イメージ
ブログメルマガ講演会商品体験談感想コメントよくある質問掲載メディアリンク

出産の体験談 の全体験談

体験を投稿

うちの息子(第一子)がうまれたのは2010年の大晦日の朝でした。

予定日より3週間早い、37週0日。ちょうど正期産に入った日の誕生です。

お産の始まりは破水から。
破水したのはまだ36週6日になったばかりの夜中…
明日からパパが年末休みに入る!という夜でした。

夜中、わたしは破水したことで目が覚め、トイレにいってみると…間違いなく破水!!
実は助産師として結婚前まで病院勤務をしていたので、破水であることはよくわかりました。

そのときの率直な感想。(トイレにて)
「こりゃ入院だ…わたしの正月は病院?!」
意外と冷静です(笑)

「破水したー。」
とパパを起こして、あらかじめ準備していた荷物をもってパジャマのまま防寒だけして寒い外に出ました。

わたし「あとは色々とよろしくね~」
パパ「え?またあとで帰ってくるよね??だから電気毛布つけっぱなしだけど~」
わたし「??!!え?もうこのまま入院だよ…破水したら入院じゃん!」
パパ「…!!!」
…びっくりでした。パパにも事前に破水=入院と伝えていたはずですが、年末に破水という突然の出来事にかなり動揺していたみたいです。

そんな出来事に二人で笑いながら片道30分、クルマで病院に向かいました。


入院当日に担当してくれたのは元同僚の先輩助産師さん。自分が勤務していた産婦人科での出産です。

総合病院だけど畳の部屋で出産することができてわたしもそこを希望。入院当日、ほかの希望者がいなかったので、まだお産にはならない状況でしたがその部屋を使わせてもらって陣痛のこない夜を明かしました。パパは付き添いです。


2010年 12月30日

世間は年の瀬。大晦日前日の忙しいとき。
我が家の夫婦二人は病院の分娩室(畳部屋)で朝を迎えました。
「今日もしうまれたら早産になるから今日お産になるようなら分娩台ね。」(これは安全性を考慮したこの病院の方針です)と助産師さんから説明を受けました。

しかし、陣痛がやってくる気配はまったくなし。昼はそれでも陣痛が来ないものかといろいろとアプローチしてみました。陣痛がくるツボ押し、階段を登り降りしながら院内を散歩、アロマオイルをつかって足浴などなど。

その成果なのか夕方からなんとなく痛みがやってきて、日付が変わったところでいよいよ痛みが本格化しました。

結局、陣痛開始から8時間で生まれてきたわけですが初めての陣痛体験は想像を絶する痛みでした。
仕事でたくさんお産に立ち会って取り上げて色んな産婦さんのお手伝いをしてきたけど実はこんなにこんなに痛かったとは!!!!!

騒ぎまくりました。

(伴さんの出産シーンはわたしをみているかのようですごくすごくあの痛みがよくわかります。いや、むしろ、わたしのほうがさらに声も大きく!出せる声は全部出したお産でした(笑))

そして・・・
わたしはパパの手を傷つけました。爪を切っておけばよかった…(苦笑)陣痛がくるたびに力が入ってしまって、わたしの爪でパパの手は出血してしまいました。でも、パパは怒りもせず。

ありがとうパパ。
生まれた声を聞いて、わたしではなく、パパが涙を流していました。

生まれてくる直前には、息子の頭がみえてきたところで、彼の髪の毛を触らせてもらいました。わたしのバースプランのひとつでした。

親よりも一番早く赤ちゃんに触れる助産師。それを私が!!先に!という気持ちからでした。欲張りなわたし(笑)

でも実はそれどころじゃなくて…(笑)痛くて痛くて。陣痛がない合間をみて付き添ってくれた元同僚の後輩助産師さんがわたしの希望をしっかり覚えてくれていて(むしろ、わたしはそのバースプランを忘れかけていた…汗)、 私の手を髪の毛へと誘導してくれました。

「うわぁーここにいるー!!」という嬉しい気持ちになりましたがすぐまた壮絶な陣痛 がやってきて…というかんじでした。


さてさて。
生まれてきてわかったことですが…
臍帯をみてびっくり !

真結節といって、へその緒自体が結びついている箇所がありました。それも二ヵ所。
結び目のキツさによっては赤ちゃんへ酸素や栄養がいかなくなり、場合によっては生まれてくることができない危険もあるおそろしい状態。

「だいぶ小さいときからグルグル動き回っていたのね~」とあとで医師から言われましたがまさにその通りで、検診のたびに胎位(赤ちゃんの背中のむきや格好)は不思議な動きかたをしていました。

そんなエピソードもありますが
臍帯がそんな状態だったのを息子自身が察して、お腹の中の『破水ボタン』を押したのかな?!??…と、わたしたち夫婦はそんなふうに話をしてます。

早く出てきてくれてよかった。結ばれた臍帯の写真(撮らせてもらいました)をみるたびにそう思います。

また、息子は、
パパのいるときに、パパがママを病院に連れていけるときに(できればお休みのときに) 出てきてくれたら嬉しいなぁ~
と何度かお風呂でお話していたのもちゃんと聞いてくれていました。(きっと)

実際、入院したのは夜中だったし、年末休みだったし。立ち会いのほか、おかげで退院まで毎日パパは息子とすごせました。


赤ちゃんの力ってすごいですね、しかもお腹のなかにいるときの力って。結果的にそうだっただけかもしれないけど、我が子からたくさん貴重な経験をさせてもらいました。

生まれてきてくれた命。大事な命です。

命懸け という言葉がありますが、母子ともにお産の場面ではほんとに命をかけています。私自身何事もなく無事に出産を終えることができたし、無事に生まれてくることが当たり前ではない世界での、我が家の問題なかった出来事には感謝の気持ちでいっぱいになります。

今年の大晦日には一歳になるわが息子。
毎年、大晦日には生まれた日の思い出話が繰り返されるでしょう。

2011.12.10 投稿者:ぽん太

私は昨年3人目の長男を出産しました。

上の二人の女の子を出産した際は、特に問題なく腰痛に悩まされた位でしたが、長男の時は色々大変でした。

妊娠5ヶ月まで週二回のパートに行っていました。あともう少しでお休みするという時、勤務中に右半分の激しい頭痛に襲われました。

ちょっと横にならせてもらいましたが治まらず、上司が病院に連れて行ってくれる事になり、立とうとすると左足に力が入らず左麻痺がみられた為、すぐに救急搬送されました。


脳出血でした。


最初の病院では対応できず、妊婦という事もあり大きな医療センターに搬送されよく調べると、脳動脈奇形があり、そこからの出血でした。

医師の話によると、「生まれつきあなたは脳動脈に奇形を持っていて(10万人に1人ある)、それが今回の妊娠きっかけに破れた。手術でその血管を取り除けば爆弾がなくなったも同然で出産もできる。」という事でした。

出血が落ち着いたら手術する事になったのです。(赤ちゃんの週数が手術するのに丁度良い時期で、早くても遅くても駄目だったらしい)

脳の出血後は脳圧が上がり、頭痛が辛かったんですが、痛み止めは一番ゆるい物しか服用できずきつかったです。

そして8時間の手術を無事終えました。

奇形部が脳の表面に近く、後遺症が出にくい箇所だったので、最初にでていた麻痺もなくなっており、後遺症全くなしでした。

妊婦だったのでとても有名な名医の揃った病院で手術を受けれた事、上の子二人の出産の時に出血しなかった事、後遺症がなかった事、赤ちゃんが手術に良い週数だった事を思うと本当にラッキーだったし、長男に感謝です。

主人は最初医師に「出血が止まらなければ二人共助かりません。覚悟してください」とかも言われたみたいで辛い思いをした様です。

その時の一ヶ月の入院の間娘達は主人と私の両親と姉がよく面倒みてくれました。
この事でいつも喧嘩ばかりだった私達夫婦の絆もとーーーても深くなった気がします。


そして出産予定の3週間前から念の為再び入院して、予定日に赤ちゃんが大きくなりすぎていたので帝王切開で出産しました。

傷は痛かったけど、産後は痛み止めが使えるので、脳の術後に比べたら楽なもんでした。

息子は4182gの特大ベビーで、手術の影響もなく、今は元気につたえ歩きしてます。

「うまれる」を本で読み、色々な出産や家族のあり方があるんだなーと感銘を受けました。

映画も見にいきたいです。


息子は雲の上から「よっしゃ!あの僕のオカンに脳の病気教えたろ!」ってお腹に来てくれたように思えて仕方ありません。

それだけに息子が愛しくて仕方ありません。
本当にうちにきてくれてありがとう。

今生きて元気に子育てする毎日に感謝します。
この出産は人生観をかえる良いきっかけになりました。

人生なにが起こるかわからないので、毎日一生懸命歩んでいきたいです。

2011.08.21 投稿者:ぼーぼー

私は46歳の主婦です。
この映画はまだ観られないのですが、誰かに伝えたかったので投稿します。

私自身がこの6月に3人目の男の子を出産しました。

そして、現在は子育て再出発中です。
主人は55歳ですが24年前に結婚して、長女は20歳、長男が13歳、そして今回奇跡的に妊娠したのです。

子供を授からない方にすればうらやましい限りと言われますし、周りの方を心配させながらも五体満足で自然に産めたことを、奇跡だとも言われています。

その子はもうじき2カ月になりますが、検診でも特別な事も無くて順調に育っています。

今その子の寝顔を見つめながら書いていますが、とてもいとおしいです。

けれどその半面、育てて行けるのかと夫婦で不安な日々なのです。

授かった命は大切にしようと話しあって産む決意をした私でしたが、高齢出産だった為、産む場所も離れた総合病院を紹介されて、6年のパートの仕事を辞めなければ行けない状態になりました。

この不景気に主人だけの収入では、まだ2カ月なのに生活が行きずまっているのです。

このいっさ(ニックネーム)を抱えて私自身が仕事に復帰できるのかどうか?誰でもできる一般事務、特別な資格もない私自身なのです。

私自身が蒔いた種をどうやって育てていけばいいのかと、悩みきれない日々を送っているのです。

私の様な方はいないと察していますが、誰かに伝えたくて、何かを言っていただきたくて投稿しました。 

2011.07.25 投稿者:いっさの母

2010年5月21日予定日より2カ月早く次女を出産しました。

7月18日予定日でしたが、4月中旬26週の妊婦健診で全前置胎盤であることが分かりしかも癒着胎盤の疑いもあるといわれ、大学病院へ救急搬送されそのままベット上安静生活が始まりました。

少量の出血を続けながらも31週まで持ったのですが、31週5日で大出血して緊急帝王切開となりました。

1554グラムの小さな小さな次女出産後、無事胎盤もはがれたものの、血圧が上がらずでもお腹の中に出血が見られなかったためお腹を閉じ手術を終えようと、お腹にかけていたシートをはがすと、腰の下に敷いてあった防水シートが血の海だったそうです。
あわてて再手術となり、子宮全摘出!

13リットルの出血。
10リトルの輸血でしたが、何とか一命を取り留め今元気に過ごしています。

24歳で子宮を失い、今まで味わったことのないつらい思いをしましたが、保育器の中で小さな体いっぱいに呼吸し、頑張っている娘の姿を見ていると子宮を失うだけですみ、命を落とさずに娘に触れることができて本当に良かったと心から思えました。

お産は命がけと、正直他人事のように聞いていた部分がありましたが、身をもって思い知らされたお産となりました。

2011.01.22 投稿者:こるこる

あと3ヶ月で長男の6回目の誕生日です。

30週で破水。
破水してから運ばれた大きな病院でお腹の中の子は


水頭症の疑いがある


と言われ、破水から出産までの6日間、泣きながら過ごしました。
初めて聞く病名、この子は幸せになれるのか、いっそのこと、
お腹の中の子と死のうかと思ったこともありました。


生まれてからも水頭症のほかに心疾患、鎖肛(おしりの穴がない)が見つかり、
生まれた翌日から手術が続きました。

生まれてから4ヵ月後にやっと退院したものの、家にいたのはたった1ヶ月。
心不全を起こし、救急車で病院に戻りました。

その後入退院を繰り返しながら、ゆっくりゆっくり成長していった長男は、
1歳9ヶ月でやっと心臓の手術ができるくらいまで成長しました。

やっと手術ができる、命の危険を感じながらの生活が終わる・・・
そう思っての手術の決断だったのに・・・。


生きるための手術のはずでした。

なのにその手術から2週間後、1歳11ヶ月で旅立ってしまいました。


病院と家の往復ばかりの生活でしたが、
私にとっては長男とのかけがえのない、幸せな生活でした。

生きていたらもうすぐ6歳。同じくらいの年の子を見ると
今でもやっぱり辛くて、涙が出そうになります。

今、2歳の次男と1歳の三男の育児に追われている毎日ですが、いつか天国で長男に会ったとき、「パパとママのところに生まれてきて幸せだった?」って聞いてみたいです。

2010.11.22 投稿者:パンダ2号

私は3人娘の母です。

次女を出産後3人目が欲しいと思って頑張っていましたが、9年間妊娠する事が出来なくて諦めていたところ妊娠しました。

出産まで順調で何の問題もなく産まれてきた娘は、生後一カ月過ぎに自宅で心肺停止。
泣き叫びながら人工呼吸をし救急車で運ばれました。

娘の診断結果は、SIDS突然死症候群でした。

脳の大部分に障害を持ってしまった娘に戸惑いと不安しかなかった入院の時。初めて抱っこが許された時のあの温かな娘の体温に「がんばってくれてありがとう。お家に一緒に帰ろうね」と思えました。

超がつく障害児になってしまった娘と向き合っていると、上の娘たちが何事もなく大きくなってくれた事、三女が頑張って生きたい生きたい!と思い生きてくれている事とても幸せです。

命って当たり前で当たり前にあるものじゃない。
命は尊く儚くだからこそ大事にしたいと思っています。

今4人目を妊娠中です。新しい命と、今ある命愛おしくてなりません。

2010.11.18 投稿者:ちー

2005年10月5日 16時36分
次男を出産しました。

23週3日 体重わずか558gでした。

悪阻がひどく8週から16週まで入院。
おしっこも出ず、水さえも吐き本当に辛い時間でした。

退院後初めての妊婦検診。
内診後、胎胞(赤ちゃんをお包んでいる膜)が見えていると言われ
市民病院から大学病院へ救急車で緊急搬送。

それから食事やトイレに起きる事も許されず
個室で全てベッドで寝転んでの生活でした。

張り止めの点滴の副作用がひどく
手のしびれや頭痛、嘔吐もありました。

本来なら子宮を縛る手術をするらしいけど
私の子宮膜が薄すぎて縛る事さえできす
毎日洗浄と消毒の日が続きました。

10月1日、朝方突然の破水で目が覚めました。
もうお腹の子供はダメなんだろう…と一度は諦めかけましたが
今の医学は発達していて、羊水の代わりの物をおなかに注入すれば
出産まで持つ事も出来ると言われ
10月4日に、お腹に太い注射針を刺し
これで何とか持てばいいと安心したのもつかの間。。。

翌朝、子宮に違和感を感じ内診をお願いした所
足が出てきていると言われ、7時間かけて自然分娩で
次男を出産しました。

泣く事もなく、そのままクベースに入れられNICUへ。

ウンチが出ないと生後1週間で手術。
生後1ヶ月で腸が破裂し2回目の手術。
その時の体重は300g台でした。

退院できたのは生後10ヶ月。
体重3600g。
慢性肺疾患のため在宅酸素の条件でした。

現在5歳。身長99センチ 体重12キロ。
発達も発育も遅れています。
毎週、言語・作業・理学のリハビリに通いながら
普通保育所に週2回~3回
楽しく元気に通っています。

先の見えない将来に不安で
今でも夜な夜な涙流す事もあります。

息子を産んだあの日には考えられなかった事が
たくさん出来るようになりました。

生きてるだけで100点満点!!

私はそう思っています。

2010.11.05 投稿者:ひめ

結婚して4年半、赤ちゃんをなかなか授かることができず不妊治療に通っていました。

周りからは「赤ちゃんまだなの?」「何で作らないの?」などいろいろと言われました。
時には「子供の作り方知らないとだろう~」とまで言われたりもしました。

先の見えない治療に精神的にもつらくなりしばらく治療をお休みしようと夫と話し合い
治療を休んで2か月目のある日、胸の痛みで婦人科を受診
なんと、なんと妊娠による胸の痛みだったのです。

初期の初期なのでまだエコーは1週間後に見ましょうと言われ
1週間後にエコーで確認すると小さな胎のうが見えました。
初めての妊娠で安定期に入るまではとても不安でした。

そんな私の心配なんて吹き飛ばすくらい妊娠経過は順調で
予定日も10日も過ぎてやっと陣痛に!
しかし、子宮口が開かず病院についてすぐバルーンを入れました。
その日の夕方、破水…それでも子宮口が開かず…次の日には促進剤を点滴。
丸2日陣痛に耐え、子宮口は4センチから開かず、最初の頃は力が入って出ていた羊水もでなくなり
最終的には緊急帝王切開に…みんなからフルコース出産と言われました…

そんな中、元気に泣いて3400グラムの娘が誕生。

無事に産まれてきた娘を見て涙が止まりませんでした。
自分はうまれてすぐの赤ちゃんになんて声をかけるのだろうと思っていたのですが
産まれてすぐ見せてもらったわが子になんとも普通に「可愛い!」と言っていました。

そんな娘も今月5カ月になります。
今でも毎日、夫とともに可愛いね、可愛いね~とカワイイの連発です(笑)

陣痛開始からずっと私に付き添ってくれた夫にも元気に産まれてくれた娘に感謝でいっぱいです。

これから家族3人で思い出をたくさん作っていこうと思います。

2010.11.01 投稿者:りーちゃんママ

私の出産は、子供が生まれるまで、とても波乱万丈でした。
仕事が忙しく、妊娠に気付いたのは「妊娠5ヶ月」の時。
嬉しさを感じる間も無く、酷い貧血で入院。
退院したと思ったら「血小板減少」と貧血で再び入院。
退院したと思ったら飲酒運転の車にひき逃げされ入院。
退院したと思ったら妊娠中毒で入院。

もうね、私は五体満足な子供が産めないんじゃないか・・・って落ち込んでました。
いくら何でも、こんなに不運続きな妊婦、いますかね?
入院生活のまま、予定日を過ぎたために、薬での出産を迎えたんです。
陣痛促進剤が身体に合わず、陣痛の度に嘔吐しまくり。
(こんなに辛い思いして、子供を出産する妊婦っているのかなぁ?もう、どうでもいいや)
と出産に対して投げやり状態。

陣痛は酷いし、吐きまくりだし、赤ちゃんが降りて来ない!!
看護師が私のお腹の上に乗り、お腹の上から赤ちゃんを拳でグリグリと下に押し出しましたが、その拳の痛さったら!!


