をされ、何かの罪だと思った自分が恥ずかしい。二男に対してこれほど失礼な事はない、私達を選んで生まれて来てくれたのに、あんな事を一瞬でも思ってしまった、無知とは恐ろしい。友人にこのことを話した時、彼女はこう言った。「罪ではなくプレゼント」
これほど嬉しいものはないプレゼントを授かった。1/1000の確立で私たちの元に来てくれたラッキボーイ。
素直にダウン症という現実を受け止められたのはパパと長男のお陰、彼から出た言葉「ちょっとぐらい違う方が可愛げがあるよ」パパらしい一言。
きっときっとあの時は驚いたに違いないのに冷静に、ずっとずっと手を握ってくれた。
長男の存在も大きかった、ただいてくれただけで励みになり、心強かった。そして今もそう。
親となりまだ3年と少しの日が過ぎただけ、子供達と接することでこちらが学ぶ事が多いと思う毎日、彼らの成長をかみしめ、1日1日を大切にしたいと思う。
おわりに
1/1000の確立で生まれてくるといわれているダウン症児、まさか私達の元にやってくるとは夢にも思いませんでした。医師から打診のあった時はどうしてよいのかわからず、きっとジャカルタには戻れないと思っていました。しかしダウン症について理解するうちに特別な事をする必要はないという事がわかりました。(合併症などがある場合は治療が先決です)必要な事はスキンシップをとり沢山の刺激を与える事、要するに普通の育児と同じことをすれば良いという事でした。
ハンディキャップを持つ子のお母さんがこう言っていました。
「大変ですねと言われるけど、大変なことなんてない、私は普通に育児をしているだけ」
とても印象的な言葉でした。
おかげさまで二男はすくすくと育っています。健常といわれる子供達に比べると若干の遅れはありますが、毎日沢山刺激を受けています。お兄ちゃんのお友達そしてその兄弟達、ママ達。 順調に成長をしているのはきっと周りの皆さんのお陰です、いつも温かい目で見守っていただき心より感謝しています。
二男を授かる前はダウン症という言葉は知っていても知識は全くありませんでした。
ダウン症って何だろう
どんな子供が生まれるんだろう
なぜダウン症児が生まれて来るんだろう
どうして目がつりあがっているのかな?
どうして発達がゆっくりなのかな。・・
この原稿を読みダウン症に関して少しでも興味をもっていただけると嬉しく思い投稿させていただきました。
二男は1歳になりました。
2010.01.04 投稿者:nanas
はじめまして。
天使ママのブログで「インタビューを受けた」という内容があり、そこで初めて「うまれる」の映画製作について知りました。
私は、2年間産婦人科に不妊治療で通い、クロミッドと着床しやすい注射(薬名忘れました)を毎月うっては、赤ちゃんが来ない日々を送っていました。
しかし08年に妊娠。心拍を確認してやっと母子手帳をもらって。
初の3ヶ月健診で、エコーを見たら心拍が停止していました。
「子宮内胎芽死亡」
出血も前触れも何も無く、突然の出来事でした。
耐え切れず涙があふれ、止まりませんでした。
しばらく産婦人科の個室(出産後に泊まる部屋)にて休ませてくれました。
・・・が。
部屋に「出産おめでとう」のカードが置いてありました。
赤ちゃんとの突然の別れに追い討ちをかけられたようで、余計に悲しくなりました。
08年11月に子宮内清掃術を行いました。
その後、初生理後にもう次がんばっていいよと言われたので。
初生理後、またクロミッドと注射をしました。
そうしたら、すぐに妊娠。
今度は毎月妊婦健診を受けられました。
でも、だんだん赤ちゃんの成長が遅くなり。
平均より1週間小さい、2週間小さい・・・
そして妊娠7ヶ月ごろ。
1ヶ月程成長が遅れていましたので大学病院で検査するように言われました。
検査の結果。
13トリソミーと重度の心臓奇形でした。(長くなるので詳しくはブログ参照願います)
確実に長く生きられないのが分かるので、自然分娩にするかもう産むか確認されました。
少しでも会いたいので自然分娩に決めました。
そして9月。
37週2日目。朝に破水があり、夜中に産みました。
しかし、3時間21分にて天使となってしまいました。
がんばって呼吸してくれて。
カンガルーケアもできました。
最期までずっと、パパとママは側にいました。
赤ちゃんは少しでも幸せを感じてくれたか分かりません。
お腹の中から、余命を宣告されたようなものだったけれど。
最期まで本当に親孝行な子でした。
天使になった今でも私達にとっては大事な、最愛の子です。
「うまれる」って。そして普通に生活しているって、本当に奇跡なんだなって。
そう思います。
命は本当に大切で。
親にとって子供は本当にかけがえのないものなんだなって、そう思います。
映画製作、がんばってください。
沢山の天使ママ・パパの想いを、どうか皆様にお伝えください。
2009.11.10 投稿者:桔梗
私は助産師という仕事をしているため、以前から子供には胎内記憶があるということを聞いていました。そこで、実際に我が子2人にも聞いてみました。
「ゆうくん、ママのお腹の中にいた時のこと覚えてる?」と聞くと、「覚えているよ。」「ママの声聞こえてた?」「うん。」「パパの声は?」「なんか歌ってたよ」と答えました。当時、パパがお腹に向かって「わおー、わおー」というと、ゆうくんがモコモコこと動くのが面白く、パパがふざけていました。お腹の中のゆうくんはそれをパパが歌っていたと思ったのかと思います。その他、「お外はおへそから見えたよ」とか、ママをどうして選んだのと聞くと「ママが一番かわいかったから。ママにしたの」お腹の中にはどうして来たの」と聞くと、お空からママの所に来て、ママのところに着たら透明になって、小さくなってスーと入ったの」などと沢山の事を説明してくれました。
あーちゃんは「あーちゃんが始めに生まれてきようと思ったのに、お兄ちゃんが先に行っちゃったの」と。逆子だったあーちゃんは「お腹の中ででんぐり返しの練習したんだけど、できなかったよー。」と話ました。確かに羊水が少なく、しっかりはまり込んでいたようで、逆子が直らなかったのかなーと思いました。
2009.11.07 投稿者:ともりん
昨年10月に次男が生まれました。その1か月前に父を亡くしたばかりで、私たち家族に明るい光がやってきました。指先と横顔が父に似ているような気がしました。
保育の仕事をしていた私は、上の子は赤ちゃんができるとお母さんより早く何かを感じると聞いたことがあります。次男妊娠がわかる少し前、2歳9か月の長男は自分の赤ちゃん時代の写真やビデオをよく見たがりました。
