流産・死産の体験談 の全体験談 |
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2010年4月に結婚し、同じ月に妊娠発覚。
元々、双角子宮と言われ妊娠しにくい・・・。そう言われてた矢先の妊娠でとてもうれしかった。
妊娠初期に数回出血があったものの入院する事もなく、安定期にも入り、あと数日で6カ月に入る所まで来たときだった。前期破水・・その時、18週。ほぼ助かる見込みがなく、もし産まれてきても障害が残るだろうと言われ旦那さんと話し合い、出した答えは妊娠中断。
次の日には処置が始まり、8月27日。12時36分。208gの男の子を出産。19週2日でした。
思ってた以上に大きく、体も全部できててその姿を見た時は涙が止まりませんでした。産声を聞くことのない出産。旦那さんがパパとしてやった初めての仕事は死産届を出しにいく事でした。
その2日後、旦那さんと火葬場へ行きそれが最初で最後の家族3人でのお出かけでした。骨も残る事がなく、あるのは心の中の思い出だけです。
けど、この子はあんなに小さいながらも命がけで教えてくれた事は多く、今まで、妊娠=出産だと思ってた自分が恥ずかしくなります。出産できる事が奇跡なんですよね。ましてや、子宮が2つあると言われ、妊娠しにくいと言われた中での妊娠は赤ちゃんが命をかけて教えてくれた事だと思います。それから、妊娠してから情緒不安定になった私からいつも八つ当たりされてた旦那さん。朝早い時間から夜遅くまでいつも仕事してたのに私が辛かった時はずっとそばにいてくれたね。私の前では1粒の涙も見せずにただそばにいてくれて、それが嬉しかった。ありがとう。
小さな赤ちゃんへ
こんな形で産んでしまってごめんね。できる事ならまだお腹のいさせてあげたかった。だってみんなあなたが産まれてくるの楽しみにしてたんだよ。
でも、エコーで見るあなたの姿はすごく苦しそうに丸まってて・・・。羊水とママの子宮がもう少しあれば助かったのかな?あなたはどうしたかった?まだあの時、あなたの心臓は動いてたのに。。
パパとママが勝手にあなたの人生を決めてしまった。今、あなたにはすごくさみしい思いをさせていると思います。もうしばらくはまださみしい思いをさせると思うけど、待っててね。ママがそっちに行った時はいっぱい抱きしめるから。
そして、ママになる喜びを教えてくれてありがとう。
あなたは立派なパパとママの一番最初の息子だよ。
2010.09.07 投稿者:はやと
私の姉は、妊娠6ヶ月の時、子宮頸がんが発見されました。
がんが進行中ということで、お腹の中の赤ちゃんをどうするか、とても難しい状況でした。
3人目の赤ちゃんだったので、もし姉の命が失われたらまだ幼い二人の子どもがかわいそうだ、
そう言って姉の夫は譲りませんでした。
6年前の6月24日、姉の3番目の娘、未来ちゃんは、産まれてきて、その日に亡くなりました。
700グラムの未来ちゃんはとってもきれいで、目を閉じて、静かに横になってました。
本当は、未熟児として育てることが出来たのではないか。
そこは、私には知らされず、姉にはどう説明したのか、真実は兄と医師しか知りません。
姉が未来ちゃんを育てられないというなら、私が育てれば良かったのではないか。
未来ちゃんのお葬式の日、「ごめんなさい」という気持ちでいっぱいでした。
今、私は初めて妊娠をして、8ヶ月になります。
6ヶ月で、このお腹の赤ちゃんとお別れしなきゃいけないというのはどんなことなのか、それ
までは想像しかできなかったけれど、今は痛いほどわかります。
子宮を全摘し、放射線治療に耐えた姉は、今のところ再発はなく5年が経ちました。
姉はいつも私のお腹をさすり、いっぱいいっぱい話しかけてくれます。
先日、「うまれる」の3回目のイベントに初めて参加させていただきました。
ミニコンサートで、涙とまりませんでした。
これからも、未来ちゃんのことを忘れずに、私に授かった新しい命との一日一日を大切に
向き合っていきたいと思います。
2010.08.18 投稿者:あおい
