家族への憧れ 〜施設の子どもたち〜

監督・父の豪田トモです。

以前もご紹介させていただきましたが
長野県の児童養護施設・軽井沢学園の高根英貴さんが
書かれている、とっても素敵な日記です。

許可をいただいてご紹介させていただきますー。

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核家族、複合家族、ひとり親家庭、別居婚、
子どもを持たない共働き夫婦、夫婦別姓など、
家族や夫婦の形態が多様化し、
「家族=夫婦と子供」という典型的な家族形態の価値観は変わりつつある昨今、

施設の中でも

「ボクのママは離婚して新しいパパと暮らしているよ」
「オレのお父さんと兄ちゃんのお父さんは違う人なんだ」
「私の家族はお母さん一人だけだよ」

などと、お互いの家庭状況を何食わぬ顔で
披露し合っている子ども達の姿をよく目にします。

ある日、

「昨日の夜、裕子(小4)が京香(小3)と一緒になって
エリ(小3)〈全て仮名〉のことをいじめたそうです。

エリが泣きながら訴えて来たため分かったのですが、
その後、当事者を呼んで事情を聴き、裕子たちには指導しておきました」

と、若い職員から報告を受け、私は

「またか...」

と思いました。

早速、私は直接、裕子から話しを聞こうと思い、
食事時間に彼女の隣の席に座りました。

すると、裕子は自分から

「えっとねえ、昨日エリのこといじめちゃったんだ」

と小声で話してくれました。私も小声で

「またやっちゃったんだ、今回はどんなことしたの?」

と尋ねると、裕子が京香を誘ってエリのことを無視したり

「エリのお母さんってみんなから嫌われているから、
エリも嫌われ者なんだよね!」

などと悪口を言ったことを告白しました。
そして、

「どうして今回はお母さんの悪口言ったの?」

という私の質問に対し、裕子は

「うちね、お母さんに全然会えないでしょ?
でもエリはお母さんに会ったり出来るじゃん。
それがうらやましくて悪口言っちゃったんだ」

「あっでも、うちがやったことはいけないことだから、
エリに謝って許してもらったよ。これからは気を付けます...」

と言いました。私はそれ以上何も言えなくなり、
「そうだね」とだけ言って別の話題に変えました。

裕子は、未婚の母の元に生まれ、父親は誰かわかりません。
2歳の頃、母から適切な養育がなされていない(ネグレクト)との理由で、
県内の児童養護施設へ措置(児童相談所が施設入所を決定すること)され、
裕子が5歳の頃、事情があってこの軽井沢学園へやってきました。

裕子は物心ついた時から施設しか知りません。
また、母親は一度も面会に来たことがないので、
きっと顔も覚えていないでしょう。

そんな裕子ですから、昔から家族に対しては強い憧れを抱いていました。

保育士と買い物や公園に出かけた時に、
両親に挟まれ両手をつなぎながら歩く親子連れや、
ベビーカーを押して歩く母親、

父親に肩車されている子どもの姿などの光景を見るたび、
裕子は保育士の手を強く握り返しながら、
その親子連れの様子をじっと目で追い続けていました。

私は、そのような裕子の想いに応えるべく、
以前、ある作戦を思い付きました。

裕子は家族に憧れているのだから、
実際にそれを再現してみたらきっと喜ぶに違いない。

そう思った私は、女性保育士と男性指導員を呼び、
裕子と一緒に手をつなぎながら、
近くの公園に遊びに行ってもらえないかと頼みました。

職員たちは快く引き受けてくれ、
早速実行に移してもらいました。

私は、3人で仲良く遊具で遊ぶ姿や、
裕子の喜ぶ顔を思い浮かべながら報告を待ちました。

そして、3人が戻るや否や様子を尋ねると、
裕子は終始、恥ずかしがって全く手をつなごうとしなかったし、
「また今度行こうね」との職員の投げ掛けにも応じなかったという予想外の報告でした。

作戦は見事失敗に終わりました・・・

家族とは、

「住居を共にする血縁集団を基礎とした共同体」
「親子の絆」
「やすらぎの場」

など、様々な表現が出来るかと思います。
難しいことはわからない私ですが、
家族が誰にとっても必要なものであることはわかります。

そんな発想から思い付いたあの当時の作戦でしたが、
浅はかな私は、その失敗によって家族の外見や形だけ整えても駄目なのだ
ということを教えられました。

そうではなくて、家族を考える上で、
大切なことはもっと他にあったのです。

裕子は物心ついた頃より
ずっと引きずってきた想いがありました。

それは、記憶の糸をいくらたどってみても
思い出すことの出来ない母の顔や温もり、
どんなに逢いたいと願っても決して叶わない怒りや悲しみ、
独占できる特別な大人がいないという淋しさ、

その他自分一人では処理することのできない
重たくて複雑な想いです。

そんな、言葉にできない様々な想いを
彼女は身近な大人に受け止めて欲しかったのかもしれません。

そして、その気持ちに寄り添って欲しかったに違いありません。

単に手をつなぐだけではなく、
気持ちをつなぐようにして。

買い物や公園での親子連れを見て、
裕子はきっとそんな大人との関係に憧れていたのでしょう。

そのように考えた時、血縁の有無に関係なく、
ここで暮らす子ども一人ひとりが大切にされるべき場所として、
この軽井沢学園は"大きな家族"と呼んでも良いのかもしれません。

むしろ、そうあるべきなのです。
本当の親子でもないのに施設が家族だなんて"おこがましい"と思っていた私ですが、
この出来事をとおして

「いろんな家族があっていい。
施設で暮らす子どもにとって、たとえ一時的であったとしても、
ここが家族と思ってもらえるような場所にしなければ」

などと考えるようになりました。

(文:高根英貴さん)

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