ある日、長男妊娠中に水天宮にお参りに行った時の写真を一緒に見ていました。私が、「トモくんいないね。この時ママのお腹にいたんだよ」と言うと、「僕足から生まれた」と長男。逆子だった時期はあるけど、ちゃんと頭から生まれてきたし…と思ったその後、「ママの足から生まれたんだよ」と教えてくれました。それが一つ目の生まれてくる時の記憶でした。
長男出産の時、少し先にお産の済んだ妊婦さんの処置で、頭の少し出た状態でお医者さま待ちだったのを覚えていたのか、「赤ちゃんの出てくるところ、狭いから早く出してあげてね」…次男誕生の1か月ほど前でした。
そして、次男誕生の2・3日前、「赤ちゃんはリンゴ味のお水の中にいるんだよ」。
お腹の赤ちゃんがどんな状態でいるのか本を読んだり話してあげたことも特になかったのに、この3つの話は、驚きと感動でした。
お腹の上で長男がミニカーを走らせ胎動を楽しんでいたためか、最近ミニカーで2人で仲良く遊んでいます。
2009.11.04 投稿者:じゅんじゅん
はじめまして。私はもえ4歳とふうが2歳のママです。
姉のもえの話ですが・・・。
私『ねぇ、もえちゃんはお母さんのお腹の中に居たとき何してたの??』と聞くと
もえ「ぎゅーってしてたよ」三角すわりで足をギューっと持っていました。
私『それで??』
もえ「バチャバチャしてたよ。それで、ムニュムニュしたの触ってた。」
どうも、へそのをを触っていたようです。そうゆう3D写真をもらったことがあるので。
もえ「それで、一人で寂しかったから早く出たかったの・・・。」
そうなんです。もえは27日が予定日だったんですが、16日に産まれてきたのです。
私『どうやって、でてきたの??』
もえ「スッポーンって。」
これも、正解(笑)なかなかでてこなくて、先生にお腹を押してもらって、スッポーンと出てきたのです。
本当に驚きました。
それから、胎内記憶とはちがうんですが、二人目を妊娠してもえにお腹をさすりながら「この中に赤ちゃんが居るよ」と教えると、もえは「ふぅちゃん、ふぅちゃん」と・・・。
『あかちゃんだよ?』と言っても、「ふぅちゃん」としか言いませんでした。
お空の世界で会っていたんですかね?
2009.11.01 投稿者:もえとふうがのママ
胎内記憶といえば
甥っ子が幼稚園くらいの時だったでしょうか
実家に遊びに来ていたときに子守をしていて寝かしつけようとしていた時です。
すでに、その時わたしは漠然と「胎内記憶」というものを知っていたので
「もしかすると・・・」と思い
甥っ子に「○○○はお母さんから産まれる時どんな感じだったの?」というようなことをたずねてみました。
すると甥っ子は布団の中に潜り込んで丸まって
「こうやってね~」と言いながらグルンと回りながら布団の外に出てきました。
『おお~回旋しているわ~。これはホントに記憶があるのかもしれないな』と感じたことを思い出しました。
その甥っ子も既に高校生です。その時の事を覚えているか聞いてみたいです。
それから10年くらいたって遅ればせながら私も母親になりました。
事情があって未婚シングルでの出産です。
妊娠した時点で「産むなら未婚で」と決まっていましたが、そのお腹に宿った命を諦めることは
一度も考えませんでしたし、また周囲の反対も殆どなく恵まれていたなと感じます。
一番理解を示してくれたのは私の母親でした。
内心は複雑だったでしょうが、未婚で生むしかない妊娠を告げたときも、また妊娠中不安だったときも、
産後の子育ても本当に味方になってくれた母をみて
「ああ、親とはこんなに有難いものか」と実感させられました。
もしかすると、息子は私に「親の有難さを分からせるために産まれて来たのではないか?」と思うほどです(笑)。
その母がわたしが妊娠したと告げたときに話してくれたことですが
「2~3日前におばあちゃん(父方の祖母で数年前に無くなっています)が夢に出てきてね~
『○○(父の名前)を婿養子にまでやったのに、あんたの家には次の跡取りが居ないからかわいそうだし、
私が行って手伝ってやるよ』って言うのよ~。
で私が内心、そんな年寄りが来ても何の手助けにもならないな~と思いながらも
『そうですか、ありがとう。でもあばあちゃんもう死んでいるし、どうやって手伝ってくれるの?』って聞いたら
『そこは、上手い事やるから大丈夫。ちゃんと目印も持っていくから、私だって分かるはずだ』って言うから、もしかして娘の誰かに(私は4姉妹の長女で妹達は既婚者です)また子供が出来るのかな?ってその子を家の養子にでもくれるのかしら?って思って期待していたんだけど・・・まさかあんたのところだとは・・・確かに長女だし家の跡取だから間違いないわね~」って笑ってました。
後日談として、
産まれてきた息子には左頬に小さな痣があります。
あと、耳がすごく特徴のある形をしています。
これがおばあちゃんの言っていた目印かどうかはわかりませんが・・・
それから、私も子供の父親も血液型がA型なのですが
息子はO型です。
夢に出てきたおばあちゃんもO型でした。
ただの私の母親の夢の話なのですが
この話のおかげで父も「自分の母親の生まれ変わり」と言われれば
無理に出産に反対することも出来ず(笑)、とても息子を可愛がっています。
こんな、状況で産まれてきてくれた息子はきっと
「寂しそうなお母さんを助けなきゃ」って私を選んでくれた気がします。
息子ももうすぐ2歳になります。
だいぶ言葉も出た来たので、そのうち胎内記憶を語ってくれる日がくることを期待して待っています。
2009.10.30 投稿者:あちゃ
私は不妊治療で息子を授かりました。
顕微授精で1回目のチャレンジで授かりました。
とてもありがたいことだと思っています。
妊娠しているかを病院に確認しにいく朝、夢で男の子が取り上げられている夢をみました。
本当に夢で教えてもらう事があるのだととても幸せな気持ちで病院の待合を待っていた記憶があります。
その息子も今年には3歳、おしゃべりをするようになっています。
お風呂で胎内記憶の質問をした事があります。
「お腹の中でなにしてたん?」と聞くと
お風呂の水をぱちゃぱちゃと叩き、「きもちいい」といっていました。
息子は胎動が激しくて内臓も蹴られた事があったので泳いでたのかなって思いました。
数ヶ月たってからまた同じ質問をしてみると「覚えてる」といって
「え~ん、え~んって。」と言って泣く真似をしていました。
それを聞いて、顕微授精の時に卵を2つもどしたのに息子しか着床していなかったから
もう1つの卵ちゃんがいなくなった事をいっているのかなって思いました。
まだ、言葉のボキャブラリーが少なくて、聞いてもごにょごにょとわからない事をいっているので
またすこしたってから記憶がある前に聞いてみたいと思っています。
2009.10.07 投稿者:きっぺ
昨年6月に、第3子の女児を死産しました。ちょうど10ヶ月目でした。1週分くらい小さいとは言われていましたが、上の息子娘もそう言われ1週予定日をずらしたけれど、予定日より早く、体重も3000g前後で、五体満足で生まれていたので、気にしていませんでした。