2010年1月、周郭胎盤による前期破水で妊娠継続は困難と言われ、待望の長男を空へかえしました。
破水をしたのが17週。入院して様子を見ましたが状態は変わらず、19週6日分娩しました。
19週なので、死産証明が出され、火葬し、納骨しました。息子は存在していたのに、戸籍にも残らず、生きていた証明が私たちの記憶の中にしかないのは本当に辛いです。死産証明は出されたけど「流産」だという事実と、私の中の「死産・流産」のイメージにギャップがありすぎて、気にする必要のない言葉の定義にさえ振り回され、やり場のない悲しみに囚われ、生きている娘(5歳)や支えてくれた主人を大事にしてあげられなかった時期がありました。情けない母親です。
今はまた家族3人、まだかまだかと息子(または息子が送り出してくれる赤ちゃん)のかえりを待っています。
2010.08.17 投稿者:ぺんぎん
小学2年生の長男と3歳次男がいます。
この二人の間に3回流産しました。
長男が2歳になる前に、2度目の妊娠が分かりました。
経過も順調でしたが、教師をしており、担任があったため、クラスで妊娠のことを話すと
「担任のクセに妊娠なんて、無責任」
という言葉が生徒や保護者から返ってきました。
この言葉がとてもショックでしたが、無責任と言われないよう、少しくらい体がつらくても意地になって働きました。
それがたたったのか、14週の検診で、心拍が取れずぐったりと横たわった赤ちゃんの姿が。
未だに大切にその写真を取っています。
亡くなったのが11週くらいではないかということでしたが、時間がたっていてふやけて膨らんでいるような写真。
私はそれ以降、他人に何を言われようが、絶対無理をしないと決めました。
その後、長男が2歳、3歳のときも妊娠しましたが、いずれも大出血で8週前後に流産しました。
もう、子どもは産めない体なんだと思い込み、長男に兄弟ができないとあきらめていました。
長男が4歳になったころ、再び妊娠。
おなかで死んだ子が帰ってきた!と思いました。
もう、絶対この子は死なせない!と思い、病院を変えました。
度重なる流産で心を病んでしまい、パニック障害を抱えていたこともあり、大きい病院を受診したいと思ったからです。
初期から流産防止のため、薬を飲みました。
薬は飲みたくないなんて言ってられません。必死でした。
途中、3ヶ月と5ヶ月のとき、大出血を起こし、流産も覚悟しましたが、無事生き延びました。
それが次男です。
そして今、通算6度目の妊娠中です。
長男は「おなかで死んだ赤ちゃんが帰ってきたんだよ!」と大喜びでした。
私も、長男の意見に同感です。
今回も流産防止のため、投薬治療を続けながら頑張っています。
きっとまた一人、帰ってきてくれたのだと信じつつ。
2010.08.13 投稿者:ゆっきい
もうすぐ4回目の月命日です。
結婚して12年、待ちに待った長男の出産予定日は3月31日でした。
去年の夏妊娠がわかり、病院へ行き妊娠確定した日に「まだどうなるかわからない、」
と不安になる私とは対照的に夫は「(赤ちゃん)やっと来てくれたんだから早く
みんなに知らせないと!!」と夜には親、姉妹に電話をし、私たちはみんなに祝福
されて幸せな妊婦生活がスタートしました。
名前は、なにごとも成し遂げられる子になって欲しいとの想いから
「成」夫の希望通り漢字一文字。
胎児ネームはなく、ずっとこの名前で呼んでいたので胎動がわかるようになってからの
反応も凄く良かったです。夫の声にも良く応じて動くお父さん思いのいい子でした。
妊娠経過は順調で、12月には二人のクリスマスプレゼントとして3Dの撮影もして、
一足早くお腹のなかで笑っている息子に会うことができました。
10ヶ月、38週1日にうけたNSTで心音がひろえず、即入院でした。
翌日の夜になるだろうと言われていたのに、親孝行のいい子で陣痛がうまく進んで
自然分娩の形でお昼に出産となりました。
3月19日 午後12時31分
2730グラム 48,2cm
夫そっくりのつむじをつけた、うねうねのクセのある髪の毛、すらりと長い足、
白い肌、目はつむっているところはかろうじて私に似ているかな?という