赤ちゃんなんてどうでもいいや・・・そう思った。


陸上部で鍛えた私が、「貧血」だの「血小板減少」だの「腎炎」だの、健康が自慢だった私が病気になるなんて、この子のせいだと思った。

医者にも看護師にも「体力の無い妊婦ね。妊娠に適応できないんなら妊娠しなきゃいいのに。大体、10代で出産しようなんてするからよ」なんて心無い事まで言われて、出産に挑んでいる私がバカに思えてならなく、赤ちゃんを大切に思えるか分からず、そんな事を考えながら女の子出産。

赤ちゃんは何故か泣かず、医師も看護師も慌てていたが、私にはどうでも良くなってた。
それから暫くして、泣き声が聞こえ、看護師さんが「女の子よ。7月7日、七夕生まれね」と私に赤ちゃんを手渡した。

その時に凄く愛しくなりました。文字に表す事が出来ないんですが、本当に愛しい気持ちでいっぱいだった。

赤ちゃんの顔を見たら、今ままで私が思った事を悔やみました。
と同時、私はこの子を守ろう・・・と“初めて母親”になったんです。

どんな困難(何度もの入退院や事故)にも打ち勝ち、私についてきてくれたこの子を守りたいと感じました。

ちなみに今日、7月7日は私の誕生日でもあります。
出産は痛いけど、その分、感動が大きいですね。
無事(?)に出産出来た事、嬉しかったです。

今、妊娠中にトラブルがあり、入院しているお母さんに伝えたい。
「不安に思わないで。きっと大丈夫。無事に出産できるよ。健康な子が必ず生まれるよ」って。

2010.10.11 投稿者:くみ

私のお母ちゃんが、私を産んで女の子だと聞いた第一声が、「こんな痛い思いさせるの可愛そう。」
だったそう。
お母ちゃん!!私を痛みに耐えながらも頑張って産んでくれてありがとう!!
お父ちゃん!!愛情たっぷり注いで育ててくれて本当にありがとう!!

2010年8月3日午前2時2分
長男 利輝 
3654g 50㎝
初産にしては安産の9時間8分
普通分娩で誕生しました。

主人、お母ちゃん、妹に囲まれ、笑いの絶えない楽しいお産でした。

お母ちゃん!!私は、利輝君に巡り合えて、無事に出産できて、幸せな気持ちで感謝の思いで溢れています。
利輝君!!主人と私に産まれて来てくれて、お腹の中でお利口さんに頑張ってくれて本当にありがとう!!


未来の利輝君へ

利輝くん!これを読んでる今、ちゃんと笑えてる!?心配事は何!?辛いことは解決しそうにない!?
たっくさん笑って、心配事も、辛いことも、吹き飛ばしてね!!
それでも、もやもやするなら、いらいらするなら、お父ちゃんと、お母ちゃんがいつでもそばで、話を聞くよ。

利輝君のお嫁さんが、お産を迎えることができたなら、その時は、利輝君がしっかりと痛い思いをリラックスさせてあげて下さいね。


あなたのお母ちゃんより

        


2010.08.23 投稿者:利輝くんのお母ちゃん

2010年秋。
この映画が公開される頃、私は3児の母になります。

3人の子どもたち。それぞれに妊娠・出産にはストーリーがありました。


2005年に生まれた長女が生まれた日は、記録的な台風の真っ只中でした。
妊娠経過は順調。変わったことといえば、前駆陣痛が長かったくらい。

出産予定日3日後、朝食の準備中に突然破水し、緊急入院。
ところが、微弱陣痛は続くものの子宮口は堅く閉じたまま。
仕方なく、休日だった主人が特別に医師に外出許可を頂き、夫婦二人で、病院の近くの公園まで散歩に出かけました。

途中、市役所で選挙の期日前投票をしてきたのですが、大きなお腹を見てスタッフの人たちに、「いつ出産ですか?」と聞かれ、「実は、これから出産なんです(笑)なかなか生まれてこなくって、病院から歩いて来ちゃいました。」と主人とともに話すと、投票場となっている会議室は大爆笑に包まれてしまいました。

投票を済ませ、商店街を痛みとともに歩いて病院へ。これで出産と思ったのですが・・・結局その日は生まれず。その後、陣痛促進剤とバルーンで子宮口を開き、破水から60時間以上掛けて(本格的な陣痛からは13時間)ようやく生まれてくれました。

台風が上陸し、主人の仕事が多忙になり、入院中、職場から近い私の病室から通勤していました。
そして退院して数日後、今度は、実家に病院から突然の電話。


「先日の血液検査の結果、再検査になったので、すぐに精密検査を県立病院で受けてください」


急遽、紹介状を持って、地元で一番大きな病院へ行って、血液検査を受けたところ、数千人に一人の病気を宣告されました。


「先天性甲状腺機能低下症」


原因がわからないまま、専門医の診察・小さなわが子を抱いての通院生活が始まりました。インターネットの情報だと、一昔前までは、発達障碍・低身長などがでる、治らない病気だったということを知り、自分の娘の将来を悲観したころもありました。

・・・ところが、幸い長女は病気の発見が早かったこともあり、その後、薬を飲む以外はまったく正常な子どもたちと同じように成長し、5歳になった今では、幼稚園に通い、病気のことを忘れそうになるくらい明るく元気いっぱい過ごしています。


2008年に生まれた長男は、命のバトンを受け取った日に生まれた、奇跡の子です。
1998年春。夢を追いかけ海外留学。しかし、その途中に突然交通事故に遭い、骨盤と手足など複数の骨を折る大怪我をしてしまいました。

一時は生死をさまよっていた私。

夢の中で、神様が、

「5年後に愛する人と出会い、10年以内にかわいいわが子を抱ける、その日まで生き抜きなさい。」

とつぶやいたような気がして、三途の川の川べりで何とか命をつなぎとめました。
何とか留学を終了し、帰国。すぐに入院生活が始まったのですが、無理がたたり、当時の主治医に、「よくて、車椅子生活、下半身不随も覚悟しておいてください。」とまで言われてていて、3度もの大手術、1ヶ月間の寝たきり生活を余儀なくされました。

普通分娩の出産なんて、絶対に不可能だと誰もが思っていました。
その言葉通り、事故から5年後となる2003年に、偶然同じ職場に勤務していた今の主人と出会い、翌年結婚。

息子が生まれたのは、事故から10年後の2008年、しかも大手術を受けたまさにその日でした。娘も息子も、あの事故で、ずたずたになった、その骨盤から、普通分娩で生まれてきました。

予定日の夜中に、急に陣痛が始まり、翌朝、病院へ。早朝におしるしが来て、お産の部屋で一日過ごしました。
午前中、陣痛は5分間隔。

まだ助産師さんと世間話をする余裕があったのですが、お昼ごはんを食べたあたりから陣痛は2分間隔へ。
子宮口が全開になり、長い長い痛みが続きました。そのとき、へその緒が何重にも巻いていたのですが、ゆっくりゆっくり出てきてくれました。

夕方、長男を出産。

主人にとっては待望の男の子でした。
・・・現在2歳。わんぱくざかりの、とっても元気な、そしてやさしいおにいちゃんになろうとしています。


そして、今私は妊娠35週。
来月、3人目となる次女を出産予定です。

長男の育児がある程度落ち着いた昨年の夏。長女の幼稚園入園と長男の保育園入園をきっかけに、ある会社で数年ぶりに再就職した矢先の妊娠発覚。

悪阻がひどく仕事に支障が出てしまうために数ヶ月で退職。今度は切迫流産・切迫早産の危険性があるといわれ、張り止めの薬飲んだり、自宅安静をしながら、ようやくここまで来ました。

現在、二人の子どもたちは、スイカのように大きくなっていくお腹を触りながら、次女の生まれる日を楽しみに待っています。

おなかの中の次女は元気いっぱいに動いています。どんな出産になるのか、とっても楽しみにしながら、残り少ない妊娠生活をすごしています。


子どもを生むまで、赤ちゃんの鳴き声さえうるさいと感じてしまうくらい子どもが嫌いだった私だけど。

大学卒業したころは、30代半ばまでは独身で仕事ばかりしてて、事故の後遺症もあり、子どもを生むのはあきらめなければならないと思っていた私だけど。

今の主人と、3人の子どもたちが、私を母親にしてくれました。

今、地元のおや子劇場の運営委員や、国際交流ボランティアなどの活動を通じて、子どもたちに本物の世界を、芸術を知ってもらう活動を少しずつ始めています。


子育てに追われる、ありふれた毎日だけど、とっても幸せです。

2010.08.20 投稿者:まーぶるまみぃ

4姉妹のママです。38歳の時に自然妊娠し、高血圧の妊娠中毒症で入退院を繰り返していました。ダウン症の子が生まれるかも・・・でも不妊治療を経験している私は、どんな子でも、私のお腹に授かった命は、守ってあげようっと決断し、羊水検査もせず、出産に備えていました。
 9か月に入りパンパンにお腹だけが膨れ、沙優希はなかなか体重が増えず・・・そんな時、胎児の心臓に異常が・・・すぐに子供医療センターへ救急車で転送され、検査をしてみると、18トリソミーという病気でその中でもかなりの重症であることを告げられ、生まれても予後が短いといわれました。それで、母体にリスクの少ない自然分娩をすすめられました。少しでも赤ちゃんに負担をかけたくない・・無事生まれて欲しい・・生まれてきたら泣き声を聞きたい・・迷わずに帝王切開をするように先生にお願いしました。
 しかし、明日帝王切開で生む予定のはずが・・先生に胎児の出産リスクを減らす為だけでは、帝王切開する理由にならず、自然分娩で生むようすすめられました。もし異常が少しでもあらわれたら、すぐにでも帝王切開して出産させて下さいお願いします。それから、長い長い陣痛が何度もやってきました。私も、沙優希も頑張りました。やがて、私は考え方を沙優希に変えさせられました。「ママ私は、大丈夫だよ。自然に生まれても、必ずママに会いにいくよ。」ってお腹の中の我が子が私を説得するかのように、よし自然分娩で出産してみようこの子ならきっと大丈夫って考え、自然分娩で生もうっと決断させてくれました。・・数時間後10センチ全開になっていても頑張っていた私たちは、すぐに分娩室に移動させられ、羊水がパッシャーンっと出て、沙優希も小さかったので、するっと生まれてきました。そして、細い声で泣いて、私に声を聞かせてくれました。(平成21年4月)
 しかし、自力で呼吸できない沙優希は、できる限りの医療行為をしていただき、呼吸を確保して、ひと目だけみて、すぐに、集中処置室へ運ばれて行きました。
 それから、食道閉鎖の為、肺と食道と胃がつながっているので、1,188gの小さな体に手術をすることの説明を受け、手術が始まるまえの5分間だけ、会うことができました。先生方も予後が短い沙優希にきちんと全力で処置をして下さり、無事手術は成功しましたが、あまりにも小さいので食道をつなぐことはできず、胃ろうから食事をとることになりました。
 手術を終えても、1週間から1カ月でしょうっと言われましたが、短い期間でも、我が子が生まれてきた頑張りに、私も応えよう!それから、何度も危機があり、気管切開の手術を行いましたが、先生方の適切な処置のお陰で、現在は、たくさんの医療機器に取り囲まれながら我が家で過しています。(平成21年10月在宅へ)
 一度しかない人生、この子は、短くても意味のある楽しい人生になるよう、4姉妹の育児を日々楽しんで送っています。
 しかし、福祉サービスは地域によって格差があります。許可をもらうまでも時間がかかります。何度も説明を繰り返し行い、理解してもらうにはかなりのパワーが必要です。もっともっと障害者が生きていくうえで公正なサービスが受けられる社会になるように願います。
 この映画を通して、いろんな方に生まれて、生きていくことを、命の重たさを感じてもらいたいな!っと思います。また、幸せな気持ちになってもらいたいです。
 障害者でも、健常者に対して何かできることはきっとあるはず、ひとりひとり社会の役割があって生まれてきたのだから、そう私は考え、できることから行動していこうと思いました。我が家に沙優希が生まれてくれて、本当に感謝です。人生の幅が広がり、いろんなことを気付かされ、家族も成長させられています。これから、どれくらい生きてくれるかわかりませんが、一日一日を楽しく過ごせたらいいな。って思います。 

2010.08.14 投稿者:沙優希ママ

現在三人の母。16歳の長女を出産する時、三日間の陣痛に耐えた末
娘の心拍数が一気に低下し、緊急帝王切開となり娘は死の一歩手前の
仮死状態で産まれました(2760g)

彼女も相当苦しかったのでしょうね…

私の御腹の中で胎便をしており羊水は便で汚れていたそうです
産まれても中々産声をあげず冷や冷やとした事を昨日の様に思い出します。

11歳になる長男の出産、リスク出産と言われながらも自然分娩に拘り、
帝王切開を拒否し続け、10時間半の陣痛、子宮口が8cmより開かない中
リスクがあると言う理由から吸引分娩にて強引に産まされました…(2716g)
きっと三人の中で彼が一番痛い出産だったと思います。

この18日で一歳となる次女の出産は予定日を三日過ぎた所で陣痛促進剤を
二日程飲み、陣痛から四時間と言うスピード出産でした (2744g)

最後に産んだ彼女のお産が三人の中で一番楽で、一番静かなお産でした(笑)

三人を産む間にも流産を6回程経験し、長男が2歳になる頃に子宮外妊娠も経験。

泣いたり笑ったりの我が人生。色々ありながらも三人の子宝に恵まれた事に
感謝する今日この頃です。

お産とは一人一人にドラマがあり、一人一人味わう苦痛や感動も違う。そう思います

次女は団塊の主人をはじめ、二人の子供たちが見守る中で生まれました
出産を通し、生命とは何ぞや?大人の責任とは何ぞや?を二人の子供たちに
分かり難い言葉ではなく、目で見て心で感じる素敵な体験学習として教える事が
出来た様に思います。

女は命を掛けて命を育み、命を掛けて世に新しい命を送り出す。


2010.07.15 投稿者:鈴ママ

私は4年前に30週で長女を死産した経験があります。

緊急オペで帝王切開した為、術後1年間は妊娠できませんでした。
妊娠解禁後も死産の辛さをずっと引きずったままで、
どうしても前に進めず、あるスピリチュアルカウンセラーの元に
飛び込みました。

スピリチュアルカウンセラーを介して長女のメッセージを聞くことができました。
「またあなたの元に返ってくると言っているわよ。性別は違うようだけど」
と。実は、このとき妊娠6週でした。

その後、経過は順調で、長女の時に緊急オペしたので今回も帝王切開。
オペ予定日は5/28。
予定通り、5/28に次男を無事出産。

長女が生まれた(死産)日が5/24で火葬したのが5/28。
次男が生まれたのは長女が生まれてから2年後の5/28。
こんな偶然ってあるでしょうか。
2年の歳月を得て、次男に長女の魂が戻りました。
長女の生まれ変わりだと確信してます。

「うまれる」とは、魂を引き継ぐことでもあるのかなと感じています。

2010.07.07 投稿者:merumo

娘が二人います。二人とも助産院のような病院で畳の部屋で出産しました。
長女は夫が分娩台のような格好になり、産まれてきました。

産まれたとき夫は泣いたそうです。

次女もまた長女と同じように夫を分娩台にして、産まれてきました。
産まれる瞬間まで隣でグーグー寝ていた長女。

「赤ちゃん、産まれるよ!」という助産師さんの声にぱちっと目を開け、すくっと起きあがるとしっかり妹が産まれる瞬間を見届けてくれました。

でてきた瞬間、「ほんとうだ」と一言。長女は産まれた妹が可愛くてしょう
がなかったらしく、興奮していました。(深夜だったのに)でもしばらくして妹の
隣に寄り添うように寝てしまいました。

そのまま家族4人朝まで眠りました。

私にとって2度のお産は、今思い出してもそれはそれは幸せなものでした。
子育てをしていると、イライラしたり、子供が思い通りにならないことに苛立ち
つらくあたってしまったり。母親失格な私です。

子供は奇跡です。

産まれてきてくれたそれだけで感謝しないといけないのに。
いつも怒ってばかりでごめんね。

心から、産まれてきてくれてありがとう。

2010.07.05 投稿者:さちえひ

H19年9月に長女を出産。
仕事が三交代だったため、深夜でも走り回っていて、そんな生活の中、切迫早産で1カ月半寝たきり生活になりました。そして 迎えた出産。深夜3時にいきなり陣痛・破水し、病院へ。日が昇ってから両親に連絡すればいいって思っていたら、朝6時半に生まれてしまい、旦那以外は病院に行ったことさえ知らずに事後報告でみんなを驚かせました。

そんな体験もあり 出産に対して二人目ができた時、長女に「あなたもこうやって生まれてきたんだよ」って伝えたくて 家族に囲まれてゆったり出産したくって 自宅出産を希望しましたが、旦那の反対にあい、産院でのオープンシステムでH21年12月出産しました。
ぎりぎりまで自宅で過ごし、痛みがかわってくるのを体で感じ、いっぱいお腹に話しかけながら、大好きな助産師さんと旦那とお義母さんに見守られ(長女はアデノウイルスで立ち合えず)幸せな時間でした。
回旋しながら 降りてくる次女を感じ、もう会えるんだと思うとうれしくて…。
本当に産み落とすってこんな感じなんだとスルッって出てきて、次女の頭を手でキャッチした時の感覚・重みは愛おしくてしょうがありませんでした。やっとあなたに会えた…。

長女の回復を待って産院を退院し、長女が次女に初めて会った日。おそるおそる手を出し次女を抱く長女を後ろから支え、「あかちゃんだよ」って言うと長女から「ママ、赤ちゃんぼっとんしたの?」って返ってきました。「そうだよ。ママ、赤ちゃんと一緒にがんばってぼっとんしたんだよ。」って伝えると「そっか」って言いながらぎゅってしてました。小さいながらにもいろんなことを感じ、考え、大きくなったなあっと改めて感じる瞬間でした。


毎日育児・家事に追われながらも 子供たちの成長が嬉しくもあり、今、この瞬間は今しかないんだ!って思うとさみしくもあり…。
私をママに選んでくれてありがとう…。生まれてきてくれてありがとう…。一緒に笑ってくれてありがとう…。

もし、三人目がお空からきてくれるなら、いつもと変わらね生活の中で家族みんなに囲まれて自宅でうみたいと思いました。

2010.07.04 投稿者:あきのん

私は2000年7月に初めて子供を出産しました。
結婚して少し経ち、妊娠が分かり主人共々大喜びでした。
でも私は身長が142センチと小さいので”普通に産めるか 五体満足な子が生まれるか”と
とても不安でした。
でも無事2404グラムの元気な女の子を授かりました。
今では3人の子を持つ母ですが 小さい体の私でも 元気な子は産めるんだ!!と世間の皆に教えたいです。

2010.07.03 投稿者:海海秀

-母の勘-


小さな頃から「母の勘」は良く当たりました。
といっても宝くじに当たるとかいった類のものではなくて、
私、娘の未来についてに限ったことです。
母は私の「双子の妊娠」が分かった時、


「あなたが双子を生んだらあなたが死んでしまう。無理だ」


と何度も私に言いました。
「なんで?」と聞いても「母の勘だ」とだけ言い、明確な理由は無いというのです。

私は妊娠二ヶ月ごろからつわりがひどく、仕事を休むことにしました。
長期休暇に入った次の日、「なんだか脈が速いな」と思い、過去に不整脈があると診断を受けたこともあったので、県立病院を受診することにしました。

初診受付の時間が過ぎていたようで、受付で「また明日にでも出直してください」といわれたのですが、そこへ看護師さんがやってきて「症状は?」と尋ねるので「脈が速くて」と話すと「これは速過ぎる。今すぐ救急で診てもらいましょう」
と、救急救命センターで診てもらえることになりました。