身体が小さく奇形がありました。解剖はしていません。口唇口蓋裂、性器の奇形、耳の奇形(片耳が小さい、片耳は大きく副耳がある)が確認されました。
素人なりにインターネットで原因を調べたのですが、染色体の異常だったのかもしれないと、解釈しました。
それよりも何よりも、辛く悲しい出来事だったけど、それでも10ヶ月も頑張って、皆に幸せをくれた、命の強さを教えてくれた…感謝の気持ちでいっぱいになりました。「次は元気で産んであげるね」悲しみも、そんな気持ちで乗り越えてきました。子供達とも、そう励まし合いました。子供達がそれぞれ七夕の短冊に「赤ちゃんがよみがえりますように」と書いてくれたのが、とても嬉しかった。
奇形の報告は、夫と私の母にだけしました。すると母から、次の妊娠は考えるなと電話が来ました。私の実家は田舎で、非常に保守的な土地柄です。もし私が奇形児や障害児を出産すると、実家や親戚に何か良くない事が起こると、全てそのせいにされかねない(実際、そんな噂があるようです)…また、おば(父の妹)の第3子が、口唇口蓋裂で生まれました。おばの長女の第2子は、足に奇形があり、生まれてから数回手術を経験しています。母が言うには、それらも祖父はよく思っていないとの事です。なので私が祖父母に軽蔑されかねないという不安があるからです。涙が出てきましたが、私は「うん」とだけ答えました。
夏休みに帰省した際も、今度は面と向かって、念を押されました。この時も私は、「うん」としか言えませんでした。
それでも赤ちゃんを迎えたい、取り戻したい、元気に産んであげたいという気持ちは強まる一方でした。
夫は「(自分も含め)皆がこんなに悲しい思いをするなら、もう子供はいらない」と思っていたようです。でも、何度か夫婦で話し合い、「自然に授かるなら、産もう」と言う気持ちになりました。
母の反対に関しては、実際に妊娠すれば、喜んでくれるだろうと思うようになりました。相談した人の多くが、そう言ってもくれていました。私も大分前向きになりました。
とにかく去年は辛かった。同時期に妊娠した友達が、無事出産。それ以外でも、数えたら10人の知人友人が赤ちゃんを迎えたのです。私のような思いはさせたくない。友人の妊娠話を聞けば、死産した娘に「守ってあげてね」とお願いはしていました。元気に生まれたと聞けば勿論安心しました。「ありがとね」と言いつつ、「私だけ、赤ちゃんを抱けなかった」悲しみに襲われていました。だから、夫が味方になってくれたのは、私にとって「希望の光」でした。
そうなると、母に私の意志を伝えなくてはと思いました。GWに帰省した際の帰り際、「もしご縁があったら、もう一人産みたいんだけど」と言いました。母は「またそんな事を…」と怪訝そうな表情。父は苦笑い。やっぱり反対の様子でした。それでも、意思は伝えた、育てるのは私達、妊娠すれば喜んでくれると期待しました。
それから約一ヵ月後、死産から約一年たって妊娠が判明し、妊娠3ヶ月で両家の両親に妊娠報告をしたのですが、奇形児(または障害児)の出産を心配する母から、中絶を促されました。母が第三子を反対する理由は、まだあります。上の二人に手がかけられなくなる事と、透析をしている義母の負担が増える事です。
五月生まれの第二子の娘の里帰り出産の時、私の実家は農業で忙しく第一子である息子の遊び相手にもなれず、私も息子も、頼れる人がいませんでした。二人とも、精神的に不安定でした。
私の入院中は、夫がいてくれたのですが、退院に合わせて帰宅。息子はやきもちと赤ちゃん返り、私はストレスを抱え、散々な姿を見せて心配をかけてしまったと思います。息子がまた辛い思いをする、子供が三人だと、一人が親の愛情を得られない、とも言っていました。
今や息子は小学一年生、娘は年中。二人とも「赤ちゃんがよみがえる!」と赤ちゃんの誕生を心待ちにしていて、里帰り出産はしないので、赤ちゃん返りしても何とか乗り越えられると思っていました。子供が親より多いなら、皆で一つになればいいじゃないかと思いました。
義母には、そんなに甘えようとは思っていませんでした。ただ近くに住んでいて、お互い(義母も子供たちも)会いたがっているので、義母の都合が良ければ、平日週末を問わず遊びに行ってました。私は親孝行のつもりでも、年中遊びに行くのは義母に甘えすぎで負担になってると、母は思っていたのかもしれません。でも、その言われ方はショックでした。
産後私が家事をするのがきつければ、サポート制度を利用するつもりでしたが、母にしてみれば、義母が多少無理をしても手伝わない訳が無い、義母の身体に負担になるのでは申し訳ない思いがあるようです。
それから、家がバタバタしていると、夫が仕事で疲れて帰宅しても安らげず、育児放棄されるのではないかという不安もあるようでした。
母にもせっかく余裕が出来て、私が子供の時には出来なかった家族旅行などをしたかったのに、赤ちゃんがいたら出来なくなる。経済的に帰省も難しくなる。
とにかく母は不安だらけでした(母の意向とは言え私は高校で下宿を始めたので、親離れが早く、母は寂しかったのかとも思います。父親を4歳で、母親を19歳で亡くしたので、余計そうなのかもしれません。)。
それよりも何よりも、やはり奇形児や障害児を出産した時の、家族や周囲の反応が、一番の反対要因なのだと思います。母は義母に、泣く泣く「何とか諦めさせてくれ」と訴えたようで、義母も、「はい」としか言いようがなかったそうです。そんな母の不安と涙に、義父母の気持ちが中絶に傾くのは仕方なかったと思います。
七夕の後の話し合いは、結局、夫に私が中絶するように決断させろという雰囲気でした。その雰囲気にも、私は負けてしまったのだと思います。
もし出産を選択すれば、私の実家と絶縁になってしまいそうな状況でした。私が赤ちゃんを諦めると言わざるを得ない状況でした。夫は、(してほしくないけれど)両家の実家と絶縁する覚悟があるなら、協力すると言ってくれました。でも、私もそれは、出来ません。
夫に、中絶すると母に伝えてもらいました。母は安心していたようです。
私も諦めようと思ったのですが、どうしても、せっかく授かった命を奪いたくない気持ちが消えません。
また、立て続けに、楽しみにしていた赤ちゃんを失ってしまう子供たちの心も心配です。
(出生前診断である程度の異常がないと分かったら)養子縁組や里親を探した上で、実家に内緒で産んでしまおうか…でも、自分で育てられないと分かっていて産むのは許されるか。
実家に内緒にするということは、夫の家族や夫、子供達にも一生負担になるだろう。どんな人達に育てられるかも分からない。
産んだ子供を手放して、自分は我慢できるのか。でも、命を奪ってしまうよりは、良いのではないか?