夫のコピーのようなかわいい男の子
息子を空に見送る日は、虹がかかりました。
斎場に向かう車のラジオでは、贈る言葉が流れていました。
最後に会った息子には、夫が息子のために一人で買いに行ってくれた青い靴の柄の靴下、
着せたら一番似合うだろうなと思うベビー服をかけ、大きく名前を書きました。
息子は私たちに、知らなかった「親になる喜び」を命をかけて教えてくれました。
そして、夫の存在の有難さに気づかせてくれました。
人生で一番辛い瞬間のあの日から、今の私がいるのは夫がそばにいてくれたから。
息子と、夫には感謝の気持ちでいっぱいです。
お誕生日おめでとう。これからもよろしくね。
産声は聞けなかったけど、妊娠できて良かったと心から思います。
親になる。を叶えます。
2010.07.10 投稿者:成ちゃんママ
去年2人目を妊娠9ヶ月34週と5日で私のお腹の中で急に亡くなりました。
ある日いつものように1歳の息子と一緒に昼寝をしていてそのときにお腹で動いていたのが最後でそこから急に動かなくなり、旦那が帰ってきてから病院で見てもらうと原因がわからないが心臓が止まってると聞かされ、頭が真っ白になり、そこからは、ずっと泣いて泣いて現実を受け入れられませんでした。
それから即入院して2日後に自然分娩で娘を産みました。8月27日2020g見た目は、周りの新生児と変わりなく生きているか亡くなっているかの違いだけでその晩は、たくさんの身内が来て娘を抱いてくれました。娘は、私のお腹の中でなくなったけどお別れにたくさんの人に抱っこされて、見送られたのは、幸せだったのかもしれません。
お産した二日後にお骨上げして予定日が過ぎた頃にお寺にあずけました。
水子供養という扱いで名前も籍も残らないのがすごく残念でいます。
もうすぐ一年になりますが、去年私の姉や義理の姉やお友達が子供を産んでいます。
正直当時は、赤ちゃんの顔を見ることも会うことも辛く、この辛いという気持ちをわかってもらえずやっと一年たった今、精神的に落ち着いた気がします。
でも死産を経験しましたが、私の息子が一番私の心の支えになってくれました。
名前も籍も残らないですが、私の旦那、私、息子の心の中で生き続けています。
顔も見れてぎゅっと最後にずっと抱いてあげれて本当に辛かったけどよかったと思っています。
生まれて来れなかったけど娘にありがとうそしてパパもママもおにいちゃんも心から愛してると言ってあげたいです。
2010.07.06 投稿者:みっく
大きい病院に搬送され、検査。即入院となりました。
説明されたのは、膜を押し戻して子宮口を縛って、妊娠を継続させる手術もあるんだけど、膜が外に飛び出してきてることで、そこから菌に触れ、感染していると、その手術はできないそう。
ずっと点滴打って寝たきりで、おしっこも管を通して治療に専念しました。毎日泣きながら、点滴の副作用で苦しくて眠れなくても、なんとかなる!大丈夫!そう自分とお腹の中の息子に言い聞かせ…
…でも検査の結果、症状が改善されず…
赤ちゃんのいる膜が感染してる確率が高いそう。
その膜は脆いから、感染することで破けやすくなるとのこと…
子宮口を縛る手術はできないと言われました。 妊娠の継続は厳しいって…。
点滴の治療を続けていけば、投与量も増えていき、負担は大きくなる…
その治療を続けることで必ずしも良くなるとは言えない
もし、あと2週間くらい持ちこたえて超未熟児で生まれたとしても、生存率は50%。
うまく生きれても、後遺症、障害が残る確率は50~70%。
今はまだ赤ちゃんの肺機能ができてない時期だから自発呼吸もできるかどうか…
助かるなら助けたい。
私が寝てて済むなら、いくらでも。私が苦しいくらい、赤ちゃんを救えるならばなんてことはない。
どん底でした…
たくさん泣いて、 それでも涙は枯れなくて。
たくさん悩んで、考えて、話して…
それでも答えは出なくて…。
それでもたくさんたくさん泣いて悩んで考えて話して…時間足りないけど、夫婦で出した答えは、妊娠の継続をストップさせることでした。
6ヶ月、ママのお腹にいたのよ…?