私と同じ歳くらいの女性医師、H医師が心電図をとり、「不整脈発作を起こしています。点滴で抑えます」と診断し、
私が妊婦だと告げると、産婦人科医師と連絡を取りながら、「胎児に影響の無い点滴を使います」と点滴を打ちました。

そして「明日、私の先生であるU医師の外来を受けてみませんか?不整脈の専門医です」と提案されたので予約をお願いすることにしました。


次の日、点滴の効果は無く、脈拍は安静時でも140を超えている状態でした。
U医師の外来で

「妊婦に薬は使えない。
点滴が効かないとなると、堕胎し、薬を飲むか手術をしないと、この脈拍がずっと続けば出産まで心臓が持たない。
心不全で死にますよ」

と診断されました。
私の病気は「異所性心房性頻拍症」というもので、普通、心臓は洞結節というところから出る規則的な電気信号にあわせて収縮しているのですが、全く別の心筋細胞が電気信号を送ってしまうことにより心臓の収縮が乱れてしまう不整脈の一種です。


私は今まで発作を起こしたことが無く、妊娠が発作を起こす発端となったようだということです。

私は悩みました。産婦人科のかかりつけ医を県立病院のF医師に変更し、
何度も何度も相談しました。
F医師は「双子は大きく育っていて、今から堕胎するにもリスクが大きい」と診断しました。

ある日F医師から電話がかかってきました。

「U先生がどうしてもあなたに赤ちゃんをあきらめて欲しくないようです。
なんとか堕胎せずに手術をする方向で頑張ってみませんか?手術には大量の放射線を使いますが、U先生が赤ちゃんには出来るだけ影響を与えないように手術を行うよう努力します」といった内容のものでした。

手術はそけい部の血管から心臓に向かってカテーテルを通し、おかしな電気信号を送っている心筋細胞を特定し焼ききってしまう
「カテーテルアブレーション」という内科的治療です。

直接目では見えない血管にカテーテルを通すには、
大量の放射線を当て続けるので胎児の奇形が心配されます。

母は「私の勘は当たった。まだ見ぬ孫よりあなたの方が大切。本音は堕胎して欲しい。
でも私にとってあなたが大切なのと同じようにあなたにとって赤ちゃんは大切でしょう。あなたが決めなさい」
と私に言いました。


私はやはり、赤ちゃんに障がいが出てしまうのではないか、ということが一番心配でしたが、F医師の

「赤ちゃんの障がいは100人に1人の確立で起こる。原因は特定出来ない。
もし今回障がいを持った赤ちゃんが生まれたとしても手術が原因だと断定は出来ない。
障がいを持つ赤ちゃんを育てる勇気がなければ元々出産する資格は無い」

という言葉で生む決心が付きました。
手術は胎児に影響が出にくいように出来る限り遅い時期で、且つ私の心臓が力尽きてしまわぬよう出来る限り早い時期…
ということで妊娠4カ月に行うことになりました。

私の脈拍は次第に速くなり安静時でも160以上、少し動くと180近くにもなりました。
手術日までなんとか心臓を休ませようと寝たきりの生活を送りました。

手術は万全の体制で行われました。薬も点滴も妊婦に使用可能なものを用い、造影剤は使わす、
放射線技師が私のお腹に防護カバーをかぶせ、
お腹にどのくらいの放射線が当たったかをカウントする器械を設置しました。

多分妊婦がこの手術を行うのは全国初だということでした。

手術は成功しました。

不整脈の発生源を焼ききる根本的治療なので、私の不整脈は全く無くなり
U医師にも「普通分娩だろうが何だろうが全く問題ない。もう心臓は健康です」とお墨付きをいただきました。

私は実家近くの産婦人科で出産しようか悩みましたが、せっかくの縁で赤ちゃんが助かったのだからと
県立病院で産むことを決めました。


…この決断が私の生死を分けることになろうとは


この時は全く思っていませんでした。


双子妊娠は早産になることが多く、私は32週目ごろに管理入院になりました。
24時間点滴を打ちながら苦しい日々を送りました。

母は「赤ちゃんよりあなたが心配。早産でも今の医療ならば赤ちゃんは助かる。
でもあなたのお腹がこれ以上大きくなるとあなたが助からない」

と言い、何度も早く生むことを勧めましたが
私は医師が勧める「36週目」までなんとか赤ちゃんをお腹で育てたいと考えました。

しかし、日に日にお腹が苦しくなり、夜も眠れない日が続き、「少し早めに帝王切開できませんか?」
と相談するとF医師が「あなたは心臓手術のこともあり心配なので、34週に生みましょう」と言いました。

しかし、小児科医師が「34週では赤ちゃんにもしものことがあったら心配だ。NICUにも空きが無い」と了承せず、
結局35週目に帝王切開となりました。

出産なんてこの世の半分近くの人がするものです。痛いのは怖いな…とは思いましたが、
まさか命にかかわるようなことになるとは思いもしませんでした。

腰椎麻酔なので意識のある中で手術が行われたのですが、赤ちゃんが出てきて


「ああ、元気な男の子が二人だな」


とわかった後、私は麻酔の効きが良く、ついウトウトしてしまいました。
ふと気がつくと手術室には多くの医師が集まっていました。

「3リットル出た!」

「4リットルになるぞ!」

「15カ所もとまっているなんてすごいな」

F医師が怒った声で


「家族呼んで!!子宮取るぞ!!」


私は子宮からの出血が止まらず、止血器具で15カ所留めたが、危険な状態で子宮を切除するんだとすぐに理解できました。

その後の「全身麻酔しますね」という麻酔科医師の言葉とともに私の記憶はなくなっています。

次の記憶は集中治療室です。

私はお腹が大きくなりすぎたことが原因で弛緩出血という状態になり、体のほとんどの血液量である5.2リットルが出血し、3リットルの輸血を受け子宮を切除した、ということでした。

大きな病院だったこと、
しかもたまたま麻酔科医の手が3人も空いていたことで命が助かったそうです。

このような状態に陥る人は1万人に1人ほどの確立でいるそうです。
2年ほど前にやはり5リットル近く出血した妊婦は初産婦だったため、医師が子宮切除をためらい死亡し
医師が妊婦家族に訴えられ裁判沙汰になったそうです。

そしてそれが産婦人科医不足を加速させる結果に。
私はF医師が子宮切除の決断を下したときの手術室での必死な顔を思い出し、本当に感謝しました。

患者本人の意思が聞けない状態での切除というのは、辛い決断だったろうと思います。
また、あれだけの出血があったのに記憶があるということは、麻酔科医の対応が良かったのだと驚きました。

次の日には一般病棟に戻りました。
産婦人科の病棟の看護師さんが泣きながら私を集中治療室に迎えに来てくれました。
ようやく一安心…と思ったのもつかの間でした。

一般病棟に戻った次の日の夕方、私は突然息苦しくなり看護師さんを呼びました。


「息が出来ない!これじゃあ死んじゃう」


と思った後…私の記憶はありません。
実際には意識はあったそうなのですが、よほど苦しかったのか
私にはその後の記憶がありません。

次にまともな記憶があるのは、約10日後になります。

私は出産が大変だったため、
産じょく性心筋症という1~2万人に1人がかかるといわれている珍しい病気になり、心肺停止直前にまで陥ったそうです。
(ちょうど私が産じょく性心筋症で倒れた頃、朝日新聞にも特集記事が出ていました)

肺には水が溜まり、心臓は肥大し1割も動いていない状態でした。
最初の3日間は生存確率1割、その後5日間生存確率3割といわれ、
そけい部からは中心静脈カテーテルが通され輸血を受け、口からは人工呼吸器が入れられ、麻酔薬プロポフォールや安定剤などで眠らされていました。

意識があるため、夢と現実の中で、私はずっと

「赤ちゃんを置いて死にたくない」

と願っていました。
夢の中では自分の周りで寝ている人が次々と死んでいき、

「私も早く死にたい。でも赤ちゃんを置いてはいけない。
みんな死ぬのにどうして私だけ死なないの?」

と思っていました。
私は思わずH医師に「どうして私は死なないの?」と夢の中の出来事を現実で質問してしまいました。

H医師は涙を流しながら「どうしてなのか私にもわからない。ただ、あなたは私にとって初めての担当患者で、歳も同じだし忘れられない大切な患者さんなの。
心筋症になって倒れたとき、どうしても助けなければとU先生も私も必死だった。」

このH医師は、最初にも述べましたが、私が一番最初に不整脈発作で救命救急センターで見てもらった先生で、それがきっかけで、
カテーテルアブレーション手術の際もわたしの担当医を勤めてくださいました。

歳が同じということもあり、入院中に世間話などもして仲良くさせてもらっていました。

私が心筋症で倒れたのは午後7時頃で、私がカテーテルアブレーションを受けたことを知っていた産婦人科医師が
運よく1人だけ残っていて、「彼女は、心臓病患者でU医師の患者だから」と直接U医師、
H医師を「勘違いして」呼んでくださった事が、結果として私が助かった理由です。

実際は、私の不整脈は完治していました。しかし、「たまたま」同じく心臓が原因でした。


あと15分遅ければ私は死んでいたそうです。


また、本当は直接産婦人科病棟に内科医のU医師を呼ぶことはタブーだそうで、
医師らの迅速な対応のおかげで奇跡的に助かりました。

2年ほど前、心筋症でこの病院に運ばれた患者さんは亡くなったそうで、
一刻も早い病名の診断と救命措置が、命を左右します。

この病気は原因不明で、健康な人が妊娠出産がきっかけで突然発症します。

また病気の発症にも色んなパターンがあり、私は急性で突然死に至ってしまう状態でしたが、
人によっては、じわじわと心臓が弱っていくため、病院でも風邪か何かと勘違いされ、
気がついたときには酷い心不全の状態…というタイプの人もいるそうです。

母は「とうとう、今度こそ死んだ」と思ったそうです。私が集中治療室にいる間、
家族全員毎日泣きながら暮らしたんだ、と聞きました。
「病気になったのが自分でよかったな」と正直思いました。

私は元々特に病気も無く、
「双子を生むとあなたが死ぬ」なんて母の言葉が全く理解できませんでしたが、
まさか、これだけのことが自分の身に起こるなんて、
母という存在には子の未来を暗示する何か特別なパワーを持っているのだと思わずにはいられません。

私も子を持ち、母になりました。

いつか母の気持ちがわかるようになれたら、と思います。

また、元々不整脈を持っていたにもかかわらず、
一度も発作を起こしたことが無かったのですが、
妊娠をきっかけに不整脈発作を起こしたことが、のちの産じょく性心筋症の際、助かったきっかけとなりました。


つまり、私と双子の3人皆が助かるには、不整脈発作は必要だったのです。


双子の赤ちゃんが、私の命と自分たちの命を助けるために
不整脈を起こしたのでは…?と不思議な気持ちになりました。


今回の体験で、命のはかなさや出産の大変さを知ることが出来ました。
全ては結果論です。もし、母の言うとおり堕胎していれば…もしかしたら一生子供が生めない体になるかもしれない。

もし母の言うとおりもっと早めに出産していれば…私は無事だったかもしれないが、赤ちゃんに障害が出たかもしれない。

母は「もしあなたが死んでいたら医師を恨む」と言っていましたが、
すべては結果論で、医師が最善を尽くしたのは確かです。

この世にある命は全て尊いもので、
選ばれて望まれて生まれてきたものだと確信しました。

2010.06.20 投稿者:のり

不妊治療の末に授かった子供がいます。
重い病気と最重度の障害をもって産まれてきました。

妊娠初期、切迫流産の治療をしばらく続けました。
普通に、元気に、当たり前に産まれてきてくれると思った私のかわいい赤ちゃん。
でも普通の人の半分も人間らしく生きる事ができない。
おいしいものを食べて幸せを感じ、旅行に行って楽しいと感じ、恋愛をして嬉しかったり悲しかったり。。。そんな当たり前が私の子供にはない。

ママのところに来てくれてありがとうとは思えない。どうしても思えない。
産んでしまってごめんね。
あの時、ママがあなたを引き止めなければ、別の命としてあなたは病気を持つことなく当たり前の幸せを感じられる、そんな人生を送れたかも知れない。

でもね、大丈夫。今、こんなにも苦しく辛いけどその分、次に産まれて来る時は誰もがうらやむバラ色の人生が待ってるんだよ。
だから、ママと一緒にがんばろうね。
がんばろう。

2010.06.11 投稿者:ゆりねっこ

私ゎ25歳で3人の子供がいます。

1人目は18のときに妊娠

2人目は21のときに妊娠

3人目は22のときに妊娠しました。

*初産*
私は妊娠していることを3ヶ月のときに知りました。
私はまだその時結婚もしてなかったので不安でしたが自分のお腹の中に赤ちゃんがいるなんてとてもとても嬉しかったです♪
でも何もかもが幸せではありませんでした・・・

でも私はあるものに救われたんです^^
それは振動。
お腹が大きくなるにつれ、赤ちゃんの振動が感じられたのです^^
その振動には何回も救われました。
あっもう1人じゃないんだ。って・・・

*陣痛・出産*
陣痛がきたのは予定日よろ1週間過ぎた頃でした。
マタニティヨガをしている時に陣痛は来ました。
いつもとは違う張りを感じて間隔をはかると、なんと3分間隔でした^^;

すぐ産婦人科に運ばれて子宮口を見てもらうとまだ2センチほどしか開いていませんでした㊦㊦
それから3時間様子をみて子宮口をみてもらうともう全開でした!

分娩台にのって「ヒッヒッフー」を続けたら赤ちゃんの頭が徐々に出てきました。
そしてやっと出産。

8時間かけて産んだ我子・・・
3406gもありました^^
まだ見えないはずの小さな目で私を見てくる娘・・・

そして私はもっと子供を産みたいなと感じれました☆

名前は「空羅(そら)」空のように心が広い子に育ってほしいと名づけました。

それから次女・三女と娘を3人も出産しました。


そして現在妊娠中・・・
お腹には臨月の赤ちゃんがいます・・・
その子も女の子♪
また新しい命を授かって大変嬉しくおもってます・


出産は大変だけど、産んだ時の瞬間って忘れられない思い出だと思います。

「ママの所に生まれてきてくれてありがとう」

2010.06.11 投稿者:chikako

予定日をかなり超過して心配心配の中…11日、14時半頃突然陣痛がやってきました。


お腹の下の方での鈍痛。これかな?最初はこんな感想。
家族がいたので「痛い。これかな?」なんて余裕ある会話。
友達にメールで「こんな感じ?」なんて確認したりして。。
それから時間を計ってみることに。


初産婦は10分間隔になってからしか病院に行けませんし、入院できません。
最初は15分~20分間隔。
2時間過ぎた頃にはだんだん規則正しく鈍痛がやってくるように。
しかも痛みの長さも規則正しく。


痛いときは横になり、痛くないときはなんともない。
おぉ!!これが陣痛かぁ。
そう実感したのはシャワーを浴び、軽食を食べ、病院への準備をし始めた18時前後のことでした。


痛みはだんだん強く、そしてはっきりしたものになってきます。

TVを見たりしている余裕は少しずつ無くなり、病院に電話して確認。

完全に「陣痛ですね。10分間隔になったら再度お電話くださいね。」とのこと。


20時半過ぎに10分間隔になり再度電話するまで
家族でドキドキしながら時間を計りメモを重ねていく。
20時半過ぎに電話するも色々確認事項等がありすぐに病院に行けず。
家で過ごしてから来てもいいし、今来てもいいですよーと気軽に言われ拍子抜けw。


家族は心配してるし、私も痛みが強くなって心配だったので病院に行くことになり両親と旦那様とで病院へ。

10時→病院到着。尿検査。体重・血圧測定。着替えて陣痛室へ。オムツのようなパッドをつけられ内診。痛みは強くなりはじめる。

11時→これからのことを家族で相談。付き添えるのは1名の為、誰が残るか明日再度くるかの相談。朝まで一人で頑張ると決意。

12時→両親、そして旦那様には帰宅してもらう。一人で耐えられるくらいの痛みだった為、余裕発言。「大丈夫、大丈夫」

1時→陣痛って不思議。規則正しく間隔を空けてやってくる。。。「この痛みに何時間耐えるんだろう」不安が押し寄せる。

2時→間隔は変わらず。規則正しく痛みは来る。でも若干痛みは強くなりはじめる。当然眠れない。4人部屋の1人が分娩室へ。ドキドキ。。。

3時→多分さっき分娩室へ行った人が赤ちゃんを産んだのだろう、外がざわざわ。そしてこの時間から急に不安になる。痛みはどんどん強くなる。

4時→毎時見回りに来てくれる看護士さんに、「いつ頃生まれそうですか?」と質問攻め。だって不安なんだもの。痛くて眠れないんだもの。「朝方かなぁ」と言われ、ちょっと元気に。あと数時間後で赤ちゃんに会えるんだ!頑張ろうと思う。

5時→一睡も出来ず。痛みは強くなり、声を出さずにはいられない。隣の人が陣痛室へ。はぁ・・・経産婦は早いんだ・・・うらやましい。痛みが強くなり、おしりの下をぎゅーってグーで押して痛みを逃す。声もでちゃう。苦しくて泣きそうになる。

6時→痛みの中、深夜帰宅した両親が来てくれてほっとする。顔を見たとたん甘えてしまいそうになる。痛みは強く、初産婦にしてはとにかく早いお産の進み具合。「9時頃には生まれるかも」なんて言葉に旦那様に連絡何時にしようか?なんて相談しながら痛みに耐える。

7時→痛くて、痛くて、朝の食事がとてもじゃないけど取れない。少し食べてみるも痛くて辛くてやっぱり食べれない。あと数時間の我慢。そう言い聞かせて耐える。

8時→毎時の検診で看護士さんに「お昼頃には生まれますかね」なんて言われる。おいおい。。。延びてるよ。。。朝方にはって言ったじゃん!とにかく辛くてずっと同じ間隔で痛みが続く。親に話相手になってもらい気が紛れるも痛みが来ると感情的に。はぁ。。いつまで続くの?

