体験談より「生後3ヶ月の我が子を亡くしました」

私たち夫婦は、第2子の次男を亡くしました。

生後114日目、0歳3カ月半でした。

原因は不明で、最も可能性が高いのは、乳幼児突然死症候群とよばれる突然死です。

病気1つしたことがなく、元気そのものだった我が子が、
まさか睡眠中に急逝してしまうとは、あまりの突然さに受け入れることが難しく、
悲しみに暮れました。

次男を小さな小さな棺に入れるときは、どうしても抵抗があり、
もう冷たくなった次男を手放すことができませんでした。

抱いたまま、ほっぺたにキスをしたり、
自分のほっぺたをこすりあわせたり、
ありがとうと伝えたり、

いろいろして、結局、棺に入れるまで何分も何分も、長い長い時間がかかりました。

いつまでも抱いていたい、と思いました。

妻と一緒に号泣しました。

母親である妻の悲しみは、父親の私とは次元の違う深さでした。

自宅で出産して、まだ保育園も入っていなかった次男。

妻は、生まれた日から亡くなる日まで、次男と1日も離れることなく、
ずっと2人きりで自宅で過ごしてきたのです。

くすぐると笑うようになってきて、
次男可愛い可愛い、と毎日語り合っていました。

突然その存在がなくなってしまった。
どれほどショックだったことか。

妻は、ふと、次男の後を追うことが頭をよぎったそうです。
本当に辛かったと思います。

よく生きていてくれた。
本当に、今でも妻への感謝の気持ちで泣きそうになります。

次男はまだ3ヶ月半だったため、
妻の身体からはおっぱいが何週間か出続けました。
飲んでくれる子はもういない。
それでも、おっぱいは出るのです。

コップに絞っては、お供えする、の繰り返しでした。
どんなに切なかったか、と思います。

亡くなった直後、

【次男の口からおっぱいを飲ませれば、また息を吹き返すのではないか】

というありえない想像をしては否定する、という状態でした。

心では全く次男の死を受け入れられていなかったのです。

受け入れられるようになったのは、
時間の経過と、映画『うまれる』の存在が大きかったです。

「お腹の中にこの子が宿ったときから、
 ウチらは幸せそのものだった」

「出産予定日に子どもを亡くした方もいるのに、
 ウチらは114日間も子どもと一緒にいられた。
 この子の笑顔も見られた。114日間、よい思い出ばかりだ」

「この子は、私たちに十分に幸せを与えてくれて、
 この世での役割をまっとうして、亡くなったのだ」

「本当に、この子にたくさんの幸せをもらって、感謝している」

弔問に来てくださる方々にも、そう語りました。

映画『うまれる』は本当に心揺さぶられる素晴らしい映画でしたが、
その中で一番激しく涙が出たのが、「泣いていいよ」という挿入歌が流れる
アニメーションの場面でした。

子どもが亡くなり、天使になる。

悲しみに打ちひしがれる母親を見て、天使になってしまった子どもも、涙を流す。
そのアニメーションを観ながら号泣しました。

その挿入歌がどうしてももう1度聞きたかったので、2週間くらいたって、
ようやく少し落ち着いてきた頃、サントラCDを購入しました。

「泣いていいよ」の歌詞カードを見ながら、聞いてみました。
自然と涙がこぼれました。

なんて、気持ちをわかってくれている歌詞なんだろう。
そう思いました。

妻は、最初の1分間くらいを聞いただけで号泣でした。
この歌を、繰り返し、聞き、繰り返し、泣きました。
本当に、この歌に救われました。

「大好きだよって伝えたかった」

「お腹に来れて幸せだったよ」

「ママは何も悪くない。私が選んだことだから」

「ママは心が痛くてたまらない
 どうして帰るって決めてしまったの?」

「泣いていいよ 悲しいときは それが自然なことだから」

「ママ、パパ、ありがとう ごめんね また会う日まで」

あまりにもまっすぐな歌詞に、どうしようもないほど泣きました。
私も何度も泣きましたが、妻はもう心の底から泣いて泣いて、
何度聞いても泣いていました。

妻は、ある夜、1つのことに気づき、
それが次男の死を受け入れ始めるきっかけとなりました。

妻は「5年日記」をつけているのですが、
昨年の同日のことを日記帳を見て思い出しました。

妊娠2ヶ月目に貧血で倒れてしまい、病院に運んでもらう友人の車の中で、
流産を覚悟したそうです。
(私も職場に連絡が来て、病院にすっ飛んで行きました)

でも、次男は生きていてくれた。
その後も無事にお腹の中で育ってくれて、この世に生まれてくれたのです。

もしあのときに流産していたら、亡くなった悲しみは、ここまで深くなかったかもしれない。

では、生まれない方がよかったのか?

もし、生まれなかったら、次男が生まれたあの喜びも、味わわないことになる。

もし、次男が3ヶ月で亡くなることが運命だとしたら、生まれる喜びと亡くなる悲しみが、
セットになっていて切り離せないものだとしたら。

私は次男が生まれたあの素晴らしい喜びを味わいたいから、この悲しみを選ぶだろう・・・

そして、次男もそれは同じだったんだ。
短い生涯と知ってて、それでも選んで生まれてきてくれたんだ。。。

決して流産された方の悲しみが小さいという意味ではありません。
子どもの死を体験した妻が、深い悲しみの中でそう感じたという意味です。

もし、不快になられた方がいらっしゃれば、申し訳ありません。

妻はそう気づいたとき、とめどない涙があふれ、
そして、次男の死を受け入れ始めたそうです。

「泣いていいよ」の歌が、たくさんの涙を流させてくれて、
次男の死を受け入れる心の準備を整えてくれたのではないか、と私は思います。

先月の四十九日の頃には、夫婦ともこの歌を聞いたときでも、
涙があまり流れなくなりました。

今は、毎朝、自分が生きていることに感謝します。

隣で寝息を立てている妻と長男が生きていることにホッとして、感謝します。

今日も1日、自分も大切な人も生きられてよかった、と感謝できるようになりました。

生きているのは、当たり前のことではない。

奇跡なんだ。

なんてありがたいんだろう。

そう感謝するようになりました。

この映画、この歌に出会えて、本当に感謝しています。
心からそう思い、そう伝えたくて、この長い長い文章を書かせて頂きました。

読んでくださり、本当にありがとうございました。

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映画『うまれる』の体験談より
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