それをたった一日で…。
でももしかしたら、苦しくて動いてたのかもしれない。私に動いて教えてくれてたのかもしれない。そう思うと、長くは時間かけれない…
先生に決断した答えを伝えるのに、泣いて声が出なくなる。
でも母親として、しっかり答えを伝えたくて、叫ぶような絞りだすような…声にならない声で伝えました。
すると夜には点滴は外れました。
部屋には旦那さんと母と義母がいて…
母は、いつもポヤポヤしてるあんたが、よく言えたねって泣きながら頭を撫でてくれて…。
翌日、自然分娩の形でお産しました。だいたいこのくらいの赤ちゃんは、産道を通ってくるうちに亡くなってしまうんだとか…。
旦那さんはずっと立ち会ってくれてました。
10月22日 体重500グラム。
身長28センチ。
21週6日。
男の子でした。
全部生まれても赤ちゃんは泣かない。 赤ちゃんはすぐに助産師さんに抱きかかえられてどこかへ連れて行かれ…
その後、無事胎盤も出てきて終わり、綺麗にしてもらい病室に戻りました。部屋に戻ると母と妹と、義母が待っててくれて…顔見たら泣いちゃうからうつむいて。。
少ししたら、赤ちゃんも綺麗にされて、病室に連れて来てもらえました。
姿を見た瞬間、こらえてた涙が一気に溢れ…
泣かない動かない私の赤ちゃん…
頑張って出てきてくれた…
小さな小さな私の赤ちゃん。
指も爪もまゆげも全部綺麗にあって、眠るような姿でした。
愛おしいと思いました。
かわいくてかわいくて…その姿を目に焼き付けました。
次の日、検査をして、大丈夫そうなので退院ということに。
赤ちゃんは霊安室にいるから、早めに連れて帰りたいのもあったので、退院も早めました。
そして退院の日の朝。
赤ちゃんを棺に入れ、大切に抱えて帰りました。
車に揺られ、しばしパパとママと家路までドライブ。
涙が止まりませんでした。 一緒に散歩した道、風景…悲しくて悲しくて…。
帰宅した後は、寝室をクーラーで冷やし、赤ちゃんにダメージが少ないようにしてパパとママのベッドに寝かせ、午後には火葬するからそれまでの間、久しぶりの家を見せてあげました。
棺の中をお花でいっぱいにして、着るはずだった肌着を着せて、ママが作ったスタイも入れて…
やがて、火葬の時間が近づいてきて、喪服に着替えて赤ちゃんを棺のまま火葬場に。
駐車場に着いたけど やっぱり渡したくない。
涙がまたまた…
それでも自分に言い聞かせ、赤ちゃんを火葬に…
最後の時、泣き叫びました。
倒れそうになる私を旦那さんや母、妹が支えてくれ、終わるまで待ちました。
30分くらいして…
『終わりました』
湯呑みくらいの小さな骨壷に入って、おうちに戻ってきました。
名前は暖人(はると)です。
たくさんのことを教えてくれた息子。前よりももっとパパのことを好きになったし、改めて命の大切さに気付かされました。自分がここにいることの神秘さ、感謝の気持ちでいっぱいです。
こころから、ありがとうとごめんねを…。
2010.07.03 投稿者:あにゅ
今月の26日で息子が天国に逝ってから1年になります。19週でした。
結婚して8年、不妊治療(人工受精)で授かった子でした。
切迫流産で1ヶ月の入院、でも無事に乗り越え退院。
つわりと鼻炎があって辛いなって思ったけどお腹にいることがすごく幸せでした。
陣痛は痛かったけど出血もなく具合が悪くなることもなく、ママの体に負担をかけない
パパ似の優しい息子。
そんな息子の兄弟を今待っています。きっと来てくれると信じて。
パパがすごく優しくなって、ママもパパのこと前よりももっともっと好きになりました。
家族の絆を深めてくれた息子に心から感謝します。
2010.06.11 投稿者:ぴーすけ
2009年秋、予定日より一ヶ月早く女の子を死産しました。
38歳、人工授精で授かった初めての命でした。
生まれる12日前の検診では元気に動いていたのに。
胎動を感じられなくなって診てもらったら、もう赤ちゃんの心臓は
動いていませんでした。『どうして・・・?夫に何て知らせよう・・・びっくりさせないように・・・』