9時→この頃、既に一睡もしてなくてへとへとに。水や食べ物。なんかトイレとかを気にしてぜんぜん取れなくて。。。辛い。トイレに行くのも陣痛と陣痛の間。ちょっとずれたらトイレで陣痛がやってくる。痛い。動くのがしんどい。

10時→旦那様が病院に到着。父、母、旦那様の3交代制がはじまる。今考えるととてもとても有難い。私の暴言、我侭がはじまるw。腰の上の方を押してもらう。横になるより、座ったほうが陣痛の痛みは楽に感じた。

11時→毎時の検診で「夕方には生まれますかね」と違う看護士さんに言われる。おーい。また延びてるぞ!。それもそのはず、お産の進みがぴたっと止まってずっと同じ間隔のまま、先に進まない。子宮口がひらかない。このまま耐えるしかない。

12時→両親が昼食へ。旦那様に1時間お相手してもらう。そばにいてくれてるのに痛みで文句ばかり言ってしまう私。そして大変さを分かって欲しくて何度も痛い痛いと繰り返す。きっと困ってただろうな。。。旦那様は必死に腰を押し続けてくれる。

13時→両親が戻り、旦那様が昼食へ。腰を押す力加減が、父だとちょうどいい。母だと弱いが、女同士の安心感。1名しか付き添えない為、交代で腰を押してもらう。もう何時間になるだろう。。。不安は募る。痛みは変わらず。文章にするは簡単だが、痛みは半端無い。

14時→旦那様が戻り、腰を押すのが3交代制に。両親の計らいで旦那様との時間を多めに取ってもらう。同室で4人いた妊婦も2人に。「私はいつ?」旦那に聞いても分かるはずもないのに。責める私。痛みでとにかく分娩室に行きたい、赤ちゃんを産みたい、開放されたい。泣きたくなる。

15時→本当なら、朝方に生まれてるはずなのに。今や夕方。。。本当に生まれてくるのか、この陣痛の痛みから解放されるのか心配になってくる。福岡から来てくれた父は明日福岡に帰ることに。赤ちゃんの顔を見ずに帰ることになるのだろうかと不安になる。痛みはどんどん大きくなり腰より下を押して欲しくなる。

16時→毎時の検診で「今日中に生みましょう」と助産師の方が励ましてくれる。ちょっと光が見えた。頑張ろうと思う。痛みはだんだんピークに。もうすぐか?もうすぐか?期待しながら座っていられず横になる。陣痛と陣痛の合間にうとうと。

17時→陣痛と陣痛の間に寝ているんだろう、記憶がない。でも陣痛がくると半端無く痛くて起きてしまう。そうだ・・・ずっと寝てないんだ。気力、体力、そして精神力がほぼゼロ。痛い。痛い。痛い。痛い。隣の妊婦が分娩室へ入り、私一人に。分娩室から叫び声が聞こえる。不安に。旦那様の前で泣く。涙が止まらない。

「私にも赤ちゃんが産めるの?」

18時→陣痛が遠のいてきているので散歩をするように言われる。もうここまできたら強行だ!旦那様に付き添ってもらい、病室や廊下を歩く。歩いていても陣痛はやってくる。壁の手すりにつかまりながら、旦那様に腰を押してもらいながら頑張って歩く。動く事で下に下に下りてくるんだろう。夕食が運ばれるも食べる気になれず。散歩のおかげで陣痛が強くなってくる。

19時→助産師さんに内診をしてもらい、子宮口がもうそこまでひらいているとのこと。相談して、破水させてもらう。はさみを入れ破水。あたたかい間隔が足元に広がる。赤ちゃんがこれで出てくる。ちょっとほっとしたのもつかの間、痛みは今まで感じたことのないくらい強い痛みに。足の間から何か出てくる、ぎゅーっとした間隔。言葉にだせない痛み。

20時→分娩室へ行く準備。陣痛は間隔が無いくらいどんどんやってくる。すこしうとうとしつつ、痛みと戦う。母と助産師さんが作ってくれた小さな小さなおにぎりを体力付けに食べる。旦那様が食べさせてくれた。感謝。水分が欲しくなる。汗が出る。ベットの横の柵を握りしめ、ひっしにいきみたいのを我慢する。声を出すしかない。生まれる!出る!そんなことを叫んでいたはず。顔を真っ赤にして耐える。分娩室へ行きたい!赤ちゃんを産みたい!

21時→分娩室へ移動。未知のお部屋。でもやっと産めるんだ。「あとどのくらいですか?」と聞く。「1時間ちょっとかなぁ。頑張りましょう」いよいよ。。。出産へ。。。。旦那様に前以って書いた手紙を渡す。

こんな風に陣痛にずっとずっと24時間以上耐えてきました。

初産婦の分娩時間は12時間くらいだから2倍!?

寝てないし、食べてないし、へとへと。

でもでもここから分娩室で最大の痛みに耐えて頑張ることに。

着替えをして、水分補給をしてから分娩台の上に。登るだけでも痛みがあるから大変。足を広げるのも横になるのも大変な状態に。

体に陣痛を計る機械を付けられて、いきむ時の説明を受けながら実際にやってみることに。とにかく痛い。


陣痛にあわせて、横にあるグリップを握りながら、目線はお腹、息を止めまて足の間に力を込める。赤ちゃんの頭が出たり、入ったりの状態。

これがとにかく苦しい。
後で聞いたら声が聞こえてたくらい「痛い!」と何度も分娩室で叫ぶ。


いきみの説明を聞いて何度か挑戦してみるがぜんぜん頭は出てこない。
「助産師さんは頭が見えてますよ」と励ましてくれるが実感もなければ痛みでそれどころではない。

それまで知らなかったんだけど、上向きのまま産むのと、横向きのまま産むのと2種類あって、経験だからと横向きのままいきんでみることに。


これがとにかく痛くて痛くて、すぐに断念。
私は上向いて産みます!と伝え、上向きに。


「吸ってー吐いてー吸ってー吐いてー吸ってー。ハイ!息止めて!」

「いきんで!!!」


これの繰り返し。これを繰り返して赤ちゃんの頭を出します。

ここまで助産師さんと2人きり。「いきみます!」と叫びながら頑張って呼吸。だんだんコツがつかめて来て、無駄のないようにいきもうと決意。

んんっ!!っといきむけど、痛みと苦しさでどうしても唇の間から息が漏れてくる。そうすると1回のいきみが無駄になってしまう。

次こそは!とまた、んんっ!と頑張ってみる。

陣痛と陣痛の合間には体力の限界で意識が朦朧としてくる。

また吸って吐いてーの繰り返しで んんっ!といきみ。

そんなことを続けていると、青い手術着を着た先生と看護士さんが2人。
楽しそうに会話しながら準備をしている。

「もうすぐですよー」と言われほっとする。
あと15分くらいでこの痛みから解放されるんだ!頑張ろう!

今度は先生に説明を受けながら、そして褒められながらいきんでみる。
どうやら私のいきみは上手に出来ているようだ。

「リハーサルをして、本番で産みますよ!」
そう言われてリハーサル。

あまりよく覚えてないが、その時、赤ちゃんが大きいので切開手術をする為の麻酔やらなんやらかんやらされていて。。。(産む痛みが強すぎて痛みはぜんぜん感じない)

いざ本番!

「吸ってー吐いてー吸ってー吐いてー吸ってー!ハイ!息止めて!」
『いきんで!!!!!』

んんっ!          はぁーーーーーーーーーー。

「吸ってー吐いてー吸ってー吐いてー吸ってー!ハイ!息止めて!」
『いきんで!!!!!』

んんっ!  

「息抜いて!いきまないで!」

つるん!!!!!!!!!!!!

「頭が出ましたよ!」

つるん!!!!

「おめでとうございます!元気な女のお子さんですよ!」

『んぉんぎゃーおんぎゃー!』

じーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。

(涙)(涙)(涙)(涙)(涙)(涙)

(感動)(感動)(感動)(感動)(感動)

赤ちゃんを一瞬抱かせてもらいました。

私の中から生まれてきたこの赤ちゃん。
よく頑張ったね。本当によく頑張ったね。
生まれてきてくれてありがとう。
頑張ってくれてありがとう。

涙が止まりません。

赤ちゃんは体重を量ったり体をキレイにしたり。

私は胎盤が出て、手術の縫合など後処理を。

ぼーっとしながら、縫合の痛みに耐えながらなんかじわりと実感。

赤ちゃんが外に連れていかれ、きっと旦那様の所へ。

縫合が終了して、体を拭いてもらい(大汗)、出血多量だった為、点滴をしてもらい落ち着きます。

そして・・・・

旦那様が赤ちゃんをしっかり抱いて、分娩室へ登場。
続いて両親が登場。

赤ちゃんを抱いている旦那様を見て、本当に感動しました。
『がんばったな』って。言ってくれました。


私とあなたの赤ちゃんだよ。

本当に頑張って生まれてきてくれたんだよ。

ありがとう、嬉しいね。って。

再度、私の元へ赤ちゃんを寄せてもらいはじめておっぱいをあげます。

まだ出ないんだけど必死に探して吸ってくれてる赤ちゃん。

いとおしい、とはこういう時の言葉なのね。


その後はみんなで写真を撮ったり、寝顔を見たり。
疲労の中、最大の幸せ感が広がります。


平成21年 10月12日

22時17分

3715グラム 女の子にしてはとても大きい子w。

元気。


私の陣痛→出産レポートでした。
26時間の長い分娩時間でした。


私、思いました。

この子を一生大事に育てたいって。

たくさん愛情を注ぎたいって。

これからたくさん、育児の壁にぶつかって、迷い悩むんだろうけど
でもこのときの『生まれてきてくれてありがとう』の気持ちを思い出して
頑張っていこうって。

本当に生まれてきてくれてありがとう。

私に家族ができました。

そのことが、本当に本当に嬉しくて。

那々里の~存在~が本当にありがたい。

長くなりましたが。。。。以上出産日記でした!。

2010.05.28 投稿者:いとう美羽


こんにちわ☆
私は、24歳で5歳と1歳の子供を持つままです。
思い切って書いて見る事にしました。

私は16歳の時に妊娠しました。
ですが、若かった私は妊娠に関して知識もなく全く無知でした。
初期から何回も出血を繰り返し通院ばかりしてきました。
当時は妊娠=元気な赤ちゃんが必ず産まれると思っていました。
ですが、何かしら異常があったんです。
6ヶ月半ばで死産でした・・。
陣痛を起こして、子宮口を広げてと激痛な事ばかり。
本当にすべてにつらかったです。
すごく悲しくて毎日悲しみに明け暮れました。
でも若かったからかその時は立ち直るのも早かったんです。
その時に彼とはそれが原因で別れてしまいました。

月日が立ち、17歳でまたまた妊娠。
18歳で40週1日、2714gの可愛い娘を出産しました。
骨盤が特殊な形で帝王切開かもと言われてましたが
どうにか24時間近くの陣痛の末、普通分娩が出来ました。
でも、人口的に全開にさせて、人口破水でした。

それからはなかなか妊娠せずに22歳で妊娠。
予定日が4月11日でした。
妊娠糖尿病を疑われ、検査ばかりでした。
ですが、普通分娩が出来るという事なので自然に陣痛が来るのを待ちました。
臨月に入ってからは前駆陣痛が強く
ひどい時は10分おきの陣痛が6時間とか続き早産になると焦りました。
どうにか持ちこたえたのですが3月30日
あまりの痛みに一睡も出来ませんでした。
でも、学年の関係上4月2日以降に産みたかったので
病院には行かなかったのです。。
1度経験してるのでやばい時はわかるかな??と・・。
ですがあけて、3月31日・・・・・・・
さすがにやばいと思い、鉄剤の点滴がてら病院に行きました。
子宮口も開いていてこのまま入院と言われましたが
まだ産みたくないといい
怒ってる先生を無視をして帰宅しました。
あけて4月1日になった頃、限界を感じておとなしく入院。
この時点で2日近く寝てませんでした。
若いとはいえ、痛みも強かったので体力が限界!!
陣痛はかなり強いのに子宮口が開かない・・。
促進剤を投与し、またまた人口破水で、人口的に全開まで開き
思いは届かず4月1日エイプリルフールに
3134gの可愛い息子を産んでしまいました。
本当に、子供がかわいそうでなりません。
毎回、毎回、何かしらトラブルのあるお産です。
25kgも太った体重も産後1年で163cm44kgまで戻りました。


何人産んでも、お産は異なります。
本当に感動的ではありますが本当にお産は大変。
4月1日に産んでしまった後悔もいつになっても消えません。
ですが、可愛いわが子には変わりないです。
早く、次の子を生みたいです☆
あと3人は産みたい(*^▽^*)

くだらない内容ですいませんでした。


2010.04.29 投稿者:まなみん

私は5歳3歳1歳の母親です。

毎日がとてもあわただしく過ぎていき子供たちが毎日
元気に遊んでいるのが当たり前になっている毎日。

3人とも助産院でのお産でなんの問題もなく人並み以上の
安産でとってもいいお産を経験しました。

それが当たり前と思っていました。

今年の正月。

姉の2人目の予定日3日前。

同じ助産院での出産。
2人目の姪っ子の誕生が待ち遠しくいつ生まれるかいつ生まれるか
こころ待ちにしていました。

朝からいつも通りの検診。

そこでの衝撃的な事実。

おなかの赤ちゃんは心臓の鼓動を止めていました。

泣きながらかかってきた姉の電話に何も言えない私。
とにかく姉のそばについていてあげたくて急いで助産院へ向かう。

陣痛がきているのでこのまま産むとゆう。


・・・・・・・。
あの陣痛の痛み。3人安産で産んでいるとはいえやっぱりつらいもの。
でもあのつらさも生まれてくるからこそがんばれるもの。
なのに死んでいる子をあの痛さとともに産まなくてはならない姉。

陣痛と陣痛の合間に号泣。そして陣痛・・・・・。
その繰り返しが見ていられないほどつらく長い時間・・・・。

それでもやっぱり母強し。

産んであげることこそ私がこの子にしてあげられる最初で最後のこと。
がんばって産んであげないと。

母親が子供に対する愛情そのものの発言。

生まれてきた子は私の子供たち、2歳になる姪っ子、みんなにソックリでした。

そんな姉も最近では赤ちゃんがほしいというようになりました。
出産が怖くもあるみたいです。でもやっぱりもう1人赤ちゃんを・・・・と。

自分の手元で子供が笑っている。本当に奇跡なこと。
毎日のあわただしさ、段々と生意気になっていくわが子。
そんな中で忘れてしまいそうなる。

この子供たちは奇跡の中で生まれてきて奇跡の中で
育っているんだ。


もっともっともっと大切にしないと・・・・・。


虐待をしている母親たちは自分でも抜け出せない真っ暗闇の中で
さまよっているんだ。
出産のときの奇跡。子供の産声。
思い出して。自分の中に宿った奇跡。
自分に似ている顔。しぐさ。癖。
思い出して。その子はあなたの子供なんだから。
みんなみんな母親から生まれてきた同じ命。

みんなで奇跡の命を大切にしないと・・・・。

2010.04.21 投稿者:chiaki

2009年の夏。
初の我が子を出産しました。

まだ、20代前半だった頃、妊娠、出産がこんなに奇跡的で尊いものとは、
知りませんでした。

27歳で結婚。子どもはすぐには欲しいとは思っておらず、30歳までに産めたらいいかな~という
気持ちでした。

でも、28歳になると、あっという間に30歳になってしまう・・・と焦り始め、基礎体温を
計ったり、婦人科にかかってみたり。
仕事中心で、自分のことは後回し。そのツケが回って、身体はボロボロでした。
無排卵だったり、月経不順だったり・・・。

2008年。初めての妊娠。大喜びしたのもつかの間。7週で流産。
それでも、仕事を休めず、身体を酷使していました。
2か月後、再び妊娠。今度は、かなり用心したもののまた、流産。

もう私には、子どもが産めないかもしれない。。
でも、焦らず夫婦だけでも仲良く暮らそう。
そう思ったら、3度目の妊娠。

3か月間、悪阻と切迫流産でほぼ寝たきりでしたが、ひたすら育ってくれる事を
信じてすごしました。

妊娠後期には、体調も良くなり、穏やかな日々でした。

出産の日。
前日の検診では、まだまだ産まれないと言われていたのに、
陣痛はどんどん強くなり、間隔も短くなり。。

夫の帰りを待つかのように強い陣痛。

夜に入院し、次の日のお昼までかかると言われたけれど、
夜中に誕生。
ずっと、側でサポートしてくれた夫に本当に感謝しています。

夫も、『女性は本当にスゴイ!尊敬する』と話していました。

なかなか授からなかったり、流産も経験し、本当にたくさん涙したし、
つらい思いもしました。

でも、そんな体験があったから、命を授かり、無事に出産することは
奇跡のようなことだと、より感じています。

ちなみに、何歳で出産!なんてこだわりは一切なくなっていたのに、
30歳になる2週間前に産まれてきました。

育児に疲れる時もありますが、出産した日のことを思い出すと、
我が子が愛おしくなります。

息子よ、
私達を選んで、元気に産まれてくれてありがとう。
これからも、どうぞ宜しくね。

2010.03.23 投稿者:命は奇跡

フィリピン人の主人と家庭を持って16年。
その間に4回の妊娠と3回の出産。
2回目の妊娠がけい流流産でした。全く流産したこともわからず、妊娠確認4週間後に産院へ行ったら、心音が確認できず、けいりゅう流産と診断され、念の為さらに1週間後の診察の後、手術をしました。

当たり前に出産できた第1子。妊娠中もつわりもなく、本当に何の心配もなく無事に生まれてきたので、よもや自分が流産するなんて・・・。でもけいりゅう流産の場合、全く自覚症状がないので、妊娠したことも流産したことも何事もなかったかのように過ぎ去ってしまいました。第1子が1才になり、再就職し、仕事が忙しく、妊娠・流産も出張のさなかに起きた出来事だったので。

こんな私がさらに仕事を続けながら、第2子、第3子と3年おきに出産し、現在は14才、11才、8才の1女、2男の母として今日も忙しく母として妻として家庭を守っています。今は仕事をしてませんが、今さらながら本来の母としての役割がとても重要だという事に気づき、しばらくは家庭を中心に良き妻、良き母に徹しようと思っております。

2010.02.04 投稿者:tamachan

あなたに逢えたこと 私の誇りです

あなたのおかげで  人の親になることが出来ました 

あなたのおかげで  何があっても強くなりました

あなたに逢えて   初めて命をかけて守るものが出来ました

結婚してすぐに授かるものだと思っていました。しかし現実は一年半経ってもできず
たまたま行った病院で排卵障害と診断されました
診断のおかげか今まで悩んでいた荷物を半分お医者様に預けたようで気持ちが楽になりました
あとは任せとけばいいと 

排卵誘発剤を飲み始めて3ヶ月 初のエコーでのタイミングで見事妊娠
一回目で出来ると思っていなかったので夢なのではと病院に行くまで毎日検査薬をしました
もともと体格のいいわたしは太りすぎると帝王切開になるよと言われ
臨月まであまり体重を増やさないように頑張りました

しかし結果は予定帝王切開 私の骨盤が生まれた時から狭いとのこと
お腹を切るのが嫌で今まで頑張ったのにと落ち込みました

いざ手術の日の朝 不安よりも夕方には逢えるという気持ちでいっぱいでした
入院しNSTをしていると定期的な張りがあり陣痛が始まっていました
この陣痛の痛みで私が初めて母になる心の準備が出来ました

手術室に呼ばれ腰に麻酔を打つも効かず全身麻酔になり赤ちゃんに逢えるのは後になりました
その頃旦那さんは手術室の前をうろうろ
その光景はまるでドラマのようだったと言ってました
いざ手術が終わるも痛み止めの麻酔も効かなかった為私は自分の事でいっぱいいっぱい
ようやく痛みにも慣れてきたのでだっこをすることに
わが子の重みは腕にずしっときました
今でもあの時腕に感じた命の重みを忘れません
そしてこれからも

2010.01.21 投稿者:mai

若くて未熟なわたしが唯一誇れること

それはあなたとの出逢いです


わたしはあなたに守られて強くなります
あなたが産まれたあの夜の感動があれば
ママはどんなことがあってもへっちゃらだと思えるのです


おひさまのにおいと
あたたかい体温


わたしの家族

あいしています
ありがとう

2010.01.07 投稿者:ひとみ

2009年5月に第一子の女の子を出産しました。 
妊娠中も出産も特に問題無く無事に母親になることができました。
立会いは、主人と主人の母、私の母の三人です。
周りからは義母を立ち会わせた事は驚かれます。私自身はとても自然な気持ちで立会いをお願いしました。それには過去の出来事が関係しています。