最終的には、私が、私たち夫婦が決めねばならない事。(中絶すると伝えてしまってはいたのですが…)
結局、中絶してしまいました。そして、納得した上の同意書のサインだったのですが、入院してから今まで、日に日に後悔の念が大きくなっています。
毎日を楽しく、笑いながら過ごしてはいます。
でも、誰かに自分の気持ちを聞いてもらえないのはストレスです。夫には話していたのですが、赤ちゃんの話をすると私が泣いてしまうのが辛いからやめようと言われてしまったのと、最近仕事が忙しくて余裕が無いので、話さなくなりました。メールで気持ちを打ち明けたのですが、返事が無いので、まだ余裕が無いのだと思います。友達には、中絶してしまって、それをを後悔しているなんて、話しにくいです。妊婦友達との接触を極力避け、子供達を叱る時に、中絶の後悔をぶつけるかのように怒ったり怒鳴ってしまったり。自己嫌悪の日々です。
胎話士、南山みどりさんに、赤ちゃんの気持ちを教えてもらいました。夫と、中絶する病院探しに行く直前です。
前夜に池川先生のお返事を拝見して、みどり先生のHPを拝見し、すがる思いで携帯電話に連絡しました。
運良く、そのまま20分ほどカウンセリングをしていただきました。みどり先生もご多忙でいらっしゃるのに、ご縁があった事を嬉しく思いました。
みどり先生は、(去年死産した娘だけでなく)天使の赤ちゃんには、負の感情は一切無い。赤ちゃんは、自分の寿命をわかってお腹にやってくる。私のお腹の赤ちゃんは、自分が私を悲しませているのがたまらない。
私はこれまでの人生で、重要な決断を、母(時には父、親戚や先生でもありました)の意向を尊重して、諦めたことが何度かありました。
今回の中絶騒動も、田舎の旧家に嫁いで、その生活や環境に縛られ苦労してきた母を、出産によって生じるかもしれない苦しみから救う為でした。
赤ちゃんは、これからは私は私の人生、母は母の人生を歩いたら…と言っていたそうです。
そして嬉しかったのは、今回の赤ちゃんは、去年死産した赤ちゃんだったのです。
しかも彼女は「チャレンジ赤ちゃん」で、私たち夫婦が望めば、何度でも来てくれると言ってくれたのです。
最初に行った隣の市の病院は中絶を扱ってなく、仕方なく地元で探す事にしました。
近所の産院は高額過ぎて(70万程)、その次の産院は、週数が経ちすぎて(12週近かった)扱えない、最後に聞いた産院で30万程で出来るというので、お世話になることにしました。皮肉にも、今回の妊娠で「ハイリスク妊娠」という事で、門前払いされた病院でした。
ここまで中絶する病院が決まらないのは、産みなさいって意味じゃ?と思いました。思いたかった。
でも夫は、「今回は皆で話し合って諦める事にしたんだから。会社には中絶する旨伝えているし、今日は中絶する病院探しで会社を半休しているんだから、今更それは出来ない」と。
あんなに苦労して頑張って旧家を切り盛りしている母を、悪者にはできない。産むなら、両家と絶縁するしかない状況。それは私もしたくありませんでした。
「これが最後(の妊娠)だと思ってないから」という夫の一言で、私も決心した中絶。でも、そういう言い方は、ショックでした。
結局、連休明けの7月21日(火)に入院し、皆既日食に沸く翌22日(水)に処置。12週3日でした。前後の出産ラッシュが、新生児の産声が、たまらなく辛かったです。
翌日退院し、日曜日に息子と3人(娘は幼稚園行事で不在)で火葬に立ち会いました。
8センチの赤ちゃんはとてもみずみずしく、胎盤も納めてあり、このままお腹に戻せば育つんじゃないかと思える程にきれいで可愛かったです。戻せるものなら、お腹に戻して育てたい。どうしてこんなに可愛い子の命を奪ってしまったのか。
母を助けるにしても、何か別の手段があったのではないか。夫も私も望んでいたのだから、もっと産む方向で、不安を取り除くことを考えられなかったか。
義父から、「こんなに問題が起こっているのは、何か大きい問題の前触れという事も考えられる。皆に祝福されて生まれてこられないのは赤ちゃんにとって幸せか」と言われました。今となれば、中絶してしまった方が、私の気持ちに一生残る傷が出来ますと言えば良かったと思います。両親と兄姉が祝福してくれるなら十分です。でも、
言えなかったのが事実。
義父母は、母が賛成してくれるなら、出産にも反対はしないというスタンスでした。奇形や障害も、事故みたいなものと思う。でも、去年死産した娘に奇形があったのなら、今回は奇形や障害を持つリスクが高まるのではないかと言っていました。出生前診断があるという話はしました。でも、義母は母から、とにかく諦めさせてくれと涙
ながらに懇願されたそうです。私の味方にはなれなかったと、最近聞きました。
去年死産した時は、引っ越した友人が、予定日で12日違いでした。お互いメールで近況報告し合い、励ましあっていました。
今回は、幼稚園の友人が、中絶した子と近い予定日で妊娠しているようです。夏休み明けに幼稚園に妊娠報告したようですが、私は彼女と妊娠の話題に触れたくなく、何となく避けつつ、自分が苦しくない程度に少し会話をしています。
これも何か意味があるんだろうなと、考えたりします。
まだ赤ちゃんを望む気持ちは大きいです。
年中の娘の入学以降の出産なら、二人を放課後の小学校での指導「はまっこ」に預けられるし、産後の家事サポートサービスも利用すれば、夫や義母の負担も少なくなるはずです。
奇形や障害については、したくはないけれど、完璧ではないけれど、出生前診断もあります。
産みたいです。
どうしたら母に認めてもらえるか。
中絶したままでは、産むなと言われたままでは、ストレスで息子や娘を怒ってしまうし、母や義父母に対して心を開けないままです。開きたいけど、開きたくない。自分からは連絡したくない。それくらいのわがままは許して欲しい。そんな気持ちです。
赤ちゃんの事を、夫と話せるようになりたいです。話せない状態では、夫とも何となく距離がある感じです。「話せない=夫はもう赤ちゃんを望んでいない、夫はもう私の味方ではない」そう思えてしまうのが辛く悲しいです。話せない自分にも、これでいいのかと言う思いはあります。
こんなもやもやした気持ちを解消する為に、読書を始めました。
先週は、胎児の成長に関する本や、出産・育児エッセイ、胎内記憶。
なかでも、今回の中絶の根本的な問題解決には、「『家族神話』があなたをしばる」と「母は娘の人生を支配する」、これらの2冊の視点が有益に思えました。
私と母が関係を改善させて、お互いを理解・尊重できるようになればと思います。
そして、また赤ちゃんを迎えたいと思います。
2009.09.20 投稿者:ぱきぱき
娘が二人います。お嬢、5才と姫、3才です。
下の娘、姫が先天性心疾患を患って生まれてきて、頭では理解できてても、気持ちがどうもついてこないとき、考えててもしかたないのに、
「何が原因だったんだろう、、、」
って落ち込んでしまうことがありました。
夫からは
「原因とかいろいろ言われてるけど、5000人に1人の割合で生まれてくるもんだから、気にすんな」
と言われても
「やっぱり私のせいかな。あの時の夜更かし?あの時のカップめん?もしかして、あの時の、、、」
って考えてしまうこともあり、何かわかることはないか、私が納得いくことがないかとよくネットでいろいろ調べていました。
生まれてすぐに手術をして、すっかり元気になった姫ももう3才。
一見何も病気にも見えない「内部障害」を持つ姫。
元気に育ってくれたらそれでいい。
そう思ってましたが、また再手術の話がでて、落ち込んでいた時のことです。
5歳のカトリック系の幼稚園に通う姉、お嬢が、ある夜、布団の中で、私に
「どうして、私がお母さんから生まれてきたか知ってる?」
と聞いてきました。
「それはね、お母さんのお腹に入る前は、雲の上で神様と一緒にいたの。
私以外にもいろんなお友達がたくさんいてね、みんな天使みたいに羽がついてるの。
お母さんは「かわいくて、やさしい女の子が欲しい」ってお祈りしてたでしょ?