震える手で何度も何度も書き直して、結局辛く悲しいメールを送るしかありませんでした。
夫が家族への連絡、死産の届け出、棺と火葬場の手配など、
悲しむ間もなくやってくれていました。
私はベットに寝ていて何もできず、夫が一番辛かったろうと思います。
『夫がこんなに頑張っているのに・・・、私も頑張ってこの子を生んであげよう。』
そう思いました。とても可愛い赤ちゃんでした。産声はなくてもとても幸せでした。
幸せはつかの間でした。生まれて数日でわが子を棺に納めるのは、とても辛いものでした。
『みんな元気な子供を生んでいるのに、私はそれもできない駄目な人間だ。』
と自分を責めることもありました。
現在は、二人目の子を授かりますよう治療を続けています。
きっとこの子に妹弟ができますように。
2010.06.11 投稿者:さっちゃん
6月25日、もうすぐ、お空に帰した赤ちゃんの、命日が来ます
13週目で、繋留流産でした
主人に、電話で、そのことを告げる時に。。口に出せば、この現実を受け止めることになる
涙で、「赤ちゃんがね・・・」の先の言葉が、言えませんでした
動かない、赤ちゃんをエコー画面で見ながら、明日には、動くのでは?
と、、、バカなことを先生に聞いたのですが
頭は、混乱していました そんな、訳が無い・・と
さよならする、手術の当日は、大雨で・・・
梅雨時期の、雨音を聞くと・・・ お別れの日を思い出します
日に日に、つわりも去り、、、もう、自分のカラダから居なくなったことを
自覚させられる
もう、5年・・生れていたら、5才
いない子の、年を数えてしまいます
主人がつけた、名前は『幸』です、私たち夫婦はとても
幸せでした
お空でどうしているか・・『幸』に、会いたいです
2010.06.07 投稿者:nonko*
2008年に38歳で結婚し、2009年10月に妊娠9週目で流産。
「今度こそ必ず元気な赤ちゃんを産むんだ」と仕事を辞め、今年3月に再び赤ちゃんを授かりました。
妊娠5ヶ月を過ぎ、お腹もぽっこりとしてきて、ようやく流産の不安から解放されたと思った時に。
赤ちゃんの心臓が止まっていると、先生に言われました。
その5日後に32グラム、10センチの息子を出産しました。
9日前のことです。
毎日毎日お腹に語りかけ、神様に祈ってきたのに。
どうして、こんなに悲しいことになってしまったのだろう。
でも、もしかしたら。
息子は命がけで、私に何かを教えてくれたんじゃないかと思いました。
ちゃんとママになれること。
ママになる喜びを。
その証拠に、生まれた小さな小さな息子を見た時、可愛くて仕方なかった。
愛しさで胸がいっぱいになったのです。
こんなに悲しくても「あきらめたくない。赤ちゃんを抱きたい」と思わせてくれました。
そんな可愛くて優しくて頑張りやさんの息子のためにも。
今度こそ、絶対にこの手に赤ちゃんを抱く。
空にいる二人の天使のためにも、絶対にあきらめません。
2010.06.04 投稿者:あかり
2010年4月20日。
初めて妊娠したわが子を18トリソミーという染色体異常で失いました。
私のお腹の中で、151日という短い間でしたが精一杯生きてくれた愛しいわが子。成長も遅く264g、21センチと小さい小さい身体でも、本当に強く、やさしい子だったと思います。
対面したときは涙ばかりでしたが、しっかりと胸に抱いてあげることができました。パパに似たすごくかわいい男の子でした。妊娠3ヶ月になるころから、頸部浮腫が確認されており、最悪の事態も覚悟はしていたものの、ショックは想像をはるかに超えていました。
涙が止まらない毎日で、夢も希望も何もかもが消えてなくなってしまいました。
生きて、生まれてくることができなかったわが子は、戸籍上は存在しないことになってしまいます。でも私達夫婦の間ではいつまでも消えることのない愛しい記憶、大切な第1子となります。これから先、いつまでも一緒です。
とてもいい主治医とめぐりあい、今は心の傷をケアしながら1歩前に踏み出しました。