私が19歳の時。主人も19歳でまだ彼氏、彼女の関係でまだまだ子供だったころです。
突然の妊娠。
二人は子供ながら重く受け止め喜びあい、両家で話し合って生むことを決意しました。
さっそく産婦人科へ行き、初めてのエコーを撮りました。まだ点にしか見えなかったけど、ちゃんと心臓の動きがわかり、とても感動したことを覚えています。

でも悲しい結末がすぐにやってきたんです。けい留流産でした。
先生に説明されてもすぐにはぴんと来なくて、帰り道、歩きながらやっと理解して泣きながら帰りました。
すぐに彼に報告して、彼の実家へ。
義母は泣きながら話す私を抱きしめて、一緒に泣いてくれました。
家族みんなが悲しんでくれました。

それから、私も彼も、いつかまた二人の赤ちゃんを授かりたいと心に誓いました。それまでの時間は二人が親になるために成長する時間と考えて、籍を入れるのを辞めました。


たった一枚のエコー写真を額縁に入れてしまっておきました。一瞬でも私のお腹で生きていた赤ちゃんの事を忘れたくなくて。

それから三年後に彼と結婚し、二年後に妊娠したのです。
最初に妊娠した時よりも明らかに気持ちが違いました。尊い命の重みを感じると共に喜びと不安の入り混じった感情でした。

そして、出産間近に義母に立会いをお願いしました。
あの時、一緒に泣いてくれて、励ましてくれて、抱きしめてくれたお義母さん。
私は絶対に娘の誕生を間近で見ていてほしかった。それが恩返しになると思ったから。

そして、私含め四人で17時間頑張りました。
無事産まれた娘を見て、みんな感動でいっぱいでした。
私も、やっと出会えた我が子を見て、やっと本当に報われた気がしました。
あの時天国に逝ってしまった赤ちゃんは、この日のために身を引いてくれたのだから今この手の中の我が子をしっかり愛情もって育てなくてはと、深く心に誓いました。


最近、出産直後に赤ちゃんを捨ててしまうニュースを頻繁に見ます。
妊娠も出産も当たり前の出来事ではい。
どんな理由があっても、産まれてきた命を捨ててしまうなんて、殺してしまうなんて絶対やってはいけない。身勝手すぎる。


最近、妹の友達が妊娠した。まだ18歳です。出産するそうですが、私は自分の経験があるから色んな意味でとても心配です。
予定は2010年6月頃です。
それまでにこの映画のようなリアルな奇跡の瞬間を見て、何かを感じ取ってほしいなと思っています。

2010.01.07 投稿者:さち

やっとこういう素晴らしいドキュメンタリーが出来上がるかと思うと
うれしいです。
2001年に不妊治療の末に二卵性品胎を妊娠しました。
三つ子にとまどいながらも楽しみでしたが、
25週で双胎間輸血症候群で緊急帝王切開。
二人の赤ちゃんをお空に見送りました。
とてもつらかったです。
しばらくはメンタルクリニックに通いました。
小さな骨壷二つをなかなか納骨できずに親戚に
いろいろといわれました。

でも一番ちいさかった610グラムの娘が生きていましたので
毎日搾乳をして面会にいきました。
生きるか死ぬかをさまよっていた娘。
どんな姿でもいいので生きて欲しいと願いました。
今は元気な8歳になっています。
そして周産期医療の医師になりたいと目標を持っています。
本人が自ら志望した夢。

「私には頑張った痕がある」とたくさんの点滴の痕を
誇らしげに見せてくれます。

「今度は私がお母さんや赤ちゃんを救う医師になる」と
言い切った時には運命を感じずにはいられませんでした。

2005年には女児を
2009年には二卵性双生児の男女を無事うみました。

最初の出産は慌ただしい悲しい思い出になってしまいましたが
他はとても充実した素晴らしい出産でした。

この映画を通して、産科医療の崩壊危機なども世間に認知して頂くと
よりよい物となり出生数も増えるのではないでしょうか。

娘と楽しみにしております。

2010.01.02 投稿者:きょろ

2009年8月31日二人目の女の赤ちゃん誕生しました。なかなか陣痛が強まらず陣痛促進剤を6回も飲み、叙序に陣痛が来て、本格的な陣痛が来て3時間。分娩室に入り15分と言う安産で生まれました。二人目は安産でありましたが、何と一人目は超難産で3日かかり大変でした。もともと怖がりな私で無事出産できるか不安で臨月に入ると血圧も上がり、夜もなかなか眠れず。どうなるか心配でした。結果赤ちゃんが苦しくなり吸引分娩で生まれました。私の事を一番心配している母は生まれるまでずっと寝ないで心配していたそうです。ちょうど4年前私は、無月経で婦人科に通っていました。そのとき先生に妊娠は難しい事を告げられました。その帰りつらく泣いて帰りました。多卵巣脳腫という病気で手術を勧められて、手術をしましたが、なかなか妊娠することもなく、先生に違う方法を一緒に考えましょうといわれました。そのあきらめかけた時何と誰もが先生も驚くことに奇跡的に妊娠したのです。信じられないくらい胸がいっぱいでうれしくてたまりませんでした。本当は手術と漢方で治す方法があったけど、どうしても急いで赤ちゃんがほしかった理由として主人の両親は年配で生きている間に赤ちゃん見せたかったからです。そのことを私の母に話したら手術の時麻酔から目を覚まさなかったとき、お父さんないてましたよ。今まで涙なんて見せたこと無い人だったので驚きました。でも親になった今は、私の父母はどんだけつらかったのだと思いました。手術しないでも他の方法があったのにってたまにいいます。もし娘が同じ立場なら私も辛いと思うし反対してしまうと思いました。今はかわいい女の赤ちゃんを見てるとその手術のことはいいませんが、結果両親を傷つけてしまった事、これからは少しでもたくさん親孝行が出来たら思っています。母になった今、両親には本当に感謝しています。
この映画を見て、出産したときは感動してしたのに、日々育児をしているとそのときの感動は忘れがちにイライラもするし、ストレスもたまる一方だと思いますので、もう一度思い出し育児もリセットできたら毎日が新鮮な気持ちで育児できろと思うので楽しみにしています。

2009.12.08 投稿者:ゆきちゃん

2008.7.7 39w1d 2574gで娘は産まれました。
元気な産声だったそうです。

家庭的な雰囲気が気に入っていた診療所から37wで総合病院へ転院
原因は


「子宮内胎児発育遅延」


しかし娘に原因があった訳ではなく、本当の原因は辺縁前置胎盤この前置胎盤を見落とされ総合病院でもわからず、内診を受けた。

37wの検診日の夜中に一回目の出血 パンツもパジャマもシーツも濡れて
危険予知が苦手な私でさえ「コレはおかしい!!」と病院へ電話するも「内診が原因か、おしるしですね、陣痛を待ってくださいね」と。

でもこれが実は警告出血でした。38wの検診は母に付添ってもらい、39wの検診日
暑い朝でしたが、8時45分に家を出て歩いて40分かけ病院へ。
内診台で突然
「ドバっ」

「ななさん!!出血しまし!!」

「今から帝王切開だ!!」

「杉江~!来てくれ!!」と隣の診察室の先生を主治医が怒鳴り呼ぶ。
カーテンあけられ
「お母様は?」「今日は一人です」

「直ぐに電話をしなさい!」

「なんかぁ 出血したみたいで、帝王切開になるみたいだよぉ」

「電話を貸しなさい!!何分でこられますか?!10分ですね!!急いでください!!」

私一人はなにが起きたのか、何がこれから起きるのか全くわからないまま、
ドクターが3人がかりで超緊急帝王切開でした。
泣く余裕もないままお腹から娘は出ていきました。

先生方には感謝をしていますが、、、納得できないモヤモヤはいつ解消されるのかなぁ

2009.12.07 投稿者:なな

私には2005年3月、私の38歳の誕生日2日前に生まれた男の子と、お空に1人天使ちゃんがいます。

まず第一子は高齢出産でしたが、妊娠中は切迫早産で3週間ほど自宅安静の時期はあったものの、それ以外での大きなトラブルはなく、本当に幸せな妊娠期間を満喫していました。
出産から産後にかけては、出産時に吸引分娩となってしまったり、母乳育児でのトラブルなどいろいろありましたが、2年前からこの映画のスタッフである大葉ナナコさんの下で「いのちの語り部」として勉強を始め、現在少しずつですが活動を続けています。
この勉強を始めようと思ったのは、長男の出産がきっかけですから、長男の誕生日は同時に母としての私、そして、いのちの語り部となる私がうまれた日でもあったのだと、感慨深いものがあります。
たくさんの学びのきっかけをくれた息子には本当に感謝しています。

子どもは2人は欲しい、と考えていた私は、年齢を考えるとなるべく早く次の妊娠をと思っていましたがなかなか授からず、ようやく昨年の2月に待望の妊娠発覚。
が、7週での流産となり、第二子となるはずだった赤ちゃんはお空に還ってしまいました。

いのちの話を伝えるための学びの中で、知識としては流産の可能性があることも知っていましたが、実際に体験するまでは本当に「他人事」でした。
まさか自分の身にそんなことが起きるなんて、と、本当にショックでした。
そして、実は周りにも同じ経験をした人たちが多くいたこと、そして「死」がタブー視されているせいかそういった話題が出ることはほとんどなく、またメンタル面でのサポート体制も少ないため、流産や死産(誕生死)を経験した人たちが自分を責めたり、周囲の言葉で傷ついていたり、逆に周囲の人は心配しているのにどう接していいのかわからず悩んでいる状況があることを知りました。

胎内記憶の研究をされている池川明先生の著書の中に「お空に還る赤ちゃんたち」についての記述がありますが、私の天使ちゃんは、私にどんなメッセージを伝えるために来てくれたのかと、昨年来折につけ考えています。
今でも昨年会うことができなかった天使ちゃんのことを考えると悲しいですが、その体験があったからこそ気づくことができたことがたくさんあります。

こうした気づきから、いのちを語る想いに変化がうまれました。
また、誕生死について、もっともっと知ってもらい、サポート体制が整ってほしいという気持ちがうまれました。
そして、同じ体験をした者として、何かお手伝いできることがあるかもしれないという気持ちもあります。
昨年お空に還ったあの子のおかげで、こうした想いがうまれてきたのかもしれません。
それがメッセージなのかもしれないと、今は思っています。
本当のところはわかりませんが、これからもずっと考え続けて見つけていくのでしょう。

現在私は42歳となり、限界が近づいてくることに少し焦りを感じつつも、またあの子が来てくれるのか、それとも別な子が来るのかはわかりませんが、きっとまた赤ちゃんが来てくれることを信じて待つ日々を送っています。
その気持ちを支えてくれるのは、胎内記憶を語ってくれる子どもたちのお話しのおかげです。
本当にありがたいです。

この映画によって、生まれてくることの奇跡、生きているこの奇跡に気づくことで、地球上のすべての人が「幸せになるために生まれてきた」ということを思い出すきっかけになってもらえたらと願ってやみません。

幸せな大人が、幸せな子どもがたくさんいる社会になりますように。。

この映画の成功を心より応援しております。

2009.12.06 投稿者:hana

今年6月に女の子を出産しました。
36歳で初めての出産、いわゆる高齢出産です。

妊娠したときは、単純にうれしく、「私もついに妊婦かあ」という
喜びばかりでしたが、妊娠三ヶ月ごろに出血。便器が真っ赤になるほどの
血を目の前に、真っ青になったのを今でもはっきり覚えています。
「ああ、赤ちゃんが死んじゃう!」怖くて怖くて、半泣き状態。急いで病院に
電話し、とりあえず様子を見て、翌朝受診。
診察の結果は、絨毛膜下血腫。「お腹の赤ちゃんは今のところ元気なので
安静にして様子を見ましょう、ただ、これで赤ちゃんが亡くなるケースも
なくはないので、軽く考えないように」と言われました。

それからは、地獄のような妊娠生活の始まりです。家の中をそろりそろりと
歩き、トイレ以外はベッドから起き上がらない日々。実家も遠いので、頼りに
なるのは主人のみ。食事も、帰りの遅い主人にコンビニで買ってきてもらうような
日々でした。トイレに行くと少量の出血は続いていたし、またいつ大量出血するかと
思うと不安で不安で、ベッドの上で泣く日々でした。
そして少し落ち着いたかと思った矢先に、二度目の大量出血。夜遅く一人でタクシーを
呼び、病院へ。幸い、赤ちゃんは元気でいてくれたのですが、それからもずーっと
私の妊娠生活は不安でいっぱいのものでした。

仕事もぎりぎりまでやろうとおもっていたのに、早々と産休をとり、テレビで大きな
お腹でぎりぎりまで働く芸能人を見ると、普通はあんなに元気な妊婦さんなのに、
なんで私はこうなんだろうと落ち込む日々でした。
しかし、世の中には妊娠初期から出産までずーっと入院する妊婦さんもいると聞き、
妊娠は人それぞれなのだということを知りました。

安定期に入ってからも、二度の大量出血がトラウマになり、あまり出歩かず、
ビクビクおびえながらの妊娠生活が続き、妊娠なんて二度と嫌だと思うようになりました。
そんな日々を過ごし、妊娠八ヶ月のとき、里帰り出産するために少し早めに帰省しました。
そして、妊娠九ヶ月で、今度は赤ちゃんが下に下がり気味で早産傾向にあるので自宅で
安静にするよう言われ、またもやほとんど寝てばかりの日々。

そうして、なんとか一ヶ月を過ごし、やっといつ生まれてももう大丈夫という時期が
やってきました。そうして、三週間早い37週の深夜、ちょっと多めに尿漏れしたかなと
思い、トイレに行くと出血。これは「おしるし」だろうと思いながらも、血を見ると
やはり怖い。病院に連絡し、夜中に入院。朝まで5分感覚の軽い痛みが続き、その日の
午前中に先生に診察してもらい、「子宮口が三センチ開いてるから、子宮口を開かせる
薬を飲みながら、今日出産にもっていきましょう」とのこと。
赤ちゃんはすでにかなり下がっていたので、あとは子宮口が開くのを待つばかり。
が、この子宮口がなかなか開かず、陣痛が三分間隔になっても子宮口は五センチしか
開いてなくて、赤ちゃんがすぐ下まで下りてきているせいで、いきみたくていきみたくて
気が狂いそうな痛みに耐えながら、「もう限界!帝王切開にしてほしい!」と叫びそうでした。

私の苦しみようを見て、分娩台に連れて行った方がいいと判断した看護師さんに連れられ
ひきづられるように分娩室へ。分娩台に上がっても子宮口は五センチのまま。でも、
ほんとにもう限界でした。いきまないではいられない痛さ。
「もうダメ!」って口にした矢先、一気に子宮口が全開。「いきんで!」という言葉を
聞くやいなや、無意識のうちにいきんで、三回いきんだら生まれました。
どうやっていきんだらいいんだろうとか考えてる間もなく。
分娩台に上がってから15分くらいで生まれ、安産だと言われましたが、陣痛が始まってからは
結局10時間以上経っていたので、ヘトヘトでした。

赤ちゃんの顔が見たいとか、かわいいとかいう余裕はなく、赤ちゃんの泣き声を聞いて
一安心し、「ああ、やっと無事終わったあ」という感じでした。あのビクビクした毎日から
解放されるという安堵感が大きかったのを覚えています。
でも、本当に無事に生まれてくれてありがとうと心から感謝しています。

そして、いま、子育ては想像以上にしんどくて、体中がボロボロの日々ですが、やはり
いろいろなものに感謝する毎日です。
生まれるということがどれだけ奇跡的なことなのかを気づかせてくれた赤ちゃんに感謝し、
そしてまた自分を産んでくれた親に心から感謝しています。

妊娠出産は本当に命がけで大変なものです。人それぞれ、みんな違います。
どうか、いま妊娠中の人でつらい思いをしている人も、必ず来る赤ちゃんとの出逢いの
瞬間まで頑張ってほしいと思います。

長々と書いてしまいました。
この映画、必ず見ようと思います。楽しみにしています。

2009.11.28 投稿者:73

お友達から「うまれる」のことを聞き、生きる・死ぬを身近に感じている人達がたくさんいることを知りました。

私は、今年の夏に長男を出産しました。
妊娠経過は順調だったものの、予定日を過ぎたある日、胎動の消失に気づいて受診、そのまま緊急帝王切開で長男が誕生しました。
長男は、産声をあげたものの衰弱が激しく、誕生後すぐにNICUに搬送されました。
人工呼吸器を挿管され、両手足に点滴・輸血をされ、動かす事もできない状態が続きました。
「温かい長男に触れられるのは今日が最後かもしれない」と思いながらの面会が続きましたが、長男は脳にダメージを負いながらも生き残りました。

「うまれる」ということ、「生きる」ということ。
長男の「生きる」ことに全精力をかけた静かな戦いを見守りながら、改めて考えさせられました。

長男だけでなく、障害を負いながらも「生きる」とこを選んだ子供がたくさんいること。
その子供達の命に向き合う人がたくさんいること。
医療や福祉の助けがなければ生きられない人達のこと。
多くの人に知ってもらいたいと思います。

2009.11.28 投稿者:ママちゃん

私は来月に1歳になる息子を持つ父親です。
私たち夫婦は、部署は異なりますが夫婦で看護師をしており、目の前では毎日生と死の世界と隣り合わせの人たちを相手に仕事をしていました。妻は看護師を辞め、今は専業主婦をしています。
妻は産科病棟で働き、私は脳神経外科です。妻は毎日のように出産に立会う事ができていたのですが、私は目の前で亡くなる患者を目にすることがほとんどでした。
そして、そんな状況の中、妻の出産に立ち会ったとき、私は今までどこかで感じていた異様な雰囲気を感じました。それは、患者が亡くなるときと全く同じ空気を肌で感じました。
人が亡くなるとき、私は言葉の要らない異様な世界とのつながりを感じます。それが天国か否かはよくわかりませんが、真っ白な世界とのつながりを肌で感じます。息子が妻の身体から産声をあげて現れたとき、人が亡くなる空気を感じ、鳥肌が立ったのを今でも鮮明に覚えています。
息子は大きな病気もせず、今も元気にすくすくと成長しています。産まれる事と、亡くなる事、とても遠い存在のようで、非常に近く似たような事象であると思います。
現実的に捉えようとすると同類にはできませんが、私が出産に立ち会った時に肌で感じた異様な感覚は、忘れることができません。

2009.11.28 投稿者:haruki papa

私は第1子の娘を35週で死産しました。
いつも元気よく動いていたお腹が静かになり・・・受診すると心臓が止まっていました。
その日はなんとパパの誕生日。そしてクリスマス・イヴに死産。病室で家族3人揃っての最初で最後のクリスマスパーティーを開きました。娘は死んでいたけど生きていた。私たち夫婦にとって一生忘れられないクリスマスでした。その日からそろそろ1年が立とうとしていますが、今私は9か月の妊婦さんです。1年前の事が不安をよぎります。でもそれ以上に楽しみでもあります。少し前おなかの子が夢にでてきたのです。「パパの誕生日に無事に産まれて来てね。」と私が話すと笑顔で「わかった。」と答えている夢でした。その夢に勇気をもらいました。来月その夢が実現する事を楽しみに、子供・そして普通に産まれるという奇跡を信じて待ちたいと思います。