だから神様が私にあのお母さんのお腹に行きなさいって言ったので、雲から降りてきて、お母さんが寝てる間にスルってお腹の中に入ったの。
だから私が生まれたのよ。
自分でお母さんを選ぶ子もいるし、神様がお母さんを選ぶ子もいるけど、私の場合はお母さんが私を選んだのよ。知ってたでしょ?」
神様と一緒に雲の上にいて、、、、どこかで聞いた話だなって思ってましたが、以前からお嬢に名前の由来を聞かれて、
「かわいくて、やさしい女の子に育ちますようにって名前をつけたのよ」
って話してたし、カトリック系の幼稚園に通ってるからそんな絵本でも読んでもらったのかなっと思ってました。ある日幼稚園の先生と話す機会があって、この話をしてみましたが、「いいえ、幼稚園ではそんな話をしたことはないですよ」。
じゃあ、お嬢の話は一体?
その時ふと思い出しました。
ネットで心疾患の子が生まれてくる原因を調べてた時にヒットしたHPの内容を。
胎児記憶。誕生記憶。
子供はまれに生まれてくる前の記憶やお腹の中での記憶を覚えてる子がいるってことを。
よく
「神様がこのご両親なら大丈夫って選んで病気の子を託すんだよ」
「神様は何人かに一人は病気の子を作らなきゃいけなくて、神様がこのご両親なら大丈夫って病気の子を託すんだよ。」
「病児は親を選ぶ」
という話を聞いたことがありますが、正直、慰めのような言葉でしか受け取れていませんでした。
でも、お嬢の言葉が本当なら姫はやっぱり私を選んで生まれてきて、自分の運命をちゃんと理解して生まれてきてるのだ!と思うと親としての責任感、使命感がふつふつをわいてきました。
この子は自分の病気をちゃんと理解している。
そして私たちを必要としてる。
くよくよしてる場合じゃない!
サポートしていかなきゃ!
今までそんなこと話してこなかったお嬢が突然この話をしたのはほんと不思議ですが、
「このこと、大人になったら忘れちゃうかもしれないけど、今はちゃんと覚えてるよ。」
とよく私に話していました。
私の気持ちが落ち着いてきた今、お嬢はあまりこの話をしなくなりました。
そしてこの話から半年たった今、お嬢にこの話を聞いてみると
「えっ?生まれる前の話?私知らないよ。」
「神様がいて、雲の上?う~ん、覚えてないよ。前は覚えてたかもしれないけど、今はわかんない。」
と言います。
記憶力のいい娘でいろんな話を覚えているし、少し話せばすぐに思い出すのに、この話だけはどんなに話しても覚えてないといいます。
これもまた不思議な話です。
Mary
2009.09.20 投稿者:Mary
一度、こんな質問がしたいと思っていました。
胎内記憶ってあるのですね。
いま、息子は中学三年生になりましたが
幼い頃に私に話しました。
ママのお腹の中。。
「ドン♪ドン♪って音がしていたよ」
ママのお腹の中。。
「赤くて広かったよ」
それから、驚いたのが
「ぼくね、天国で神様の家で順番に並んでいる時に横入りしたんだよ。
どのお母さんのお腹にいこうか、みんな順番で並ぶんだけど
前にいた子の前に入ったの。
だから、ママのところに来れたよ。」
と、言いました。
何度聞いても、嘘じゃないと言います。
こんなことも本当にあるのか不思議に思っていましたが、息子を信じてあげようと思いました。
でも、なぜに、、横入り(笑)
そして、私と息子には同じ場所にそっくりのエクボがあります。
生まれてすぐくぼんでいました。
それを見た時はすごく愛らしくて、私の子に間違いない、、と思ったのですが。
私自身も、産む数日前に産んだ子供と同じ顔をした赤ちゃんの夢を観ました。不思議でした。
しばらくたって、息子がいいました。
「神様が、このエクボがママとぼくとの印だって!」
なんか、少し怖くなりましたが。
あるかもしれない、天国の赤ちゃん順番待ちセンターのような場所を信じたいと思います^^。
2009.09.11 投稿者:エクボ
胎内記憶かどうかさだかではありませんが…。
子どものころから私はよく話す子どもでした。
母や周囲の大人から「口から生まれてきた」と言われるほどでした。
ある時、母にこう言ったそうです(自分でも覚えています)
「あのね、Tちゃん(弟)とお腹の中にいて、じゃんけんをしたの
それでちっちは言葉をもらったの。
Tちゃんはからだをもらったんだよ」
「出てくる順番もTちゃんとじゃんけんして勝ったからちっちが先だったんだよ」
今から30年以上も前のことですが、何度も何度も母に伝えていたことを覚えています。
そして、2歳年下の弟は自閉症でほとんど言語を持ちません。
その代り大病というものをしたことがありません。
虫歯さえほとんどない健康体です。
私自身は、手術を4か所、こまごまとした病気が常に続いていて医者と縁が切れない生活をしています。
母や弟には申し訳ないですが、自分たちで自分の運命を決めてきたのかな…と思っています。
そして、今。
流産を2回続けてし、その子たちがどんな運命を記憶してきたのか…。
知りたいと思います。
2009.08.29 投稿者:ちっち
現在、海外に住む4歳児と7ヶ月の男の子をもつ母親です。
3日前に長男が出産前の話を始めたので、お友達にもその話をしたら
池川先生の事を紹介して頂きましたのでこちらに投稿させて頂きます。
3日前の朝、長男と次男が笑いあいながら遊んでいる声で目が覚めて、
ボーっとその様子を見ていましたら、長男が突然
長男(T)「ママ知ってる?A(次男)は天国でT(長男)のお友達だったんだよ。
天国で一緒に遊んでいたからAはTの所に来たんだよ。」
母 「本当?!」
T:「他にも赤ちゃんが沢山いたよ。他の赤ちゃんもTと一緒に来ようと
したんだけど、他のママの所にいったんだよ。