次の妊娠は、この子と一緒に頑張るんだ!と胸に誓い、少しでも上を向いてこの子の分も生きていこうと思っています。
2010.05.31 投稿者:蒼ちゃんママ
2007年1月5日、染色体異常の18トリソミーの娘が誕生しました。
8ヶ月と27日の命をもって、その年の10月2日にお空にかえっていきました。
言葉にならない衝撃と挫折を感じ、自分自身生きていくことが精一杯でした。
私は、そのとき10歳になる1人の息子がいました。
当時10歳だった息子は、長年欲してきた兄弟の誕生を大喜びしたのに、
わずか、9ヶ月弱で、10歳の子は、妹の亡骸をかかえて泣いていました。
私だけの悲しみじゃなかったけど、親として、1人生きていく子供の命と、1人失った子供の命。
なにか、大きな責任を感じ、どうしようもない気持ちでした。
自分の人生で、反省することや間違った行動を探してそれを理由にして、
すべては己のバツとしていました。
そのほかにも私は4回流産しています。
流産を繰り返してやっと、授かった子供たち。
生きているのに妹の死に泣いている子、生きれなかった子。
そして今、42歳で妊娠9ヶ月目を迎えています。
色々な思いで最後の1ヶ月を過ごしています。
同時に姉は48歳で末期のガンで子供がいながら闘病生活をしています。
父も末期がんで余命宣告を受けてます。
死を経験してみて、これは特別なことじゃないと思えるようになりました。
いつだって死はついてまわる。
平和な日常しか知らなかった時のことをおろかに感じています。
2010.05.22 投稿者:しほこママ
2003年8月,初めての赤ちゃんを死産しました。
不妊治療をはじめて3年目初めての人工授精で,やっと授かった子どもでした。
39歳という高齢妊娠でした。小学校教師という職業柄,疲れ切った毎日を送らざるをえなかったり,胎教に悪いと思いつつも子どもを叱らなければならなかったり,おまけに母も叔母もひどい妊娠中毒症で入院した経験があり,しかも叔母はそのために死産しているという不安もありました。それでも,検診に行くたびに大きくなるお腹の赤ちゃんがうれしくてうれしくてたまりませんでした。
でも,5ヶ月に入ってすぐ,疲れすぎて入院,病休ということで仕事をお休みしました。幸い,お腹の赤ちゃんは元気よく育っていました。
病院の先生から「もうすぐ生まれますね」と言われた次の日の夜,お腹が痛くなって病院へ行きました。でも,看護師さんが心音を探したら,確認されないのです。実はその朝に1回胎動があってから,赤ちゃんは動かなかった。出産間近になると胎動が少なくなると聞いていたので,不安ではあったけどあまり心配していませんでした。
でも,赤ちゃんの心臓は止まっていました。「どうして?」という気持ちでいっぱいになりました。昨日まで心臓動いていたのに。なんでこんなことになるのか。赤ちゃんは死んでしまったけど産んであげなくてはいけない。パパにとっての初仕事は赤ちゃんの棺桶を買いに行くことでした。
産んで後,解剖して死因を調べてもらいましたが,はっきりしたことは分かりませんでした。「後から思い返したら,最後の検診の時赤ちゃんが苦しそうな顔をしていたように見えた」「胎動がなくて不安になったときにすぐ,病院に行けばよかった」「もしかしたら障害を持っていた子だったかもしれないのに,心も体も元気に生まれてきてねって望んだから,神様に取りあげられたんだろうか」等と,後悔の念ばかりでした。
お腹にいた赤ちゃんと3人で家を出たのに,帰ってきたのは2人だけ・・・。生きて生まれてこなかったら,赤ちゃんがいたことは戸籍には残されない。わたしたち親が覚えていてあげないと,なかったことになる。お腹の中では,ちゃんと生きていたのに・・・。
しばらくは,赤ちゃんの写真を見ることも妊婦さんを見ることもできませんでした。わが子を亡くしたのに人の子どもを教えることなんてできませんでした。立ち直ることができたのは,同じつらい思いをした夫の存在と,ネットで知り合った死産した経験を持つ人たちとの交流でした。