2009.11.14 投稿者:かぁちゃん

 
 今年の5月26日に待望の第一子長男優健を誕生死しました。

 妊娠経過は妊娠悪阻がひどく、結局後期まで入院を繰り返し、悪阻が原因でそれまで順調

 に育っていたのに母体の栄養状態が悪く8ヵ月目にして発育不全でまた入院。治療は母体に栄養を与え
 
 安静に過ごしました。すると優健はみるみる成長してくれました。このときは私が具合悪いだけならな

 らば我慢できたのに、それが原因で優にまでこんな目にあわせてしまったと、本当に申し訳なく思いま
 
 した。

 予定日も過ぎ、毎日元気にお腹を蹴るわが子がとっても愛おしくて毎日ビデオを撮ったり家族みんなで

 話かけるのが日課になってました。40週6日。この日午後から健診でしたが明け方起きて胎動が無い事

 に気づきそのまま病院へ。助産師さんがいくら探しても心音が録れず医者2人でモニターを確認し告げ

 られました。声を張り上げたかったけど、声を出すと現実になってしまう気がして怖くてうなずくしか

 できなかった。
 
 病院では本当に皆さんがとても親切にして下さいました。出産は当初の希望通り、主人と母、それと

 休み返上で駆けつけてきてくれた担当の助産師さんと健診でお世話になっていた女医さんでゆっくりと

 やさしい時の中で出産しました。普通のお産の様に、へその緒を切ってすぐに私の胸に乗せてくれまし

 た。胎盤が出るまでしばらくそのままで、それから夫婦で沐浴しベビードレスに着替えさせてから、

 親戚にお披露目しました。皆事情はわかった上で「かわいいー」「おめでとう」やどっちに似てるや

 写真撮影手形足型や夜には病室でお誕生日会もしました。助産師さん達や先生も代わる代わる会いに

 来てくれてとても嬉しかったです。2泊3日の入院は夫も付き添い、優健と一時も離れること無く、

 親子3人の貴重な幸せな時間を過ごす事が出来ました。

 息子はパパ似のとっても可愛いやんちゃな顔で、手も足も体の隅々まで立派な赤ちゃんでした。

 あのここち良い重さは一生忘れません。ずっしりとした幸せの、優ちゃんのおもさ。

 沢山の思い出を残す事が出来ました。それは支えて下さった皆様の協力なしにはありえません。

 優健はたくさんの事を教えてくれました。そして私は日々感謝しながら、優健のお骨に話かけたり

 だっこしたりしています。

 この映画は行き場のない私の支えとなっているブログ『TUBAKI』から知ることができました。

 この世に生をうけ誕生する。誕生の形も色々あり、私達の様な誕生死も出産だと言っていただき

 本当に救われます。出産はもちろん素晴らしくうれしいこと。でもその陰でこのような事も起こり

 うるという事を皆様にも知って欲しいと思います。当たり前ではなく、奇跡だということを。

 
 この映画とてもとても楽しみにしています。今から待ち遠しいです。

 長くなってしまい申し訳ありませんでした。

 最後まで読んで頂きありがとうございました。

2009.11.11 投稿者:ゆうけん♡ママ

現在、もうすぐ二歳になる元気な息子と楽しく生活している主婦です。
そして私には天使が二人、空に居ます。

最初の子は初期にて流産。性別はわかりませんでした。
それから三年経ち待ちに待った我が子を授かり、辛いつわりにも点滴を受けながら耐えました。
お腹も膨らみ、元気な胎動も感じその日の検診では性別が聞けると楽しみに受診しました。
が……知らされたのは性別ではなく重い病気でした。
「致死性骨形成不全」何万人に一人という、骨の病気です。
我が子の場合、胸郭の骨が成長できず肺が形成されていませんでした。
お腹の中では胎盤から酸素が届き、元気に動きます。しかし、自発呼吸は望めず生まれたら生きられない。
その時すでに妊娠7ヶ月、妊娠を継続することは可能でも大きくなれば子供も苦しむかもしれない、そして母体にも負担がかかる…
夫婦で泣きながら何日もかけて出した結論は「人工死産」でした。

辛い辛い処置に薬で急激に起こした陣痛…頑張ってって言われても我が子とのお別れしかないのに何を頑張ればいいのか……この子と一緒に死にたい…何度も思いました。
産声も無い、おめでとうの声も無い…そんな分娩室で静かに生まれたのは小さい可愛らしい娘でした。
私のお腹から出るその瞬間まで動いていたあの感覚は今でも忘れられません。
120%生きられないと言われた娘、それでもあと三ヶ月私が頑張ればもしかした生きられた?
そんな懺悔とも後悔とも言えない気持ちは一生消えることはないことと思います。

こんなに悲しい想いをするのなら子供はもう生まない…病気を知らされた時はそう思いました。
でも、眠っているかのような穏やかな可愛い娘の顔を見たら、やっぱり子供が欲しいと強く思い次の妊娠に踏みきりました。
10ヶ月の妊娠期間、不安だらけでしたが元気な息子が無事誕生した時は家族全員涙が止まりませんでした。
授かることも、妊娠の継続も、そして生きて生まれてきてくれることもたくさんの奇跡の積み重ねなんだと思っています。

息子の成長を微笑ましく嬉しく感じながら、あの子が生きていたらどんな女の子になっていただろうと毎日思います。回数は減りましたが今でも涙が出る時があります。
今は小さな仏壇にちょこんと座り、やんちゃな弟の成長を見守ってくれています。

母として何もしてあげられませんでしたが、二人の子にはたくさんの大切な事を教わりました。
あの子達に心配かけないよう、毎日頑張って生きています。

映画、楽しみにしております。

2009.11.10 投稿者:千春ママ

今年4月、愛しい我が子と死産という形で出会いました。
不妊治療の末に授かった待望の双子の娘達です。
出産後、池川先生の本にとてもとても助けられました。
お陰様でどんな形であれ、出会うことができて良かったと
思えるようになりました。大勢の方に見てもらい、少しでも
理解が深まり、辛い思いをする人が少なくなれば・・・と
思います。

2009.11.09 投稿者:あき

今年24才で、第1子の娘を今年の10月1日に自宅にて無介助出産をしました。
その時の日記です。

9月31日(水)
この日は、昼間に散歩した後、怪しげなカレーを作って食べて、お風呂で半身浴して、他の日となんだ変わらない生活してました

その日の20時過ぎ頃にお風呂から出ると、どうも腰が重だるい

カレーがあたったのか、腰が冷えたのか(;´д`)旦那様が帰ってきたので"テルミーやってほしいなぁ~"って思いながら、腰が重だるい事を話すと「なんでだろうね~」って言って、いつもならマッサージだったりテルミーだったり何か処置をしてくれるのに、ちょうどこの日はお疲れだったのか、何もしてもらえず

しょうがないので、旦那様が横になってる隣で自分でテルミーをして足腰を温めてみた(今思えば旦那様はこれからの出産の為に体力温存してたのかな)
この時既に腰の重みはきたり落ち着いたり波がきてた。

"これが噂の前駆陣痛ってやつなのかしら"と思いつつ、体力つけとかなきゃと思いとりあえず寝よ~って布団にはいるんだけど、痛みの波がくるととても寝てられない

とりあえず痛み対策でレッグウォーマーをプラスにはいて、足のツボの部分と骨盤まわりにホッカイロを貼ってみる。

そんなこんなで日付がかわり10月1日(木)の夜中の1時頃トイレに行くとおりものが赤い
"これって噂のおしるしってやつだ"
旦那様にとりあえず報告。

私「でもこれからどれくらいかかるかわかんないしねぇ」って言って、旦那様は寝かしておく
初産だし、明日の昼間とか夕方になるかもやし、旦那様もお疲れな様子やったし、明日の朝一に往診に行くって言ってたなぁ~

もうちょい様子をみるかぁって変な気遣いをし、陣痛らしきものの時間感覚をはかってみたら、7~8分間隔
出産間近なのか一応出産準備をしておこうかなぁ

立ち会う予定の義妹さん(モリゾーさん)と実母(バァバ)にはいつ連絡したらいいんやろ今夜中やしなぁ~
………。って思いが横切りましたが、ビビリの私はまぁもうちょい様子をみよって準備を一人で黙々と始める。

イメトレだけは充分にやってたので、やらなきゃいけない事はだいたい頭に入ってた
お湯を沸かして湯タンポ作って、水分補給用のお茶をたっぷり沸かして、水中で産みたくなった時用に、お風呂を念入りに掃除して、あっつあつのお湯を入れる(塩素を抜く為に早めに入れとく必要があったため)。

そこに塩500グラムぐらいをどさーっと入れてお風呂用の石も入れてレモン汁も事前に調べてこれは入れておこうと思ってたもの達を入れた。

ペットボトルにお茶を入れて、温度調節用のお湯も水筒に入れて、タオルも移動させて、ラベンダーのアロマキャンドル(産む力が促進されるらしいけど実際よくわからんかった)設置して水中出産の準備だいたい完了
次は陸で産みたくなった時用の準備や

寝室にもたれかける用のソファーを移動させて、レジャーシートに防水シート、タオルをセットして陸(?)での出産準備もだいたいオッケー

これでどっちで産みたくなってもオッケーやその時産みたいと思った方に行こう(^-^)
ジッとしてるのもえらかった為、陣痛の波をたえながら一人で黙々と準備を続けてたら、気が付いたら朝の5時を回ってるやん( ̄▽ ̄;)って初めて気付く(;´д`)

今日は完徹で出産を迎えるのかてかそろそろ旦那様を起こした方がよくないって思っていたら、旦那様がフラりとトイレに起き上がってきた


私「おはよぉ~私、陣痛きてるかも~」

旦那「えっヽ(・_・;)ノ何分間隔」

私「………。わからん」

旦那「(゜Д゜;;)」


だって、準備で動いてたから、メモする余裕も時計を見る余裕もなかったんだもん
7~8分間隔よりは短くなってると思うけど
その時計ってみると4~5間隔。

旦那様は急いでモリゾーさんとバァバに連絡(バァバは出なかったのでまた後でかけなおす)
バァバは車でも2~3時間かかるけど、モリゾーさんは家が近いので5時半頃には家に到着
カメラマンと時間の記録とお湯沸かし係をお願いした

この時はまだ陣痛じゃない時はしゃべる余裕有りいよいよだね~って話しながら、旦那様にテルミーをしてもらう陣痛がくるとしゃべれなくなり「腰を押して~」ってなったので、押してもらう

旦那様は鍼灸あんま師なので、こちらの「ここ押して~」って所を的確に押してくれる"旦那様がこの職業でよかったぁ~"

陣痛がくるたびに腰を押してもらっていると、こちらの"押して欲しい"と思う腰の位置がどんどん下に下がってくる

前にお産塾で押して欲しい場所っていうのは赤ちゃんの頭の位置なんだと教えてもらっていて、「かなり下がってきてるよ」って旦那様が教えてくれた

「このままココ(寝室)で産む」と聞かれ、"陸か水中か"一瞬迷い、この陣痛が楽になるのならとお風呂に行く事に(せっかく準備したしね)
それが大体6時頃。

お風呂に入ると痛みがふわ~と楽になり、余裕がまた出てくる
産む時と産後は私と赤ちゃんの目を守るため、灯りはキャンドルの灯りと小さい北側の窓から入る自然光のみ

薄暗いお風呂場の中で、また陣痛の波をやり過ごす。
その内にまた陣痛に耐えれなくなり仙骨(おしりの骨)を旦那様に押してもらうが、旦那様いわく、私の押して欲しいという場所は仙骨よりも下だという。

その内押してもらうよりも何か握りたくなり旦那様の腕をガッチリつかんで痛みに耐えるように(旦那様も耐えてましたが(笑))

ここまでくると、本当に世の中の"母"ってスゲーこれが何時間も何日もかかる人がいるのかぁ耐えられ~ん母ちゃんスゲーよまじ産んでくれてありがとぉ

りきんだら会陰が切れるって聞いたから出来るだけイキまず、呼吸を出来るだけゆっくりするよう頑張る

陣痛の合間に興味本意で穴に指を入れてみるが頭らしき物はさわれずまだ時間かかるんかなぁ~って思ったけど、

産道に何か降りてくるのを感じた時、ちょっとイキんでみよってイキむと赤ちゃんの頭が出口に向かっていくのがわかり"あともうちょいや"とも思ったり、
どうも、水中の浮力のせいで下がりにくくなってる気がすると思い一度立ってみる。

[ズン]と下がるのを感じると同時にまた痛みを逃したくなり、しゃがみこんで水中に戻る( ̄▽ ̄;)
最初はその時にとりたい姿勢で産もうと思ってたけど、もぉどの姿勢になっても痛いもんは痛い

狭い浴室の中で立て膝になるとちょうど膝と足の指が固定されて力が入りやすいという事を思いだし(前に半身浴中にいろんな姿勢を試してた)立て膝体勢になる。

もぉ余裕のよの字もなくなり、息も荒くなってきて、旦那様に「ゆっくり呼吸しようか」てか「声を出してもいいんだよ」と言われて呼吸を整えたり、外の明かりが明るくなってきたのもわかり、"早朝からご近所の方々すみませ~ん"と思いながらも「あ゛ーーー」「ん~~~~」と声をあげてみる

産む前は「チホのタイミングで出てきたらいいよ~」って話し掛けてたのに、この時にはもぉ「お願い早く出てきてぇ~」ってお願いしてたり( ̄▽ ̄;)

徐々にチホが降りてくるのがわかってきて、イキむと出口に近づいて、休憩すると奥に戻っていく

チホも頑張ってるんやと思って、思わずチホに「頑張れ~頑張れ~」って応援
そしたら、その場にいた旦那様とモリゾーさんも「がんばれ~がんばれ~」って応援してくれて それからちょっとすると、”パンッ”という音がして(たぶん破水)

さらに荒くなる私の呼吸「ハッハッハッハッハッ」
旦那様に「呼吸ゆっくりにしようか」とアドバイスしてくれるも、"今は無理”って思ったら

私「頭出た」

旦那様とモリゾーさんはもっと時間がかかると思ってたらしく少しワタワタしているのがわかる。

私の股の下では赤ちゃんの頭だけが水中に出ているのいう実際に見たらかなりへんてこな図なんだろうけど風呂が狭い&暗い&私の体の向き的に誰も見れなかったのは残念。。(笑)

私の左おしりに赤ちゃんの後頭部の髪の毛がふわふわとあたってる。
"頭さえ出ちゃえばこっちのもんや"
次かその次くらいのイキみで”すっぽーん”

お風呂の中に産み落とし、旦那様が水の中からひろいあげる
うつぶせにして、羊水とお風呂の水を吐き出させてすぐに「おぎゃーおぎゃー」と泣き出す我が子

無事、元気な赤ちゃんが出てきてくれました
「チホ、無事に出てきてくれてありがとう」"私と旦那様との間に来てくれてありがとう""お腹にチホが来てから10ヶ月。早く会いたくて会いたくてしかたがなかった"

思わずギュッと抱きしめて、旦那様も「よくがんばったね、ありがとう」って頭をなでなでしてくれました

本当は、お産って何が起こるかわからないから、準備はがんばるけど、もしも何かあった時は自己責任だと思っていたから、もしかしたら、出血多量で命が危ない事があるかもしれない。

もし何かあったら・・・。
って思って遺書みたいな手紙でも旦那様と親に書いておこうかな…。って思った時期も妊娠中ありました。

でも、もし自分が死んだら。。。って考えたら残された旦那様はどうなってしまうんだろう。。親より先になんて親不孝すぎる・・・。死んではられないな。。。って手紙を書くのはやめました。

だから余計、お腹の中で動いてた赤ちゃんが今こうして目の前で元気でいてくれる。。。本当によかったぁ~幸せ者だなぁって。

で、ふと気がつく。。。
めっちゃ泣いとるやん

自然出産だと1~2回ぐらい泣いたら泣きやんで、きょとって周りを見渡すとか、おっぱいに吸い付くとか、目が合うとか聞いてたんだけど…。
めっちゃ泣き続けてるようちの子(笑)

モリゾーさんに「性別は?!」って聞かれて、そういえば・・・。と見てみると、「無い!!!」やっぱり女の子 で、チホが出てきてから数分もしないうちに胎盤が"でろっ"と登場はやっって思ったら、出たのは2/3はぐらいで、全部はできってない感じ

その後、陣痛も無いし、なかなか出てこない胎盤は無理に引っ張って出そうとすると出血が多くなる場合があるので、自然に残りが出るまでそのまま待機する事に・・・。

その間、チホと見つめあいたくて、何度かトライしてみるも、どーも目が合わないてか、左右の目が違う方をむいてません??と思ったら、『産まれてすぐの赤ちゃんは左右の目で一つの物をみるという事がまだわからなくて、左右別の動きをする事があるが、そのうちにちゃんとした目の動きになるから最初びっくりする人も多いが大丈夫』って本に書いてありましたびっくりしたぁ~

で、初おっぱいにもチャレンジ(おっぱいを吸ってもらう事で子宮の収縮が促進されて胎盤も出やすくなるらしい)

なかなか吸おうとしないので、半分無理やりな感じでしたが…。
おっぱいを吸ってる赤ちゃんを見て、これがお腹に入ってたんだよなぁ~って
太くて黒いへその緒を触ると”とくとく”って脈をうってるのがわかる
これが、私の胎盤と赤ちゃんをつないでてくれてたんだ~まだ生きてる感じ。。

確かに脈をうってる間はへその緒切れないかも
家族が3人になって、幸せなひと時
丁度旦那様の休みの日に、出生一時金の金額がUPしたその日に、破水はお風呂でしてねっていうお願い通りに出てきてくれました

なんていい子なんでしょう
旦那様はとりあえず、お互いの両親に報告。
そうしてる間に実母(ばぁば)ともう一人の義妹到着

みんなに旦那似だね~といわれる
しかし、よく泣く我が子
9時頃になっても取れない胎盤

お産塾でお世話になった助産師さんに聞いてみようにも、まだお留守の様子。
一度お風呂から出てみるか~って立った瞬間
"でろん"ってきれいに胎盤が出てきました
立てばよかったんや~

産まれた赤ちゃんとへその緒と胎盤は桶に入れて繋がったまま寝室へ移動
私は一人着替えて寝室へ。。(体力的にまだ平気な感じ)
悪露対策のため、ソファーに寄りかかって座り、旦那様に「体調はどお??」と聞かれ、率直な私の意見「お腹減った」

だって、お腹に詰まってたものが空っぽになったんだもん!!
その後完徹なのに興奮してるのか眠る事無く。

実父が仕事を休んでまで家にきたり(笑)、お互いの家族だけがいるのんびりな時間
(この時もよく泣く我が子(笑))今思うとへその緒や胎盤に刺激がいくと泣いてたような。