Tはママを選んでママのお腹に入ったんだよ。」
母:「どうしてTはママを選んだんだろう?」
T:「それはママがいいママだからだよ!」
そして、その次の日も、
T:「Tのパパとママは天国にもいたんだよ。」
母:「それはどんな人だったの?」
T:「Tのパパとママは、サバンナみたいに髪が長くて、
長~い杖を持っていて、青くて長い服をきていたよ。
天国のパパとママがパパとママを選んで、タイキも決めたの。」
確か西洋美術では、聖母マリアやキリスト、天使など聖なるものは
青い服を着て描かれている場合が多々あるので正直驚きました。
その後に天国のパパとママの絵を書いて、といったら
T:「ほらー、これ昔の人がよくかぶってるぼうしがあるじゃん!」
と言って中世の教会の司祭者のような長い帽子をかぶっている
男性と女性の絵を書いてくれました。
ちなみに我が家はクリスチャンでもなんでもありません。
他にも昔は自分は女だったなど前世の事?をたまに言うことがあるのです。
(仮面ライダーも好きですが、プリンセスやピンクが大好きな男の子です。)
1年前に夜中のトイレで起きた時にも「Tは昔、お空にいた。上のほう、上のほう」
「パパとママを選んできたんだよ」と言っていたのを覚えています。
主人は「どっかでそんな話を聞いたか読んだりしたんだろう、、」と言って信用して
くれませんが、私は彼らが自分達の意志で私たちの子供として生まれてきてくれた事、
そして、私達を選んだ事は何か意味があると信じたいです。
2009.08.05 投稿者:toko
あれは、2005年の12月のことでした。
図書館で見つけた「お母さんをえらぶ赤ちゃん」(ジョナサン・ケイナー著)
という本を読んだわたしは、
ある夜、お風呂の中で
幼稚園の年少さん(4才)の娘に、
「ねえ、☆☆ー」(☆☆=娘の名前です)
「ママのおなかに来る前に、どこにいたの?」
と、半分期待しながら、軽い気持ちで、訊いてみました。
すると、突然、隣にいた長男の○○(6才の年長さん)が
よくぞ訊いてくれました!というふうに
だーっっ!っと話しはじめたのです!!
瞳を爛々と輝かせて☆
「うんとね!むこうではね!
とっても気持ちが良くて、しあわせでね!・・・・・・」
「うん!それでそれで?!」いきなりの展開に
興奮する気持ちををおさえながら
わたしは訊きました。
私:「むこうって、どこ? どんなところなの?!」
長男:「うーん、天!天のうえ!」
私:「むこうで、天で何をしていたの?」
長男:「ピンクとかきいろとか、みずいろとか、きれいな色の
はくちょうさんとあそんでいたの!」
長男:「それでね、そこは すごくいいにおいがするんだよ」
長男:「あんまりしあわせすぎて、たいくつで、たいくつで、
それで○○、こっちにきたんだよ!!」
私:「ふ~ん!!」
感心するやら、感嘆するやら、驚きでした・・・!!
そして極めつけ、
私:「それで、むこうには神様がいたの?」
長男:「いないよ!」
私:「えっ?!そうなの?!(???あれ?本と違うぞ!?)
(神様みたいな人が)いるんじゃないの?!」
長男:「いないよ!」 「かみさまは いない。」
「だって!」 「○○が かみさまだから!」
威厳に満ちた表情で。「自分が神様だ」と断言する長男。
わたしはとんでもない応えに
(は?!???)と放心状態。
長男:「みんな かみさまだから。」
私 (は~??? は~???((理解不能!!!)))
長男:「ようちえんのみんなはむこうでもいっしょだったよ!」
「△△がいっしょだった!」(ようちえんのクラスメイトのお名前で、
特に仲が良いわけではなく、
家でこの子の名前が出たのは初めてでした)
長男:「こっちでは、みんなグループわけするのがよくないんだよ!」
「グループわけするから、よくないんだ」
(確認するように、またわたしに教え、諭すように、何度も言ってました)
私:「それで、みんなどんな姿だったの?
○○はどんな格好だったの?」
長男:「姿は・・・ ない!!」(これまた断言!)
私(え~~っつ???え~~っつ???わからない~~××!!)
となりには 長湯でふやけている妹☆☆、
でもわたしももっと聞きたい!
長男からはどんどん話しが続きそうなので、
「ちょっとまって!お風呂でたら、また話しきかせて!」
そう言って、急いでお風呂からあがり、
パジャマに着替え、
走ってノートとペンを取りに行き、
インタビューを続けました。
さて!どんどん聞かせて~!!♪♪
長男にノートとペンを持たせて(強制的に!です!(××)!)
私: 「ここに描いてちょうだい!!」
長男: 「何を?」
私: 「むこうで○○はどんな姿だったか、描いてちょうだい!!」
長男: 「だから、姿は無いんだってば!!!」
私: 「姿が無いって、 どおゆうことお~~???!!!」
長男: 「だから~、無いんだってば~~・・・」(困ってます)
私: 「とにかく!描いてちょうだい!!」(かなり興奮してます(××))
「イメージでもなんでもいいから、とにかく描いて!!」
強制的にペンをにぎらせ、描かせたものが、こういう絵です!
それは、羽をつけた、天使??(かなり絵はヘタです)
昆虫の羽のような・・・
そして、その羽には
みんな金色か、銀色かのラインが入っているとのこと。
○○の色は?と訊いたら、
「○○は銀色」だったそうです。
私: 「大きさは?」
長男: 「ちっちゃい!こお~んなに!ちっちゃい!」
両手の指を、(親指と人差し指)
4本あわせて、くっつけて、ほとんど、すきまはありません。
(そりゃあそうですよね、「姿はない!」んですから!(××))
むりやり絵に描かせて、いま思うと無知でひどい母親だったな~と反省です!