「命を大切に」と子どもには教えていたけど,どんなに大切かなんてわたし自身が実感していなかった。「生きて生まれてくる」それだけで,どんなに尊いことなのか分かっていなかった。生きてこの手に抱くことができなかった,声を聞くこともできなかった子でさえも,こんなにも愛しいものなのだ。
その後,子宮筋腫の手術,体外受精での妊娠,超初期流産を経験し,なんと自然妊娠で男の子を授かりました。現在4歳になります。
職場に復帰して以後,わたしは,毎年,子どもたちに「いのち」についてのメッセージを伝えています。お空の天使ちゃんが教えてくれたことを話しています。
2010.05.15 投稿者:みりん星
助産院で働く助産師です。
池川先生のファンで講演会にもよく参加してます。
私も3度の流産経験者です。
1人元気に生まれてきてくれた息子がいます。
1度目は病院で手術、2・3度目は自宅で産みました。
「どうして自分ばかり…」という気持ちが強かったのですが、
時間がたって
「私は4人のお母さんなんだ。お空に帰ってしまったけど、子供たちは私のおなかを選んできてくれた!それでいいじゃないか。」と思えるようになってきました。
4歳の息子が「お母さんが頑張って生きていくためにやってきた。」という言葉をくれたので
それを支えに頑張って生きていくつもりです。
5人目の赤ちゃんが来てくれるのを家族3人で待っています。
胎内記憶・自宅出産・助産師の目から見た出産など話したいことあるのですが
今ふっとお空の赤ちゃんたちが頭に浮かんだので、この項目に記入してしまいました。
2010.04.28 投稿者:shiho
2006年10月、10週目の時に掻爬手術を受け、お腹の赤ちゃんは天使になりました。
念願のわが子ができた喜びから一瞬にして絶望に変わった時でした。
7週目の検診では心拍の確認ができたのに、次の検診でまさかの「心拍停止」。
目の前が真っ暗になりました。
事実を受け入れ難く、他の病院にも受診しましたが、結果は同じ。
2日後に手術を受けました。
その後も心の整理がつかず、毎日泣いて過ごしました。
街行く妊婦さんの姿を直視することができず、今頃私もお腹が大きくなっていたはずなのに、今頃私も赤ちゃんを抱いていたはずなのに・・・、と暗闇の中に突き落とされたままでいました。
赤ちゃんを身籠れば普通に生まれてくるものだと思っているところがありました。
でも実はこの世に誕生するってことはすごいことだってこと、奇跡だってことを、この子を通じて気づくことができたのです。
一つの生命を誕生させることの素晴らしさを改めて感じました。
それからもなかなか子どもに恵まれませんでしたが、昨年ようやく出産することができました。
映画『うまれる』の上映を楽しみにしています。
2010.04.17 投稿者:takara-mama
2010年元旦。私たち夫婦は入籍いたしました。
まだ早いとは思いつつも私の母が病を患っていることもあり、すぐにでも孫の顔を見せてあげたいと思っていたのもつかの間、2月に早速陽性反応がありました。
何もかも初めてで不安はあったけど何より嬉しかった。
旦那さんも凄く喜んでくれて、お腹をたくさんなでてくれました。
しかし病院へ行ってもエコーには影一つ映らず、翌週再検査をすることに。
そして一週間後・・・。
ドクターから伝えられた「早期流産の可能性が高い」という言葉に動揺を隠しきれませんでした。
アルコールもたばこも摂取していないのに。激しい運動もしてないのに。
食生活が原因?テレビやパソコンの電磁波が原因?なに?なぜ?・・・
考えても仕方のないことだけど、そんなことばかりが何度も頭の中をループしていました。
出血はもちろん、流れてしまった実感が私に何も無かったのです。
今は、処方された生理を起こすための薬を飲んでいます。
両家の両親に報告するのが何よりつらかった。
でも諦めません。
赤ちゃんは、私がきちんとママになる準備が出来るように待ったをかけてくれたんだ!
