体験談より「誰よりも愛していたから」

私は弟と2人兄弟の長女です。
まじめで、責任感が強く、弟思いで、みんなのお世話が大好きな典型的な長女です。
そうやって40年近く生きてきました。

この40年は、苦しいことが多くて、自分の思い通りにならない事ばかりでした。

他人のための行動を優先し、自分を後回しにしたり、
(夫の前妻への養育費を払い続けていました。)

いつも「やっぱり駄目」な状態を自ら選択してきました。

発端は母親の顔色を伺うことが始まりでした。
母から怒られないように、母に誉めてもらえるように、顔色を伺っていたのです。

誰よりも愛していたからなんですけどね。

そんなことをしてきたので自分が好きなことがわからないんです。
嫌いなこともわかりません。

自分のことは本当にわからない状態なのに、
他人を一生懸命わかろうとするようになりました。

母も同じで、自分より家族や他人を大事にしなくちゃいけないと思っている人です。
だから、自分をないがしろにする余り、
常に不機嫌でこどもである私たちには辛く当たる人でした。

夫との上手くいかないパートナーシップの憂さをはらされている感じでした。

父は、30年も前に他界した祖母のことをずっと恨み続けている人です。
母親に自分をわかってもらえなかった。と拗ねているのです、今でも。
誰よりもおばあちゃんを愛していたのにです。

両親は結局離婚を選択しました。
母は私と一緒に生活をしており、父は彼女さんと生活をしております。

私が2度目の離婚をしたとき、「私の何かが間違っている」と認めざる終えない状態でした。

それまでは正義の塊で、「私が正しい」を身体で表現しているような生き方でした。
そもそも、それが歯車を狂わせていた根源だったと、気がつくのに数年をようしました。

今は、心理カウンセラーになるため勉強をしております。
その中で、大きな気付きだったのが、「私は弟を恨んでいる。」という事です。

弟が生まれ、母親を取られたことをずっと恨み続けていたのです。
でも、うらんでいる自分を認めたくないので、
ずっと演じ続けてきた人生だったような気がします。

弟を恨んでいることを認めたあたりから、
自分の駄目な部分を少しずつ受け止められるようになって来ました。

もっともっと自分をあるがまま認めるよう、今は意識しております。

女性問題で家を出て行った父とは、
一生話をしないまま人生を終えるだろうと思っていましたが、
今は彼女さんとも仲良くしていて、3人でお酒を飲みに行ってます。

母には内緒ですが。

母とは、近くに居る分、ぎこちなさは残りつつも
言いたいことを少しずつ言えるようにはなってきました。

上記の通り、咀嚼して言語化できていないところが、
迷いとか苛立ちとかすねを自分で感じます。

職場でも上司の顔色を伺う男性を見て、ご両親との愛着障害を感じるのです。
多くの方が苦しんでいるんだろうと想像しています。

私も含め、その苦しみを軽く出来ないかといつも考えています。

そんな時に、豪田監督のフェイスブックを見て、これだ!と思いました。

ノープランですが、私の生きてきた人生を伝えることで
何かを感じてくれれば良いなと思ったんです。

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映画『うまれる』の体験談より
http://www.umareru.jp/experience/

※ 2013年8月より、新たに、
「子育て」「パートナーシップ」「血のつながりのないご家族」
「愛着障がい・親子関係」「闘病」「介護」「看取り」のカテゴリーを追加いたしました。

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