それから、
「どうしてママのところに来てくれたの?」
という質問に、
「上から見ていたんだよ。
そして、白い建物があって、みんなで見に行った。」
「たくさんのお部屋があって 覗きに行ったんだよ。
いろんな部屋を覗いて、それで、みんなそれぞれ、おかあさんを決めるんだよ。」
というようなことを、言っていました。
私: 「ほかに、ママは何してた?」
あ: 「バスに乗ってた」
私: 「え? バス?!」
(う~ん・・・。当時は意味不明××。でしたが、
なんと!この4月から、ママは高速バスに乗って、都心まで通っています!)
どうして、ママをえらんだの?
という質問には
「やさしそうだったから」だとか。
これもまた、ピン!と来なかったのですが・・・!!(笑)
「ママのおなかに来るときは、どうやってきたの?」
「遠いの?!」
長男:「遠いけど、近い。
すぐ来れるから。」(一生懸命泳いできた、ようなことも言っていたような・・・。
すみません、あいまいです・・・××)
「途中で木星で休憩してきたんだよ!」
私:「?木星??」(これまた壮大なことをいうなあ~・・・)
長男:「うん。こうやって、座ってたんだ。」(足を組み、その上にうでを乗せ、
あごを手の甲で支えるポーズ。
「あご杖」とでも言えば・・・?)
「水星にも行ったよ!」
私:「へ~」(それしか言えない・・・××!!)
長男:「太陽にも行ってきた!」
私:(・・・・・・)
「それでそれで?!」 ←(理解できず、話しを変えるわたし。)
私:「ママのおなかに入るときは大変だった?」
あ:「けっこうたいへんだった。
なかなか いいところが みつからなかった」
(いいところっていうのは居心地の良いところ?!
この子の妊娠がわかったすぐあとに、
わたしは大出血を起こして、入院しました。
病院では、「残念だけど、よくあることだから、」と、
慰め(?)られたくらいの出血だったようです(××)
それでも、長男は無事にうまれてきてくれました。)
その時のことをすぐに思い浮かべました。
私:「ねえ、おなかに来たけど、
また帰っちゃう子もいるでしょ?
そんな子は・・・どうなの?また来るの?」
長男:「ううん、だいたいは来ないよ。
でも、(同じ子が)来ることもある!」
私:「お母さんはどういうふうに考えればいいのかな?」
長男:「明るくしてればいいんだよ。
ばいばいって手を振って。
ありがとう、またねって。」
その子は苦しくもないし、来るときより、戻るときのほうが
ピューンと、早く戻れるそうです。
来るときは、ちょっと泳いだり、するのかな?
そんなようなことを言っていました。
そして、赤ちゃんをなくしたおかあさんには、
「「また来てね!」ってつよくつよく思っていれば、
必ず来る!!ぜ~っったい来る!!」
と断言してくれました。
天での話しを、「よく覚えているね~」と言ったら、
「ちがうよ!一生懸命、思い出しているんだよ!!」と
教えてくれました♪
わたしも、「思い出すんだ!」と努力すれば、
もしかして・・・?!
2009.07.07 投稿者:achumama
胎内以前の記憶だと思うんですが・・・
私は10年前に中絶手術をしました。
全身麻酔で処置をされているときに見た夢です。
私は雲の上にいました。
そこから、虹色の滑り台にのってずっと滑り降りてゆく・・・という夢です。
その、滑り台には、後ろで待っている女の子が2人いました。
すぐ会えるからと言って滑り降りていきました。
そうしてしばらく滑っていると真っ暗な闇の中に入っていく夢でした。
怖くて目が覚めました。
初めての麻酔で思い出したのでしょうか・・・
その当時は嫌な思い出でしかなかったのですが、本を読ませていただいて、もしかしたらと思いました。
ちなみに私には妹が2人います。
2009.06.22 投稿者:いくみ
もうすぐ4歳の息子にお腹の中にいた時の絵を書いてもらいました
息子は円の中に自分を書いて、その横にバナナを書きました
最初は「なんでバナナ?ふざけてるの?」と思いましたが、
何度書いてもらってバナナを書くのです
聞いてみても「バナナあったもん」の一点張り
しばらくして、思いついたのが、へその緒!
バナナはへその緒のことなんじゃないかと思い至りました
確かに日常生活でへその緒みたいなものってなかなか見当たらないし、自分の知っているものに置き換えたのかもしれません
たとえふざけていたとしても、嘘だったとしても、親子のコミュニケーションになればそれでいいんだし、体内記憶の話をする時は、変に勘ぐったりせず、こちらも純粋にならなければ・・と考えさせられた出来事でした
2009.06.05 投稿者:ナンギラス
現在4歳の息子がいます。絵本とお話し作りが好きでどちらかというとスピリチュアルな
男の子だと思います。
2歳半のときに語った胎内記憶
「ちっちゃくなってママのおっぱいからお腹の中、入ったの」
「暗かったよ、おっぱい飲んでいたの」
「でてくるとき ぐるんぐるんして、ごろんとおちたの、まぶしかった」
「でてきてからママのお腹の上のったの」(カンガルー抱っこ覚えているのかな?)
4歳10ヶ月のときに語った胎内記憶
「ぼく、お空にいて、白いドレス(ウェディングドレス)を着ていた
ママを見つけて、キレイだと思ってママのお腹にやってきたの」
「お腹の中は赤くて、お水の中泳いでいたよ」
「雲の上にいる神様は10人ぐらいいてみんな男、子どもたちには羽が生えていて
みんな女の子なの」
「お腹の中、入ってから、ぼくは男の子になるって決めて男の子になったんだ」
胎内記憶、覚えているんだなーと不思議に思い、池川先生の著書を図書館から
借りてきて息子に見せたら
「あ、ぼくがお空で書いた本だ! 空から落っことしたんだよー」ですって
こどものおはなしって、本当にかわいいです!
2009.06.05 投稿者:kiyoppi
追記:
息子の予定日は7/9だったのですが、
私はなぜか6/29に生まれると思っていました
パパといつ生まれるだろうね?と話していて、
七夕だったりして~と冗談交じりに言っていたら、
ふと、6/29だという気がしたのです
何の変哲もない水曜日だし、別に思い入れのある日でも数字でもなく、
男の子は遅いだの、初産は遅いだの、周囲に言われていたのに、
天啓のように思いついた日にちでした
実際6/29の午前6時に、目覚めたら破水というところから出産は始まりました
そして午後1時23分に2704グラムで無事生まれてきてくれました
今思うとあれは息子からのメッセージ(テレパシー?)だったのかな・・と♪
「本当にその日に生まれたら名前はムニック(629)にしよう」と言ってたくらいナイと思ってたんですけどね~
ちなみに名前はムニックではありません(笑)
2009.05.26 投稿者:ナンギラス
もうすぐ4歳を迎える息子に一年前、胎内記憶を聞いてみた時の話です
夜、電気を消して、パパ、ママ、息子、布団に川の字になって寝転がっていました
なかなか寝付かない息子に、ふと思いついて聞いてみました
ママ「おなかの中にいる時何してた?」
息子「赤ちゃん」
これには笑ってしまいました、確かにそうですね
ママ「おなかの中は何色だった?」
息子「水があった、暗かった、寒かった」
色を聞いているのに、水があったと答えてびっくり!
