体験談より「子供を救うにはまずその母親から」

実子が六才、五才、三才、一才のときに県の養育里親に登録しました。

専業主婦として子育てにかかりきりでしたが、
周囲の友人・知人に助けられ充実の毎日でしたので、
自分自身も社会に少しでも貢献したいと思い、
実親と暮らせない子供たちを預かることにしました。

以来10年弱、最短で一週間、最長で二年間、
国籍や年齢も様々なお子さん八人が入れ替わり、
我が家の子供たちと一緒に生活しています。

今回ご紹介するのは、
この夏私たちと暮らした、アジア系外国籍の一才の女の子です。

5月のある日、
三才の兄と外国人のお母さんの3人暮らしのアパートに警察が来て、
お母さんは麻薬の不法使用で逮捕されてしまいました。

兄は児童相談所の一時保護所に、彼女はその夜遅くなってから家に来ました。

一才一ヶ月の彼女はやせ細って体重は7キロしかなく、
枯れ枝のような腕で私にしがみついて弱々しくひと晩中泣き続けました。

児童相談所の職員によると、
一才を過ぎたのに粉ミルクしかあげていなかったようでした。

近所の小児科から大学病院を紹介され、血液検査などの結果、
慢性的な低栄養との診断でした。

ともかく食べさせてとの医師の指導で、
家族総出で一日に小分けにした食事を何度もあげました。

幸い食欲旺盛で、好き嫌いもなく、6月半ばを過ぎると体重もふえ、
それに伴うように表情や反応も豊かになりました。

家族ひとり一人の名前をカタコトで呼んだり、
見知らぬ人にも手を伸ばして挨拶する等、めざましい成長ぶりに、
検診をお願いした大学病院の担当医も感心してくださいました。

アトピ-や気管支が弱いせいで、
なかなかぐっすり寝られなかったのもだいぶ改善し、生活のリズムも安定してきました。

一緒に旅行に行ったり、
地域の農家でブルーベリー狩りやバーベキューをしたり、
うちの小学生の学校行事に飛び入り参加したり...

すっかり我が家の一員となった頃、初犯だったお母さんが保釈され、
ほどなく兄が先に自宅に帰りました。

お母さんの希望もあり、児童相談所で面会をすることになりました。

はじめて会った彼女のお母さんは、
犯罪に関わった不良外国人というイメージとは程遠い、
生活に疲れて弱々しくやつれた感じの人でした。

現地の家族のために十代で来日して20年、
心も体も消耗してしまったお母さんは、早く一緒に暮らしたいと泣いていました。

その後、公務員であるという彼女の日本人のお父さんからも
速やかに家族を再統合してほしいという要請があり、
八月になって彼女は実家に帰ることになりました。

認知もせず、他に家族がいるので一緒には暮らせないというお父さんに
経済的援助をしてもらっている引け目を感じているのか、
お母さんはその男性の前ではひどく気を遣っているように感じられました。

父親というのに、子供の将来について
どのように考えているのかと思うと、我が家の高校生までもが不快になりました。

夏休みのある日、彼女はとうとう帰ってしまいました。
児童相談所には私と子供たち全員で送って行き、別れを惜しみました。

本人は何もわからないまま車に乗せられて帰って行きましたが、
その後も我が家では彼女がどうしているかな、としょっちゅう噂しています。

数えてみると僅か79日間を一緒に過ごしただけでしたが、
私たちにとっては濃密でかけがえのない時間でした。

小さな体に社会の矛盾や汚い部分を一身に背負わされて、
そこでもがきながらも逞しく成長しようとしていた
彼女の芯の強さが損なわれないよう、
日々幸せに暮らせることを、家族一同、切に願っています。

そして身近なところに、わずか一才で、
このように難しい環境で育つ子供が大勢いることを、
たくさんの方に知っていただきたいと思います。

外国人のシングルマザーの問題や国籍、年齢層を問わず
まん延する麻薬にはしる母親たち、
あまりクローズアップされることが少ない社会問題ですが、

「子供を救うにはまずその母親から」

の原則に立ち返って、
解決の糸口をみんなで探っていかなくてはならないと痛感します。

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映画『うまれる』の体験談より
http://www.umareru.jp/experience/

※ 2013年8月より、新たに、
「子育て」「パートナーシップ」「血のつながりのないご家族」
「愛着障がい・親子関係」「闘病」「介護」「看取り」のカテゴリーを追加いたしました。

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