親孝行としてのグリーフ・ケア

tomoko.jpg ※生前の父と私。(写真は、夫の豪田トモ)

プロデューサーの牛山朋子です。

今日、4月1日は父の命日です。

人間ドックで何もひっかかった事がないくらい丈夫だった父が
お風呂場で急逝してから、あっという間の2年。

2歳であまり言葉も話せなかった詩草は、おしゃべりが上手な4歳になり、
その間、私たちは新作映画『うまれる ずっと、いっしょ。』を公開させていただき、
確実に時間がすぎたことを感じます。

父が天国に旅立った時には、父が亡くなった悲しみはもちろんありましたが、

私にとって一番の心配は、
最愛の夫を亡くした母のことでした。

40年以上たってもなお、
子どもから見ても微笑ましいくらい仲が良い夫婦だったこともあり、

突然見送る事になったショックのあまり、
母はしばらくの間、食べることも立つこともままならない状態でした。

今も、決して悲しみや寂しさが消えたわけではなく、
時折、涙を流してはいますが、

以前の笑顔がもどり、
ばりばり仕事をして、見違えるくらい元気に毎日をすごせるようになりました。

「時間が解決する」

ということは、よく聞く言葉ではありますが、

当然、ただただ時間だけがたっても、愛する人を失った悲しみを
受け入れ、次の段階にいくことは私たちが思う以上に
簡単なものではないように、
母を見ていて思います。

母がここまで元気になるためには、残された私たちによる
「グリーフ・ケア(残された人が立ち直るための精神的ケア)」が必要でした。

ちょうど新作のために終末期に関するリサーチ・取材をたくさんしていた事もあり、
「グリーフ・ケア」や「グリーフ・プロセス(残された人が立ち直るための道のり)」と
いったものに多少の知識のあった私たちは

父が亡くなってすぐ、母のために何をしたら良いかを話し合いました。

子どもたちが「グリーフ・ケア」を知らない場合、

「告別式が終わったら、あるいは、四十九日が終わったら、
 一区切り付いて落ち着くだろう」

という事で、それぞれの生活に戻られる事が多くあります。

しかし、

【グリーフ・プロセスは、見送った後から始まる】んですね。

監督でもあり、だんなさんでもある、豪田トモは、
映画の取材・撮影を通して、
「グリーフ・ケア」に主に必要な要素には、

・ Support(支え)・・・家族・友人などの絶対的な精神的支えを受けること

・ Expresstion(表出)・・・話す、泣くなどにして身体の中にある
              悲しみ・苦しみを何らかの形で表に出すこと

・ Will(意志)・・・自分自身が現状を変えたいという意志をもつこと

の3つがあると言っていますが、

★ 悲しみを受け入れて新しい人生を「縫い合わせるSEW(ソー)」
http://www.umareru.jp/blog/2014/11/sew.html

父が亡くなった時も、遺された母がこの3つを実現できるように、
ベストの環境をつくってくれました。

・なるべく一緒に過ごす。
・好きなだけ泣かせてあげる。
・話を聞き続ける。

これを少なくとも1年は皆でやっていかなければならないだろうと
私たちは覚悟を決めました。

私の事を心の底から愛して育ててくれた母への恩返しの気持ちも強くありました。

まずは妹と協力して、毎日、誰かしらが実家に泊っている状態にしました。

3ヶ月くらいたってからは、母の状態を見ながら、
週2〜3日くらいに減っていき、
半年くらいからは、月2〜3回になり。。。

母も少しずつ、一人の生活に慣れてきました。

最初は、怒りや恨み、罪意識、孤独感しか持てない母でしたが、
悲しみを吐き出しながら、

徐々に現実を受け入れ、自ら、幸せに生きていきたい、と
願うようになっていきました。

これは家族一丸となったグリーフ・ケアがなければとても難しかったと思います。

そして、今では、
泣き叫んでいた2年前のあの日から生まれ変わった母を見る事が出来て、
そして遺された私たちが協力して母を支える事が出来て、

とても嬉しく思っています。

今日の父の命日には、
母と一緒に父の思い出話をしたいと思います。

「パパと初めて会った時の第一印象は??」

なーんて☆

★ 父が亡くなった時のブログ
http://www.umareru.jp/blog/2013/04/post-985.html

★ 「グリーフプロセス」に関するブログ
http://www.umareru.jp/blog/cat178/

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