ママ「おなかの中でどんなことしてた?」
息子「こんなんしてた(手足を縮めて突っ張らせての繰り返し)」
胎動を懐かしく思いました、確かによく突っ張ってました
パパ「パパの声聞こえた?」
息子「・・・(ボソボソ声で何か言う。何度聞いてもボソボソ)」
パパいわくお腹の中ではそんなふうに聞こえてたんじゃないかと
ママ「おなかの中から出てくる時どうだった?楽しかった?」
息子「楽しくないよ!しんどかった、こんなんした(体を回転させて)」
狭い産道を通るのに苦しいに決まってるけど、あえて逆を聞いてみました
胎児は回りながら産道降りてくるそうで、これまたビックリ!
パパ「おなかの中から出た後パパとママの顔見たの覚えてる?」
息子「覚えてない」
一瞬だったものね、やっぱりカンガルーケアできる病院で出産したら良かったなぁ
パパ「おなかの中から出た後何した?」
息子「布団で寝た、さみしかった」
母子同室の病院にしたら良かったね、さみしい思いをさせてしまってごめんね
一番小さくてか弱い時に一人ぼっちにさせてしまって反省です・・
この日は以上です
何度も聞くと嫌がってました
完全には覚えてない部分もあるようで、自分でももどかしいようでした
また後日に聞いてみた時のことです
ママと息子、風邪が治りかけで体調完璧でない時、一緒にゴロゴロしながら
ママ「お腹の中に何かあった?」(ヘソの緒のことを聞きたくてこんな質問)
息子「ウンチ、ポコッとでた」
ママ「ウンチしたの?○○君が?まさか今したってこと?」(オムツ確認・・大丈夫でした)
息子「ううん、ママのウンチ」
ママ「そんなことわかったの?」
息子「わかったよ。ママがウンチ、う~んってしてた」
そんなことわかるなんて恥ずかしい~
でもおもしろいですね
赤ちゃんは色んなことわかって感じて生きているんだなぁと改めて思わされたひとときでした
2009.05.26 投稿者:ナンギラス
現在4歳7ヶ月の長男、2歳10ヶ月の長女、10ヶ月の次男の母です。
長男4歳の誕生日前日。
長男が体内記憶の話を突如してくれました。内容は・・・
おなかに来る前、お空の向こうにいたこと。
長女、次男ともうひとり女の子と一緒に歌を歌ったり、踊ったり、サッカーをしたりしていたこと。
お母さんが上に登ってきたから僕が一番最初にお母さんのおなかの中に降りたこと。
(おなかの中には体操座りでいたそうです)
最初はおちんちんがなかったけど神様がおちんちんをくれたこと。
長男がおなかに宿る1週間ほど前に私が山登りをしていました。
だから「上に登ってきた」と言ったのかな?とおもったり。
もう一人の女の子がいつか本当に来てくれるのか、楽しみです★
2009.05.20 投稿者:YK
あゆは、只今6歳。いまはもう忘れてしまったようですが、数年前にTVで胎内記憶をもつ子がいるとの話を耳にし、わが子にも聞いてみると、ママが赤ちゃんが欲しいと願ったでしょう?女の子がいいって言ってたでしょ?だからままの所に来たの♪お腹の中は、ふわふわして雲の上にいるようで、お水の音も聞こえたよ。お外に出るときは、狭いトンネルをグルグルしてきたの(^v^)と話してくれました。
2009.05.15 投稿者:あゆまま
初めまして。3歳の娘の母親です。
内の娘にも胎内記憶がありました。
以前、池川 明先生にお話しした内容と同じですが、参考になればと思い、娘との会話をメールさせて頂きました。
とある、寝付けない夜の話しです。
私が、「はじめは、お母さんのお腹の中に居たんだよ」というと、コロコロとパパのお腹の横に転がって行って、突然こんな事を言いました。
娘 「最初は、お父さんのお腹の中に居たの。それから、泳いでお母さんのお腹の中に行ったの」って
びっくりしました。今まで、何度かお腹の中の事を聞き出そうとした事がありましたが、はっきり答えたのはこれが初めて。
更に聞いてみると、
母 「お腹の中で何していたの?」
娘 「バチャバチャ遊んでいた!」
母 「寒くなかった?暖かかった?」
娘 「あたたかだったよ!」
母 「暗かった?明るかった?」
娘 「暗かった!」
母 「暗くても、怖くなかったの?」
娘 「怖くなかったよ!」
ここまでは、2才7ヶ月くらいの話しです。
最近は、あまり話さなくなりました。
でも、2、3日前にパパとの会話の中で、
「ねね(娘)は、お母さんから、ニュル!!って出てきたの!」
って、言ったそうです。
改めて私が聞いてみると、又の辺りを触りながら、お母さんのお尻からニュルッと出てきたの。」って。
更に聞いてにると、今度は体をくねらせながら、
「頭からニュルッと出たの!!」
と。
確かに、間違いないと思いますが、何だか不思議です。
2009.05.14 投稿者:アレックス
先日大葉先生の講座に参加させていただきましたときにも
大葉先生にもお話したのですが、5歳になる娘は私のお腹の中に入る前の記憶を話してくれました。
いろいろなお空を飛びまわり窓から下をのぞいてママになる人を探していたようです。
私と母が笑いながら楽しそうに買い物をしているところをみつけてこのママがいいと思ったそうです。
で、神様がやってきて『このままでいいの?このママのところではパパと離れて暮らすようになるんだよ』と聞かれたそうです。娘はそれでも『このママがいいの』と言ったそうです。
そしたら階段があって下るのでなく昇って言ったそうですがきずいたらお腹の中だったそうです。
ママを探しているときに出会ったお友達は違う国に言ってしまい『また会おうね』と約束したそうです。
私は今シングルマザー。かなり娘に寂しい思いをさせてしまい胸を痛めるときもありました。
しかし娘ははるかが選んだんだからいいの。ママは笑っていたからきたんだよ。笑ってよ!といわれました。この記憶のおかげで私は今救われています。
この子に選んでもらったんだから今のままの私でがんばろうと思いました。
2009.05.01 投稿者:土屋奈緒子












