体験談より:「息子は何歳まで生きられるのか」

私には、胆道閉鎖症で生体肝臓移植した息子がいます。

胆道閉鎖症とは、肝臓から胆嚢への道が閉鎖し、
肝臓に胆汁がたまり、肝硬変に移行してしまう難病です。

葛西手術で経過がみれる子もいれば、
いずれ肝臓移植をしなければ助からない子もいます。

2011年に男の子として産まれ、なんだか色黒だな、黄疸?!
思いながらの日々。

小児科でも、「気にしすぎでしょう」と。

しかし、BCG接種時、
医師から「すいません。今まで見落としてました。
すぐに、大きな病院へ行って下さい.........」と言われ総合病院。

緊急入院、手術の必要性、胆道閉鎖症であること、
このままでは、二歳まで生きれるかどうか、
手術するにしては、時期がやや遅い、など話がありました。

それから、9ヶ月くらいの入院生活の始まりです。

息子には、当時3歳の姉がいて、かなり我慢させた事を思い出しますが、
私が泣き崩れてわめいてしまったとき、
娘は、祖母に「お母さんのところに行ってあげて.....」と言ったそう。
母親と、離れ離れながら我慢し、思いやり、優しい娘です。

一度目の手術では、改善せず、腹水や黄疸の悪化し、
肝移植の話が出てきました。

我が子が、助からないかもしれない不安や、なんでこの子が⁈とか、
頭が整理できず、病室のトイレで逃げ出したい気持ちを、
泣きさけぶことで、晴らしました。

泣いてばかりでは、命はつなげず、両親や親戚、職場の方々、
大切な友人の支えがあり、何度も立ち上がり、
熊本へ移植をしに行くことになりました。

移植は、私から息子への生体肝移植。
Xmas過ぎての事でした。

順調にいけば、二ヶ月くらいで退院できるはずが、術後喘息が併発。
息が止まりかけ、緊急にICU移送。
このときも、もうダメなんだろうかと、恐怖でした。

医療のお陰で、一命をとりとめ、病棟へ。
腹水や胸水が止まることなく、なかなかチューブは抜けなかったのですが、
次第に止まり抜去。いよいよ、退院で喜び自宅へ。

しかし、外来受診で、肝機能悪化で再入院。
拒絶反応かよくわからないまま、改善せず、点滴治療、検査の繰り返しをし、
やっと自宅に帰れました。

入院中、知り合った同じ移植を強いられた子供たちや、
そのお母さん達は、貴重な出会いでした。

いくら願っても命は限りがあるのだろうと、頭では理解しても、
自分の子が冷たくなるかも知れない現実は、酷です。

今ある現実を受け止め、ひたすら付き添う母親と、
それをサポートする家族は、頼もしく美しいものでした。

そして、命いっぱい生きようと、ただひたすら耐えている我が子たちに、
生命力の素晴らしさや、生きることのありがたみ、
当たり前なことがそうではないことを、教えられました。

二回もの移植を乗り越えた子、代謝異常で命をつなげなかった子、
免疫抑制剤の副作用で悪性のリンパ腫になりかけた子.........

その子たちから教わったことは、今できることを、ありがたく思い、
そのときの精一杯できることをしていくのみであること、
そして、笑えるときにしっかり笑い、楽しむこと。

私たちを、応援し支えて下さった方々への感謝の気持ちは消えることなく、
息子がこの病気になったからこそ、頂いた財産です。

まだまだ、息子は何歳まで果たして生きられるのか、
生体肝移植の歴史は約20年でまだ、未知の世界。

免疫抑制剤を一生飲まなければならないから、
感染症や、癌化などの不安もあります。

でも、やっぱり笑って生きて行きたい。幼く失われた命もある中、
維持できているこの命が、続いてくれる限り、私たちはこの世が楽しく暖かく、
愛に溢れ、支えあいながら生かされていることを、伝えていきたいものです。

(ひらひらさん)

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★ 映画『うまれる』の体験談より
http://www.umareru.jp/experience/ ★ 「小児医療」に関するブログはこちら
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