つながってるんやね~

11時頃になってようやくへその緒も真っ白になってへろへろになり、脈も収まってきて、旦那様がローストビーフ用のたこ糸でへその緒を縛り、キッチンバサミ(たしか、消毒してなかったような…。)で切ってくれました

そしたら、それまでぎゃんぎゃん泣いてた赤ちゃんがスッと泣き止んでぐっすり寝始めた
旦那様と義妹さんはその間に胎盤を処理する事に。。

そぉ胎盤を食べる為に

胎盤ってとっても栄養豊富で動物とかは自分の胎盤は食べているらしい。
その日の内に刺身と後日に醤油漬けにしたのと野菜と炒めて頂きました
刺身はユッケのような、砂肝の生状態のような感じで臭味とかはなく、

”肉”って感じで意外に食べれました

火を通すとレバーと砂肝を足して割った感じで内臓系の肉だよねってこれまた普通に食べれました
私は食べただけだけど、処理中はかなりグロかったらしい・・・。(笑)

そして昼の11時頃に寝始めたチホちゃん。
次に起きたのは夜の20時・・・。
約9時間、寝続けました(ー□ー;)

赤ちゃんは3日分の弁当を持ってきてるっていうから心配はしないけど・・・。私は前日の朝からその間もずっと起きてましたが(汗)(約36時間ぐらい)

これからもこれくらい寝ててくれたら楽チンだなぁ~って思ったりするのですが・・・。
大変なのはこれからでした・・・・。

読みにくい日記でごめんなさい。

映画楽しみにしてます。

2009.10.31 投稿者:モッティ

妊娠5ヶ月の頃、死産を経験しました。
お腹の中にいるときから、障害を告知されており、それでも産みたい!と決めていた矢先にお腹の中でなくなってしまいました。
もうすぐ、胎動…と楽しみにする反面、聞こえないことの不安も大きかった…。
なんとなく予感していたことでもありました。
障害に決心が揺らぎ、羊水検査などしたことが原因だったのでは…と自分達を責めたりもしました。

なくなっていると分かっていながら陣痛促進剤でした産声のない出産。
我が子に会えることを楽しみに痛みにたえ、うれし涙を流した上の子の出産とは違い、悲しみの涙を流しながら、お別れを予感しながらのとても悲しい出産でした。
それでも、パパに立ち会ってもらい、また、「早くママとパパに会いたかったんだよね」と励ましてくれた助産師さんの言葉にすごく救われました。いろんな人の支えで、なくなってはいたけれど、母としてがんばって世の中に産んであげることができました。
また、自分で出産した、なくなった赤ちゃんをしっかり抱っこし、火葬の日までずっと一緒に過ごせたことで気持ちの整理ができました。

私には上の子がいたから、まだ悲しみも癒されやすかったのかもしれません。
運命的にもすぐに、なくなった子を出産した日と同じ出産予定日の子を妊娠しました。
また、同じようにお腹の中でなくなってしまったら…ずっと不安はつきまとっていました。
でも、同じ予定日の赤ちゃんはなくなったこの生まれ変わりのようにも思え、絶対大丈夫という安心感も一方でありました。

陣痛促進剤を使った前回の出産にトラウマもあり、今度は自然な出産をしたい!との思いから、助産院を選び、予定日の2日前の今年の5月18日に無事に男の子を出産することができました。
一週間前から子宮口が7㎝くらいひらいているにも関わらず、陣痛がこなかった。でも、きっと運命の日まで赤ちゃんが待っているのだと信じて入院することもなく過ごしました。そうさせてくれた助産師さんにも感謝しています。
結局、運命の日より2日早かったのだけれど、陣痛から30分という超安産の出産になりました。
きっと、なくなった赤ちゃんが見守っていてくれたからだと思っています。
助産院での出産は、畳の上で、助産師さんとパパに見守られ、本当に穏やかで自然なな出産で、日常の一こまのようでした。

生まれ変わりではないかもしれないけれど、なくなった赤ちゃんのエネルギーのようなものを次男からはよく感じています。
命って不思議で、尊いものですね。
運命的なものも大きいように感じます。

最後に、
私は過去3回の妊娠記録、出産記録を日記につけています。(私の母も同じようにして私に結婚するときプレゼントしてくれました)
もし、その記録等、協力できることがあれば、させていただきたいです。
3歳の息子もいますので、胎内記憶のエントリーもさせていただきます。

それでは長くなりましたが、映画、楽しみにしています。


2009.10.21 投稿者:あん

はじめまして、約4年前妊娠18週で男の子を流産しました。
今までで流産は3回経験しました。
やっと授かった命、でも、流れてしまう現実。
今でも諦めてるわけではないけど、もういいかな?諦めようかといつも考えてしまいます。
病院の先生にも原因がわからないとも言われ、精神的に疲れてしまうときもあります。
周りから{子供はまだ?」「またすぐできる」とか言われたりするたびに
そっとして欲しいともおもいます、
きっと私のような思いをされてる方はたくさんいるとおもいます。
そろそろ年齢的に高齢出産年齢になります。
これから先又、子供を授かれたら、今度こそと。

2009.10.20 投稿者:ゆう

はじめまして。
私は「不妊」です。
30台で、2回初期流産を経験しました。
その時は、「まだ5週位だから、病院に行っても、胎児が見えないと」思っていました。
夜勤中(実は助産師です) お腹の痛みと出血で
「あぁ、流産だな・・」と思いました。

40台入ってすぐ、不妊クリニックに行きました。
Drからは、左の卵巣膿腫で 早くに体外受精を勧められました。
私は、事情があって、もぅ5年も彼とは住んでいますが、事実婚ではありません。
カルテに「未婚」と 大きく書かれたあったり。
不規則な勤務で、タイミングを取れないと「本当に妊娠したいの?」といわれたり。
内診台に乗って待っていると、お隣の方は双子の妊娠で「順調よ」と聞こえてきたり・・・
その後、双子のママには きちんとしたテーブルで お産が出来る病院への紹介状の案内を受けていました。
私は、同じお部屋の 片すみも呼ばれて「精液検査」の説明を聞きながら・・
あまりにも 扱いが違うことで ショックで それ以降受診していません。

池川先生の著書で
「産れない人には、何かの使命があって妊娠しないことがある」
その一言に 心穏やかに 今は「助産師の00です」ということが出来るようになりました。

不妊は病気ではない。
「個性」という言葉に、助産師を続けていく勇気をいただきました。
ありがとうございます。

2009.10.20 投稿者:mayu

私は、現在二児の母親です。
上の娘は現在小学校一年生の7歳。
体内記憶とまではいきませんが娘には妊娠したときから決めていた名前がありました。
少し変わった名前で私の両親は大反対!!出産するまで頑固として変えなさいと言われ続けてきました。
しかし、出産してみると分娩台でかわいいわが子とご対面をし私の母が見ている前でその名前を呼ぶと手をあげるではないでしょうか?
勘違い??と思いましたが何回呼んでも手をあげるのです。それを見ていた母は「この子がそう思っているのなら…。」とあきらめました。
そして、下の息子は現在一歳です。
実は、その子との間に今生きていれば3歳になる子供がいます。
妊娠10週、産婦人科の先生から「エコーの検査で首の後ろに水がたまっているからもしかしたら先天性異常があるかもしれない。」
と言われました。
中絶するにもぎりぎりのタイミング。私は泣きながら病院から帰り主人と相談をしました。
あらゆることを主人と話し合いなくなく悲しいお別れをすることになりました。
羊水検査やいろんなことを考えましたが、私は上の娘を産んださいにあることがきっかけでパニック発作をもっていたので今お別れするのがという結論になりました。
中絶をし、あらゆることを考えました。
なぜ、私なのか?なぜ、自分は生かされているのか?など・・・。
そして、その後自分の出産やいろんな経験を生かし妊婦さんの何かお役に立てないかと思い「マタニティーエステ」の資格を取りに学校に通い現在、家でサロンを開いています。以前、池川先生の体内記憶の講演会にも参加させていただきました。
自分がその子の命を絶ったということはかけがいのない事実です。
今は、妊婦さんの体を癒しながら赤ちゃんが無事に生まれることを願うばかりです。

2009.10.06 投稿者:ちゅらさん

去年の10月に男の子を出産しました。
初めて自分のお腹の中に命が宿っていると知ったときから、10か月。
よく頑張ったねっ!!パパとママの所へ来てくれてありがとう。
そぅ手術台で声をかけた事を昨日の事のように思い出します。
「おめでとうございます、妊娠してますね~」と先生から言われるのと同時に…
「黒い影のような物が2つ見えるんだけど・・・」
そぅ、子宮筋腫だったんです。
赤ちゃんは順調に育つのと同時に筋腫も大きくなり、一つは子宮の裏…結局赤ちゃんが大きくなるにつれ見えなくなり、もぅ一つは産道近くという、自然分娩が出来るかどうか微妙な状態でした。
私は…どちらでも良い、ただ元気に生まれてきさえしてくれればっ!!と。
でも、お腹を切る不安から出来たら自然が良いなぁ~と。。。
予定日は私と同じ誕生日。なんと偶然なっ!!同じ日に生まれてきてくれたら…
と思いつつも、陣痛の気配なく…10日後入院決定。
促進剤で陣痛を起こすも、どうも産道付近にある筋腫が邪魔をして頭が下りてこない。。。
そっかぁ!!だから、みんな臨月近くになるとお腹が下がる、頭が下がるって言ってたけど、
私の場合は…私の筋腫のせいで下りれなかったんだ…
ごめんね、ごめんね、苦しいね、早くお外に出たいね…
促進剤打ちながら、そんな気持ちばかりでいっぱいでした。
結局、初日の促進剤でも陣痛が来ず、2日にかけての促進剤。
それでも陣痛は来ず…。
10日も遅れてるのに…という焦りと頭さえ筋腫を避けてくれたら自然分娩でいけるのに…
という思いと、私の体は既に2日間の促進剤でボロボロでした。
そんな矢先、赤ちゃんの心音が下がったとのこと。
もぅ…限界でした。
「これだけ頑張ったんだもん。自然も帝王切開も関係ないよ。筋腫がどうも邪魔してて頭が出てこない。
僕たちも君が頑張ってる姿をみて、なんとか自然で産ませてあげたかったけどよく頑張ったよ。もぅ帝王切開で早くお外に出してあげよう。」と先生の言葉。
今まで張りつめてたものが一気にはじけ、、、それからは即帝王切開の準備へ。
バタバタと周りが動く中…私のベッドは茫然と手術室へ。
2日間頑張った分のいろんな思いやらで、麻酔しても麻酔も効かず。
2度の麻酔…その不安から過呼吸へ。。。
が、大学病院という事もあって、たくさんの先生と看護師さん、助産師さんがずっと声を掛けて下さり、、ちょうど実習でついてた学生さんもずっと手を握ってくれてて…
もぅ涙涙涙・・・
お腹がぐぅぅ~んっっ、引っ張られる~!!
そぅ感じた瞬間、
「おぎゃーっ!!」「おめでとうっ!!元気な男の子だね~っ!!」
幸い下半身麻酔で済んだおかげで意識はあったので、
すぐ顔の傍に我が子を見ることが出来ました。
「やっと会えたね。パパとママのところに来てくれてありがとう」
そう我が子に声をかけた思いと同時に、
たくさんの周囲の方への感謝の思いでいっぱいでした。
無事に元気で産まれてきてくれて本当にありがとう。
どんな出産であれ、決して一人で産むんじゃない、たくさんの方の力を借りて産まれる。
本当に言葉では言い表せない程、出産に携わった方への感謝の気持ちでいっぱいです。

私には本当だったら兄弟がいたかもしれません。
この世に産まれることの出来なかった兄弟が2人。
母の2度の流産という話を物心ついた頃から知っていたので
私は常に3人兄弟だ、という思いが今でもあります。
だからこそ、、、
元気に無事にこの世に生まれてきた事に…ただ感謝あるのみ。
もし、兄弟がこの世に居たら…
我が子みたいな顔なのかなぁ~
なんて母と話す…そんな母の姿を見ると、どんなに辛かっただろうと。

お母さん、私を産んでくれてありがとう。
私はお母さんの娘としてこの世に生を受けた事、感謝しています。
そして我が息子よっ!!私のお腹に来てくれてありがとう。
君が話せるようになったら、是非お腹に居た時の事を話して頂戴ね。
君が話せる事が待ち遠しい限りです。

こんな素敵なドキュメンタリー映画。
来年だったら…我が子連れて観に行けるかなぁ。
是非是非楽しみにしていますっ!!


2009.10.02 投稿者:オパール

胎児に肋骨を折られましたΣ(゜▼゜;|||)

妊娠7ヵ月頃からなんとなく胸の下辺りが痛みだし、8ヶ月検診時先生に伝えると・・・肋骨かっ?!とにかく現状はX線も使えないのではっきり言えんが、多分肋骨にひびが入ったか骨のなんらかの痛みでしょう...。

よっぽど足の力が強い赤ちゃんなんですね~。いずれにしてもこの状態では普通出産は無理なので「予定日帝王切開」にしましょう!!という事で、2ヵ月後のに向け安静を強いられました。

が・・・予定より1ヶ月早い朝8時頃陣痛が!!やっば~い...急いで病院へ・・・(゜m゜;)しかし。。。この日に限って手術室がパンパン!!お昼の合間にねじ込みましょう。

それまでにとりあえず診察→検診→レントゲン→やはり『骨軟骨骨折』判明し...剃毛→・・・付き添いの主人と娘に結果を伝え、手術までお昼を済ますよう話し、お腹と肋骨痛みに耐えながら麻酔科の先生による麻酔の説明と診断を受け時間に合わせて麻酔をし待機のはずだった...。

がっ!?麻酔科の先生...経験豊富な方で、話の最中私の様子を見るなり『婦長!!!』と叫び、慌てて飛んできた婦長へ『内診して!!』・・・・・・Σ(゜▼゜;|||)

あっ!まずい...(゜m゜;)みたいな事を口走り私に早くパンツはいて!!と婦長さん。「ってオイ!...痛いし...もう体動かせないです...」なおも...『内山さんゴメンナサイね~頭!出てますから、手伝います頑張ってはきましょうねーー』
その優しい言葉とは裏腹に内線ボタンを叩き『ストレッチャー!!』・・・・・
Σ( ̄◇ ̄*)

何事~~~パンツって?!赤ちゃんの頭をパンツで押さえてるってことな訳~~(-_-;)どうなってんだー帝王切開じゃなかったのかよ!私と赤ちゃんこのままどうなっちゃうんだーー...頭真っ白な中看護婦さん達がストレッチャーをダッシュで運びいれ、『内山さん移動しますよ~~1・2の3!』

はっ??どこへー?優しい言葉と行動の迫力さがあまりにミスマッチで怖いんですけど・・・・(/=\)で・・・当時最先端のLDR室(陣痛待機・出産・産後をTV見たりバランスボールがあったりと、自宅の様にリラックスした状態で迎えられる個室)へ移され即分娩台へ!『先生もう直ぐ来ますよ~イキミたければもういきんでいいですよー!』って、、、きゃーマジで~~?

下から産むんかい(ノ`△´)ノ 私の肋骨どうなっちゃうのよーーあっ!!でも今出さなきゃ私壊れちゃう・・・( ̄◇ ̄*)周りもなんだかパニクってる??そう思った瞬間、何だか気が座ってきて落ち着きを取り戻し、私が頑張んなくっちゃ!!よ~し!!!そこへ白衣を着る暇が無かったのか、そのまま飛び込んできた先生!!

『内山さん!いいよ!大丈夫!自分のタイミングで力入れていいよー』って・・・ 分娩監視モニターも付けてねーし、この部屋何人いるんだ??あっ!!主人に電話してくれたのかしら?そんな事をつぶやきながら・・・

おっ!!!来た来たっ波が来た!大きないきみの波が来た!チャンス!コレを逃したら私の肋骨は粉砕する!!そんな思いで必死にずっと昔の出産を思い出し、この一発に賭けたのです。そう...あの時も大変だった!でもそれに比べれば今回はまだ楽かも!!ヤルしかない!がんばるぞ~~

この状態では誰も私に触れることが出来ず、初めの掛け声の後静寂が...そして大きく息を吸い込み懇親の力を振り絞り集中!先生も看護婦さん達も固唾を呑んで見守る中≪んぎゃ~~≫はぁーーーやった~~乗り切れた!!何はともあれ肋骨粉砕の難をしのげた訳です。あっ!そして元気な男の子赤ちゃん!!

『この子がお母さんに肋骨を蹴ってたのか~~将来はサッカー選手だな!』

無事産めたから皆そんなこと言うけど...私はイテーんだよ!どうすんだ!!こんな調子で育っていったら末恐ろしいって・・・(-_-;)
そう。。。産後は可愛い寝顔に癒され、肋骨の痛さなど吹っ飛び!気が付けば完治していました!めでたしめでたし。

では勿論終わらず・・・
現在確かに凄いキック力を発揮中!? サッカーも習いだしましたが、家族はうっかりくつろげない日々。。。ボーっとしてると側転&蹴りが飛んでくる...また肋骨折られるのでは?と心配な毎日を送っています・・・(≧∀≦)やれやれ...。

・・・そんな息子も現在は小学校1年生。不妊治療の末の死産を経験し、その後1人目の出産も27㎏太ったほど絶対安静が続く大変な出産でした。これまた不妊治療の末の2人目は、コントのような出産。普通の出産ができなかった私の変わった体験談ならお話したいと思います。

2009.08.28 投稿者:はっぴー

あの日から…150日が過ぎました。

2009年2月11日、午前9時34分、3114グラム、女の子誕生。
私の初めての愛しくてたまらない、宝、娘の誕生です。

私の出産は、生と死…いろんなことが起きたビックイベントになりました。

私の妊娠がわかった昨年の夏、
私を娘のように可愛がってくれていた叔父にがんがみつかり、
すぐに闘病スタート。

2008年末には退院し、経過もよかったが…
2009年に入り、体調が悪く、再入院したのが1月の末。

子どものいなかった叔父にとって、私は娘、
産まれてくる子は、孫のような感覚で、
本当に、楽しみにまっていてくれました。

私は臨月に入り、里帰り、
叔父の入院先には、出産まで毎日見舞いに。

叔父は、腹水がたまり、力のない声、顔色も悪く…
出産までもつかな…

本当に、お見舞いのたびに、はやく産まれてきておいで、
叔父が抱きたいってまってるよ、
っとお腹の子に話しかけていました。

出産予定日までは、まだ2週間ある。
まったく産まれる様子もない。

健診の時に先生に相談。
この子を抱かせたいんです。
叔父には時間がありません。
叔父は、ホスピスに入り、治療をストップしていました。

これから産まれよう命と、タイムリミットのせまる命。
複雑な思いで…
先生と私の決断で、陣痛促進剤をつかっての、誘発分娩を行うことに。

幸い、娘はお腹の中で推定体重3500グラムくらいもあり、
誘発して出産しても大丈夫とのこと。

陣痛を待つ間、
この子は空の上から、すべてをわかって私たちのもとに、
やってきてくれたんだろうと。

叔父のがんばりの支えになってくれた、お腹の子。
会いたいと願う叔父を励ましてくれた、お腹の子。
周りの家族の看病で疲れる気持ちを、癒してくれた、お腹の子。

そして、2月11日産まれてきてくれました。
最終的には、帝王切開になり、無事に元気な女の子の誕生でした。

すぐに母から叔父には電話で産まれたことが伝えられ、
写真も見せにいきました。
次の日、2月12日午前中に、外出許可を得て、
叔父も産婦人科に私と娘に会いに来ることになっていました。