そう思っています。必ずまた私のお腹に戻ってきてくれるはず!!
それまでにたくさんの知識を身につけ、万全な状態で妊娠出来るように頑張っていこうと思います。
2010.03.31 投稿者:かわ☆ちゃん
2004年10月出産予定日3日前に第一子を死産しました。
陣痛が来て、病院へと出かけるとき
「今度家に帰ってくるときは3人になっているんだ」と思った記憶が強くあります。
でも娘は小さな小さな骨壷に入って帰ってきました。
「なぜ自分だけ?」「私、何か悪いことした?」と色んなどす黒い感情に取り込まれそうになりました。
ひとからの些細な言動が引っかかって仕方ない時もありました。
家族や友達に支えられて闇の底から浮上できました。
今、2歳になる子供がいます。
子供ができて「自分が一番つらい」と思っていた当時の自分に教えてあげたいです。本当につらかったのは、ただ黙って見守るしかできなかった両親のはず、だよと。
お空にいるお姉ちゃんから教えてもらったこと。
命は自分だけのものではないこと。
生きていること、それ自体奇跡だということ。
自分の人生と自分の大切な人たちの人生を大切にするということ。
感謝を忘れないこと。
映画「うまれる」は老若男女みーんなに見てもらいたいです。
2010.03.21 投稿者:いずみママ
2008年2月、3カ月の時に稽留流産を経験しました。
不妊治療を約2年、人工授精での待望の妊娠でした。
先週には赤ちゃんの心臓がトクトクと動いている映像を目にし、今週はどの位育っているのか
楽しみに病院に向かいましたが、先生の「うーん・・・・・・動いていないね」の言葉に、しばらく
何が起きたのかわからなく、頭は真っ白に。
車の中で待っていた旦那さんの顔を見た瞬間涙はあふれ、号泣しました。
その夜、お風呂に入ってしんと静まっているお腹をなでながら、「私達夫婦のところにきてくれて
ありがとう、また来てね。愛しているよ。」そう伝えて目をつむると、おかっぱ頭の女の子が
今は亡き祖母と一緒に手をつないでいて、祖母が心配ないよと言うかのようににっこり笑って
すーっと光に帰っていった風景が見えました。
2日後、流産手術を行ない赤ちゃんは天使になりました。
何をしていても涙があふれ、とても妊婦さんや赤ちゃんを見ることも、おめでとうと心から言う事も
できず、おめでとうを言えない自分を責めて心が荒れた時期もありました。
でもありがたい事に、旦那さんはもちろん、親や会社の方やいろいろな方の支えがあって、
また前を向く事ができました。
驚く事に、実は身のまわりに流産や死産を経験した方が意外に多かったという事実。
とても明るく竹を割ったような性格で、いつも部署の盛り上げ役の方が、『実は私も1人流産、
1人死産を経験しているのよ』と、涙を溜めながらこっそり私に話をしてくれました。
『空を眺めては涙、家事をしながら涙していたけど、あの子達の分まで楽しく幸せに過ごすんだって、
頑張ってきたのよ。』
私もこの人のように強く優しく生きたい、そう強く思いました。あれから2年、まだこの腕に赤ちゃんを
抱けていませんが、いつか赤ちゃんを授かる事を信じて不妊治療を続けています。
【映画うまれる】が元気に生まれる事を、心から楽しみにしています。
2010.03.11 投稿者:華音のおかあちゃん