しかし。。。朝から変な胸騒ぎ。
母に連絡をとるも、つながらず…

叔父は、2月12日の朝方、天国に旅立ちました。

叔父は安心した、と言ったそうです。

私が無事に出産するのを待っててくれた叔父。

抱かせてあげることはできなかったけど、
この子は叔父によって一生守られ、
この子がいるから、みんな癒され、
悲しみを乗り越えることができました。


この子が産まれて150日、
叔父が亡くなり150日。
すべてをわかって、私たちのところへやってきてくれた娘に、
感謝したいと思います。


娘は叔父に目が似ています☆


長文失礼いたしました。

2009.07.13 投稿者:NAKOまま

妊娠前に子宮筋腫の手術をしていて、出産は帝王切開と決まっていた私の妊娠はずっと順調でした。

けれど妊娠8ヶ月の時、羊水過多で大学病院に転院。そこで待っていたのは我が子が18トリソミーという診断
医師から「お腹の中で亡くなることがほとんどで、産まれて来ても1年もたない」と宣告。

まだ産まれて来てないのに、どうして死を覚悟しなければならないのか。我が子に申し訳なくて、毎日泣きました。

私が泣くと必ず「私はまだこんなに元気なんだから、ママ泣かないで」と言わんばかりにお腹を蹴ってくれました。
一番辛いのはこの子。一番頑張ってるのもこの子。

この子との別れは今日かもしれない、明日かもしれない。いつか来る別れの時まで精一杯お母さんをしてあげる
そう誓って、毎日お腹の子と思い出を作りました。

予定日1ヶ月前には、羊水過多が原因で切迫早産。そして入院
退院して4日後におしるしがあって高所破水。

すぐに入院して手術の準備をしていると陣痛が3分間隔になり急いで手術室へ
麻酔をかけるから横を向いて丸まってと指示があり、体を丸め、じゃあ麻酔しますねと言われた瞬間頭が出て来ているからこのまま産もうという事で、自然分娩で出産。

手術室に入ってからわずか15分での出産でした
が、我が子は出て来ながら息をひきとりました

あれから2ヶ月半。
まだ涙が流れない日はありません。産んだはずの我が子がここにいない事が苦しくて押しつぶされそうな毎日です

でも、娘は自分の病気が分かっていたから、きっと私がお腹を切らなくてもいいように
すぐに元気になって弟か妹を産めるように、自分で出て来たんだと思います

そして
ママ私元気に産まれて来れなくてゴメンね
でも、どうしても、なにがなんでもパパとママに抱きしめてもらいたくてここまで頑張ったの

ママありがとうってメッセージを受けたような気がしてそれが救いになっています。

大切なのはどれだけ生きたかの長さじゃない
そして元気に生まれてくるという事は当たり前ではく奇跡だという事
命の尊さを皆さんに感じて欲しいです

胎児と会話する事は私には出来ませんが、我が子は私の言葉を理解して一緒に頑張ってくれたのは確かです

2009.07.10 投稿者:スマイル

19歳のとき、大好きだった彼のこどもをみごもりました。

ちょうど妊娠がわかったとき、彼が難病にかかり、高熱など脳へのダメージで意識のない生命が危険な状態でした。互いの両親公認の交際で、看病のため何日も病院に泊まり込みもしていました。

この先彼がどうなるかわからないこと、私がクリスチャン家庭であったこともあり母にも相談できず、皆にばれないよう中絶しました。

今でも中絶に行った先の医師の厳しい眼差しや麻酔時の意識がなくなっていく感覚・映像をはっきり覚えています。
幸い、彼は何ヶ月か経って、奇跡的に回復しました。そして、他の女性と付き合っていたことが発覚し、別れることに。

私は朝起きると涙が出て止まらない、というような状態が続きました。
男性を信用できなくなり、自分が女性であることさえ疎ましく思ったり。女は損、傷を受けるのも痛みを経験するのも女、と。

それから「ひとりでも生きてくんだ!」と、世界中を旅したり、どこでも食べていくためナースの資格をとったりしました。

何年か世界中の自然や人と触れ合っていく内に痛んでいたこころの傷も少しずつ癒えて、お隣の国の男性との出会いで、過去もひっくるめて受け容れてもらい、海を越え、結婚に至りました。29歳。

国際結婚という難しさもあるけれど、この人のこどもを産んであげたいな、と思えた頃に妊娠。

ですが、心拍が確認できない稽留流産と言われ、子宮内除去術。検体を確認したら、胞状奇胎と診断されました。

「神様、ごめんなさい。健康な大事な命を殺してしまったこと」と10年以上前の中絶を再び思い出しては悔やみ、苦しみました。
胞状奇胎は幸い、がんには進行しませんでした。

しかし、毎月の血液や尿検査、診察が2年間続き、これは自業自得なんだ、と自分を責めたり、いっそ、こんなんだったら、がんになって死んだしまったほうが夫を苦しめずに済む、などと鬱っぽくなったりもしました。

不思議なことに、病気をひとつ持っていること・痛みを経験したことで、ナースとして患者さんに接したり友人との関係でも、つらいことを打ち明けてくれる人が多くなりました。

そんなことが有り難く感じるようになった頃、再び生理が遅れて、妊娠反応が出ました。
すごく嬉しかったです。

「神様がまた私に命を授けてくださった」と。
大事な大事な命。妊娠初期の病棟夜勤は闘いでした。
結局、赤ちゃんの成長をじっくり楽しみたいと思ったのでナースのお仕事も辞めました。

信頼できる助産師さんに出会い、色んな医療介入をできるだけ避け穏やかにベビーちゃんを迎えたい、という願いも叶い・・・
2007年11月、37週0日ギリギリで、自宅で元気に泣く、手足バタバタの男の子を迎えることができました。

今、この子との色んな出来事の中で、本当にたくさんの嬉しいこと、しあわせを与えてもらっています。
時には私への警告もあり、親としても人間としても至らないことを教えてもらっています。

育てている、というより、成長のほんの手助けをしている、という感じでしょうか。
こんな私でも母として求めてくれるなんて、とあわれみを感じることも。

今年11月、長男が2歳を迎える頃にまた新しい命が誕生する予定です。
今度はどんなことを教え、与えてくれる命なんでしょう。

体づくり、健やかなこころづくりに励んでいます。
長男との2人の時間、夫と長男と3人の時間を楽しんでいます。

この15年間、4つの命が私に与えられました。
ひとりよがりになったこともありました。
私が夫や両親に受け容れられたように、与えられたこどもも出会う人も包み込む、生きるエネルギーが得られる家庭をつくりあげていきたいと願います。

2009.07.02 投稿者:mmk

結婚してすぐにでも子どもを欲しいと思っていた私達でしたが、1年過ぎても妊娠しないこと、私自身2回目の結婚で1回目の結婚のときもなかなか妊娠しなかったことを悩み、結婚2年を待たずに不妊治療を始めました。

タイミング療法や漢方薬でホルモンバランスを整えたりと1年近く頑張りましたがなかなか妊娠には至らず、そのうち、毎日薬を飲むことすらストレスに感じるようになりました。

診察の度に主治医と話しながら涙する状態でした。
転勤の多い仕事をしていたので、主人と一緒にいられる間に妊娠したいという気持ちも強かったのです。

人工授精にステップを進めようとしているときに主治医から「人は腐っている時期も大切。腐る時期があってこそそれが肥料となり、また成長できるのよ。もう基礎体温も測らなくて良い。自然に生活してごらん」と言われ、治療を止めました。

同時に、「あなた達が、赤ちゃんが来たらこう育てよう、こんなに幸せなのに、ってストレスをかけてる。もっと自然に子どもが欲しいと思って気長に待ってごらん」とも言われました。

その後、そのときの仕事を続けることが赤ちゃん待ちのストレスになるのならばと、仕事を辞め、また違う環境で自分らしく生きていこう。そうすることで子どもが授からなくても後悔しない人生にできる。という気持ちで新しい仕事を始めました。

そう思っていてもなかなか妊娠しないことにストレスを感じ、それを打ち消すように仕事に没頭している頃に、スピリチャリストの方とお話する機会があり、子どもが欲しいけどできないという相談をしました。

すると彼女は「赤ちゃんはあなたのところにずっと行きたいと思っている。なのに、あなたは口では子どもが欲しいと言っているけど、心の底から赤ちゃんに来て欲しいと思っていない。それが赤ちゃんはわかっているからまだ来ていないのよ。赤ちゃんはいつでもいける準備ができているの」と言ったのです。

その日から、毎日、寝る前や信号待ちのふとした時、お風呂に入っているときなどに「いつでも来て良いのよ~。仕事も毎日がんばってるけど、あなたが来たら仕事なんですぐにでも放り出してあなたを一生懸命に愛するわ。ママのところにおいで~」と願うことにしました。

それから2ヵ月後、妊娠しました。
主人と、「もう子どものいない人生でもいいかな~って思うよね。でも、いたらいたで幸せだよね~」と自然体でいられる心の余裕がお互いにできた頃でした。

それから38週間、会いたい気持ちでいっぱいで結果的には破水しても陣痛が来ず、赤ちゃんはまだお腹に居たいみたいだけど出してあげようね。とうことで促進剤を使っての出産になりました。

急に押し出されることになった娘はびっくりしたように出てきて、私も過呼吸になりお互いに酸欠状態になりましたが、私の会いたい気持ちが先走ってしまったような出産になったと思っています。

娘も5ヶ月。お話ができるようなったら、どんな気持ちで私のところに来たのか、いつから私を見てくれていたのか聴いてみたいと思います。

2009.06.26 投稿者:りんくさくら

子宮外妊娠を2度、不妊治療を7年、体外受精でやっと息子を授かりました。

井上さんご夫婦のレポートを拝見して、すごくすごくうれしかった気持ちや、生まれるまで不安だった気持ち、
いろいろ思い出しました。

体外受精というと、いわゆる試験管ベイビー。
正直最初は自然に逆らうような、神をを欺くような行為に思った時もありました。

私は子宮外妊娠になったとき、一度目は卵管を切除する手術を受けました。
(一般的に卵管は一本なくても左右どちらかがあれば妊娠は問題ないということでしたので)

でもその時もすごく子供が欲しくて妊娠したと思った束の間でしたからとてもショックでした。

その後も早く子供ができるよう夫婦でよく子宝の神社に行ったり神頼みのような時もありましたが、
やっと妊娠反応が!

ところがまたお医者様からは、まだ、おめでとうとは言えない状況と言われ、
8割以上は2度目はないと言われていたのに、残っていた卵管も子宮外妊娠になりました。

そして考えたり悲しむ間もなく緊急手術に。
ただ何とか卵管温存の方向で…と残す形での手術をしていただきましたが、通常の自然妊娠の確率は3割と言われ、もう真っ暗に…

出産年齢は年々遅くなっているとはいえ、30代半ばの私は焦りと絶望で、暫くお友達の子供にも会えないような状態になりました。

もう主人と二人きままに生きていくのも悪くないと思い、二人で旅に出かけたり、二人だけの人生の未来を考え始めましたが、どうしてもあきらめきれず、治療だけは惰性のように病院へ通う日々でした。

そんな時、お医者様が、「あなたは2度も妊娠したことがあるのだから妊娠はできるのですよ!ただ、ちょっと他の人より手助けが必要なだけ」と言って頂き体外受精を行うことにしました。

しかし、もっと難しい状況で治療している方や、体外受精も何度も頑張っている方は沢山いらして、話を聞いているだけで、もうすべてが不妊治療漬けのようになっている世界が少し異常に感じられるほど。(それだけみんな切なる願いなのですよね)

私は精神的にそんなに強く頑張れるか、不安で逃げ出したい気持ちでした。

一度目は受精しませんでした。
何だか心のどこかで、愛し合ってできるのが子供なのに治療でなんかできない。という気持ちにもなっていました。

でも先生が、「どんなに医学が進んでもね、医者なんてとても無力なんですよ。受精するのは生命力自身ですから。医者はね、ちょっと不都合なところを補うような、お手伝いをするだけ、産まれるときだって医者は少し手を貸すだけなんですよ」

何もしてあげられなくてごめんなさいと。
そんな温かい先生のお陰で、「私が頑張らなきゃできるわけないのだ。」と思い次にチャレンジができました。

そしてお陰さまで妊娠。
でも産まれてこの手に抱くまでは、どうしてもぬか喜びしてまた落ちるのが怖くて信じられず。

両親にも安定期に入ってから妊娠したことを報告しました。

出産は12/24イブ。あと一歩で神の子!?(笑)
正直どんな形で出産したいかといった選択の余裕はなく、ともかく無事に!を前提に
一番お世話になっていた大きな病院で出産しましたが、出産自体は想像以上に楽しい出来事でした。

子供にも堂々と言えます。
パパとママが昔恋をして、愛の中から最先端医療も使って産まれてきたのよ!
スペシャルなんだぞ~!と。(笑)


思い出しながらで;すっかり長文になってしまいましたが…読んで下さった方有難うございます。
出産のことより不妊治療のこと中心になってしまってごめんなさい。

偶然の奇跡がたくさん重なってできた素敵な命!
そんな素敵な出来事を映画にされるなんてすばらしいこと。
出産経験した方は思い出し、これから経験するであろう方にもたくさん知ってほしい。
そしてすべての人がその奇跡の重なりで産まれてきたことを感じてほしいですね。

上映楽しみにしています。

2009.06.23 投稿者:ミゴムシ

妊娠中は定期検診のたびに心配で、毎回メソメソしていた私。
超音波で見る息子の元気な姿に安心してまた涙々。
そんな心配性の私をよそに、お腹の中の息子はぐんぐん育ち(育ちすぎ?)
予定日よりも二週間早く出産する事になりました。

促進剤を打ち激しい陣痛に耐えながらも、「息子も頑張ってるんだ」「もうすぐ会える」と自分を励まし
最後は助産師さんがまたがってお腹を押し、先生が吸引してやっと出てきてくれました。

妊娠中あれだけ涙していた私ですが、産んだ直後は嬉しさのあまり泣く余裕すらありませんでした。

10ヶ月間ずっと会いたかった恋人に会えたような・・・
私がずっと会いたかったのは君だったんだねー。って。
出産の痛みは辛かったけれどこれを乗り越えて得た幸せは大きかったです。

映画の完成を楽しみにしています。

2009.06.22 投稿者:まや

昨年の夏、女の子を出産しました。
出産は痛いものだと聞いていましたが、私にとっては快感でした。

確かに陣痛の強い波が来たときは痛いのですが、我慢できる痛みです。
赤ちゃんが下へ下へと移動していくのを感じることができました。
そして、いったん強い波が納まると、恍惚としたなんともいえない幸せな感覚がやってきたのです。

ずっとこのままでいたいとさえ思いました。
また強い波。そして、その波が治まると、また眠くなるような気持ちのいい幸せな感覚へ・・・。

これを3回ほど繰り返しました。
分娩台に上って1時間後。わが子が生まれました。

あの恍惚とした感覚はいったいなんだったのだろう。
出産は痛いものだと聞いていた私にとって、びっくりするくらい気持ちのいい出産でした。

現在わが子は9ヶ月。つかまり立ちもできるようになり、すくすくと育ってます!
生まれてきてくれて本当にありがとう!大好きだよ!

2009.06.17 投稿者:なゆママ

先月、女の子を出産しました。

突然の破水からはじまり、3日間促進剤で陣痛に苦しんだのですが、体力の限界…、結局帝王切開で出産となりました。

赤ちゃんと対面したとき、もちろん手術中でしたが、号泣してしまいました。元気姿を見て産声を聞いた瞬間、ホッとしたのやらうれしいやら、感動して涙が止まらなくなったのです。縫合手術をされながら、先生や看護師さんに「ありがとうございます~」と涙でぐしゃぐしゃの顔でずっとお礼を言っていました。

麻酔から覚めて次の朝、ずっとお腹にいた赤ちゃんを腕に抱いたとき、なんだか不思議な違和感がありながらも、必死にお乳に吸い付く姿が愛しくて、また泣いてしまいました。。無事生まれてきてくれて本当にありがとう、と。

初めてのお産は、陣痛の苦しみや術後の辛さ、生命誕生への感動、周囲への感謝…。それらがごっちゃになって嵐のように通り過ぎた感じです。他のみなさんはどんな出産しているのかしら?映画の完成を楽しみにしています!

2009.06.14 投稿者:しま

初出産のときは、とにかく不安だらけでした。ギリギリまで仕事をしていたので、産休に入り、病院に健診に行ったら、「陣痛が始まっているからすぐに手術」と!

正直まだ少し先だと思っていたので、入院の準備もしておらず、更には誰の付き添いも無く怖くてしかたありませんでした。
でも手術開始10分後、赤ちゃんの泣き声を聞いて、一気に今までの不安は消えました。

10ヶ月近くお腹の中で眠っていたわが子に初めて会えて嬉しかった瞬間ですから!ただ、帝王切開は術後が辛かったです。でも子供の顔を見ている時間が幸せでなりませんでした。

出産はゴールではないので、その先子育てという大変な仕事がありますが、忙しくイライラしてても、子供の寝顔を見ていると本当に癒されます。出産は私を強くしてくれました。きっと守るものができたからでしょうね。

出産は大変ですが、子供を産み、育てるということは本当にすばらしい事だと思います。

映画公開楽しみにしています。

2009.06.05 投稿者:ahoaho

昨年5月に長男を出産しました。
48時間という長丁場でしたが、息子は私の誕生日の翌日に
心音も1度も下がることなく元気に産声を上げてくれました。

誕生日が1日違いということできっと、私自身の誕生日は
これから徐々に忘れられていくことでしょう。

でも息子への誕生日おめでとうはママ誕生おめでとうで
ママ頑張ったねの日です。

毎年そんな素敵な日が来るならば、
私の誕生日なんて忘れられたっていいやって思います。

君に出会えた奇跡におめでとう。
ありがとう。


2009.06.05 投稿者:紫の月

昨年7月に長男を助産院で出産しました。

分娩中は、野生のコヨーテのごとく、遠吠えしていましたが、あまりにも幸せすぎて、気持ちよく歌を二曲うたってしまいました。すると、ちゅるんっと、赤ちゃんが生まれました。

身体はどんなに苦痛にさらされても、精神的にはとても幸せで温かく、光に包まれて守られている感覚がありました。生まれてきた赤ちゃんに、神聖さを強く感じました。素晴らしいお産をさせてもらえ、とても感謝が尽きません。

映画の上映を楽しみに待っています。がんばってくださいね。

2009.05.17 投稿者:歌うお産

昨日、長女が女の赤ちゃんを出産しました。
「お母さんの30回目の母の日記念よ」との素敵なお手紙も一緒のプレゼントがありまし
た。

娘は自分が母親になる事をきっかけに、私との関係を見つめ返しているようです。
長い手紙には、「私は自分で選んであなたの子供になりました。あなたの子供であって
本当に良かった。私を産んでくれて有難う!」と書かれてありました。

こんな幸せを今、私は味わっています。

2009.05.13 投稿者:K.N.